松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江/山陰バリアフリーツアーセンター の活動状況や、各種お知らせを掲載します。

小泉八雲の桜にかかわる怪談の二つ目は、『十六桜』です

2016年05月16日 10:57   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
小泉八雲の桜にかかわる怪談の二つ目は、『十六桜』です。地元では「十六日桜」と呼ばれているそうです。
どうゆう訳なのか二つとも松山市に現在でも現存している桜の樹です。
前回の『乳母桜』より数段ぞっとしますよ。
今日はたまたま、16日ですのでこのお話の武士の月命日となりますね。
昔から先人たちは、自分の命を捧げて身替わりとなるとか橋やお城の建設の人柱になるとか神様に願掛けをしてきました。
今でも好物を絶って願い事をするという話も時々耳にしますね。
ここから引用です。
 伊予の国和気郡(わけごおり)に、「十六桜」と呼ばれる桜がある。毎年1月16日(陰暦)当日にだけ咲く。十六桜春を待たずに、大寒の頃に咲くのは、ある人間の魂が宿っているからである。 この桜の木、伊予のある侍の屋敷の庭で育っていたもの。開花も3月末から4月にかけての当たり前の時期であった。 
 その侍、幼少の頃は桜の木の下で遊び、桜を褒めたたえる和歌を書いた短冊を、枝にぶら下げる行事も、先祖から100年以上に渡って続いていた。 
 侍は歳をとり、子供達には先立たれ、その桜のみが彼の愛情の対象となってしまった。 
ところがある夏の日、その桜が枯れ死んでしまう。 
隣人は彼の心の慰めとなればと、美しい桜の若木を彼の庭に植えてくれた。 全身全霊で老木を愛でてきた侍には、それを失った代わりに、心の支えになるものは、何一つなかった。 
 老侍はその桜木を甦えさせる方法を思いつく。「身代わり」になるというのだ。 
桜の枯木の下で、白い布を広げ、更に敷物を敷き、その場所で武士の作法にしたがって、「腹切り」をする。 
 彼の魂は、木の中へ入り、同時刻、花を開花させたのでございます。 
そして毎年、その桜の木は、一月十六日、白い雪の季節に今もなお開花するのでございます。 
(湯浅卓・訳) 
おしまいです。



小泉八雲の怪談 姥桜(うばさくら)に伝わるぞっとするお話

2016年05月10日 14:18   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
桜の季節も終わり葉桜となりましたが、小泉八雲の桜にまつわる怪談を紹介します。
小泉八雲の桜にまつわる話は二つあります。 『乳母桜』、『十六桜』櫻のものがたりです。
まずは、乳母桜』からです。
姥桜とは、ヒガンザクラやウバヒガンなど、葉が出るよりも先に花が咲く桜の俗称です。娘盛りが過ぎても、なお美しさや色気が残っている女性の事を表しています。
もともとの意味は、姥桜は、花の盛りに葉がない桜を、歯のない姥にかけたもので、かなりの年増でありながら艶かしい女性もいうようになったものです。現代では、美しさを表す「桜」よりも、老いを表す「姥」に重点が移り、年甲斐もなく若作りをしている女性を指すようになりました。
かの小泉八雲はどういうふうに理解していたのかは不明ですがおそらくは奥さんのセツさんの考えがかなり影響したものではないでしょうか。どうも語源に近い意味に捉えているようです。
今回は、松江に関係はしないのですが紹介します。
ところは、愛媛県松山市の話です。松山城の西にある小高い山は、西山と呼ばれています。西山の麓に国宝建造物のある大宝寺があります。
ここから本題です。引用文になります。
昔々、角木長者といわれる長者がいた。長者は子供に恵まれず、大宝寺のお薬師様に「子供が授かりますように」と願かけをした。この願いが叶い女の子が生まれ、名を「るり」と名付け乳母が大事に育てていた。ある日、乳母の乳が出なくなり子育てに難渋していた。子供を授かったお薬師様に願ったところ、やがて乳母の乳も元通りになり、お礼に本堂を建立したという。
娘は成長し15歳を迎えた頃、重い病になり、乳母は「我が命に代えてでも、るり様をお助け下さい。」と大宝寺のお薬師様にお祈りをした。その甲斐あって、るり姫は平癒し元気を取り戻したが、乳母の身体は衰弱し、お薬師様との約束事だと言って薬も口にせず「お薬師様のお礼に、桜の木を植えて下さい。」と言って死んでしまった。長者は乳母の真心を思い、桜の木を本堂の前に植栽した。
桜は成長し花の咲く時期になると、母乳のような色の見事な花を咲かせているという。
それで、この桜は【姥桜】【乳母桜」と呼ばれています。
おしまいです。



製鉄の神様 金屋子神社(かなやごじんじゃ)とは?

2016年05月09日 14:20   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
鯉のぼりと言えば、魚の鯉ですが、鮫やイルカまたオオサンショウウオのぼりが泳いでいる島根です。暦の上では立夏を過ぎて春と夏が混在していますので、着衣には困ったものです。
豊かな自然に囲まれた出雲地方には、じつに様々な歴史や特有の神話が残されています。
今回は、奥出雲から安来市まではたたら街道で大昔より栄えました。そのたたらの神様の総本宮が安来市の山中地域に鎮座していますという話題です。
たたらの発達した地域には、金屋子というあまり聞いたことのない名前の神様が祀られています。
出雲にある金屋子神社は、全国1200社を数える金屋子神社の総本山です。春秋の大祭には、たたらの職人をはじめ、製鉄に関わる様々な人たちが数多く参拝しています。 
総ケヤキ造りの本殿と拝殿、そして石造りでは日本一といわれる高さ9mの鳥居を持つ金屋子神社は、その存在感は荘厳ながら、どこか他の神社にはない異質な感じを持っています。
閑散な自然に囲まれているからでしょうか。六感に、ひんやりとしたものを感じます。まるで玉鋼を精錬し、磨き上げて作られる刃物を連想してしまいます。背筋に鋭い刃を感じます。
この神社は製鉄関係者しかしらないマイナーな存在だからでしょうか。そこに伝わる神話も、かなり奥が深いものがあります。 
こういう神話がありますので一部引用します。
大昔のある年の夏のことです。日照りで困っていた播磨(はりま)の国に、恵みの雨を降らした神様がいらっしゃいました。この神が「わたしは金山彦天目一個神という金屋子の神です。これから遠く西の方へ行き、そこで鉄を吹き、道具を作ることを多くの人に教えなければなりません」と語り、白鷺に乗り天高く飛び立っていかれました。たどりついたのは出雲の国、西比田黒田の森の「桂の木」。どうりで、金屋子神社の周辺には立派な桂の古木が多いはずです。
たたらの高殿の建設を指揮したのは、なんと75人の子どもの神々だったそうです。75種類の道具を作り、土地を整備したり、杉の木を伐って「ふいご」を作ったりしたといいます。高殿とは、「華麗なる・・」で言えば高炉のことです。この高殿には6本の大きな柱が建てられ、金屋子神、木の神、日の神、月の神が東西南北の方向を守護した。
ある年の冬の事です。「村下(むらげ)」と呼ばれる技術長が麻に足をとられ、転んで死んでしまいました。金屋子神は「村下の死骸を高殿の柱にくくりつけて鉄を吹くのです」と教えたそうです。神の言われるままにすると、これまでにない良い鉄を作ることができたと伝わッています。 
金屋子神は秘伝の製鉄技術を教え、繁栄をもたらしたという事です。その反面、「死のけがれ」を好む神様でもあるのです。あのひんやりとした感覚、あれはもしかして火柱となった村下たちの霊魂・・・・なのかもしれません。あまり気持ちのいい話ではありませんがそれだけ鉄の精錬技術は神がかった神聖なものだったに違いありません。

金屋子神に関連していろいろの珍しいタブーがありますので紹介します。
金屋子さんは犬と蔦、麻が嫌い、藤は好き
 鳥取県日野郡では金屋子さんが天降りされた時、犬に吠えられ蔦を伝って逃げられたが蔦が切れたので犬に噛まれて亡くなった。島根県飯石郡では蔦の代わりに麻苧(あさお)に絡まって亡くなった。仁多郡では蔦が切れたが、藤に掴まって助かった、などの伝説があります。神とは言いながら何とも人間臭いユーモラスな話です。そのような訳でたたらの中には犬を入れない、たたらの道具に麻苧を用いないと言います。また、桂の木は神木なのでたたらで燃やさないとされています。
金屋子さんは女嫌い
 金屋子神は女神なので女嫌い、妻が月経の時は夫の村下はたたらへは入らず、産褥の時はたたらを休み、もし仕事の手が離せないなら家へ帰らず生まれた子供の顔も見なかったそうです。村下は特に厳しく、風呂は女の入った後は絶対に入らなかったといいます。
金屋子さんは屍体が好き
 金屋子さんが突然亡くなられた時、門弟共は、たたらをどうすれば良いか分からず、金屋子神に救いを求めて祈ったところ、鉄がどうしても涌かないときは四柱に死体を立て掛けよ(仁多郡)、村下の骨を四柱に括り付けよ(吉田村)と神託があったと言います。
金屋子神社のお祭りは毎年春は三月の中子の日、秋は十月の初子の日に催されます。昔は比田の金屋子祭りと言えば出雲、伯耆はもちろん、遠い他国からもたたら師や鍛冶屋が参りに来たそうです。
詳しいお問い合わせ先は、 0854-34-0700(金屋子神話民俗館)まで。
アクセス JR荒島駅からイエローバス(観光ループ内周り)25分、広瀬バスターミナル下車乗換え・西比田車庫前下車徒歩30分



「賭け事はどうしても許せない悪いことだと思う」人の割合が、島根県は日本一!

2016年05月06日 15:12   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
GW中でもあり、松江城周辺では交通規制をするほどに観光客が多い松江市です。
さて、今まで私は、「賭け事はどうしても許せない悪いことだと思う」人の割合が、島根県は日本一だと思っていましたが、ある調査によるとそうでもなさそうです。
島根県人といっても東部の出雲、西部の石見、隠岐と3つの国に島根県は大別されます。この3つをたして3で割ってもどうでしょうか。理解不可能な人間になりそうですね。
共通しているのは、自然は売るほどにあり、人口密度が少なく高齢者が元気なところでしょうか。
これから、島根県に観光やUIターンなど島根県人に関わり合いを持つ方々に少しレクチャーをしておきます。参考にしてお付き合い下さい。
性格や気質は古くからのその土地の歴史や風土にかかる事が非常に多いですね。いわゆる県民性です。
まずは、男女の性格です。
島根県の男性の性格を一言で表現すると「内気」です。人見知りが激しく、なかなか仲良くなることが難しく時間がかかります。
しかし、本来は明るく、人情味のある人が多いため、一度信頼関係が築かれれば、末永く交友関係を結ぶことができます。
一方、島根県の女性の性格は一言で表現すると「控えめ」です。自分が前に出ることもなく、他人を押しのけるような気の強さもありません。
流行を追いかけることもないので、外見はいかにも地味な人が多いです。
しかし、内面はとても芯が強く、しっかりした女性が多いです。
また、性格が暗い訳でもなく、愛想もあり、明るく朗らかな女性が多いです。
恋愛に対しても真面目なのが島根県人の特徴です。
ひとりの人を一途に想い続け、誠実に想いを伝え続けることを大切にします。
しかし、おしゃべり上手というわけでもないので、なかなか自分の思いが伝わりにくいことも難点として挙げられます。
また、女性は特に恋愛に対して警戒心が強いため、浮ついた態度で接するのはNGです。
順序を守り、約束事をおろそかにせず、より以上に気を遣い誠実に振舞うことが絶対条件となります。
以上が一般的な昔からの島根県人ですが、反面、以下のデータもあります。
「これからの人生明るい?」と質問したところこのような結果も出ています。
人生は暗い + ギャンブル好きの県は、
上位3県:島根県・秋田県・愛媛県(データ元:ディグラムラボ)
以下に相性の良い又は悪い県をしめしておきますので気をつけてお付き合い下さい!
仕事相手の県別相性!
☆相性最高!
石川・島根
 ☆相性悪い!
群馬・神奈川・福井・長野・静岡・福岡・大分
 ☆相性最悪!
兵庫・香川・鹿児島・沖縄
なんと、相性の悪い県が多いのにびっくりですね。



松江市美保関青石畳通りは300年前の香りがします!

2016年04月27日 10:06   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
ここから後半をお届けします。
昼食に生ビールと日本酒をいただきご機嫌で午後の美保関町歩きの集合場所に到着です。観光ガイドさんがすでにお待ちでした。
屋台のイカ焼きの醤油のいい匂いがすでに漂っています。誰かが昼食のあとだというのに買いに行きました。ガイドさんに挨拶をして街歩きのスタートです。
はじまりは、えびす様を祀る美保神社前からです。
街歩きのテーマは、「神秘の逸話を持つ港町の歴史ロード」です。
江戸時代、北前船の寄港地で松江からの宿場町だった頃に敷かれたというこの青石畳の道には、海運業が栄えたこの地方の繁栄の影がしっかりと残されていました。
この美保神社の神門通りはわずか250mで路幅は3mみも足りないのですが、往時を想像するには十分なノスタルジックな雰囲気です。
この細い路地の両側を昔ながらの建物が囲み、荷物を運んだであろう大八車がやっとすれ違うか心配なほどです。ガタガタの石畳だとどうだったのでしょうか。一歩一歩踏みしめて歩けば、何だか当時にとタイムスリップしたかのようなスローな空気に包まれていきます。
この石畳、雨の日には、うっすらと青色に変化することから、その名が付いたと言われています。散策途中には、大正時代の佇まいが歴史を感じさせる旅館が7軒、酒屋さん、お醤油屋さん、乾物屋さんなど古き良き時代を感じさせます。与謝野鉄幹・晶子夫妻、高浜虚子、西条八十など文豪も多く訪れた由緒正しい旅館、旧家や老舗の醤油蔵などが並んでいます。
お醤油屋さんでは、勿論お醤油もありますが、醤油味やごま醤油味やもろみ味などのアイスクリームも売っていました。また「ほしもんや」さんではいか、のどぐろ、あじなどの干し魚も人の良さそうなおかみさんが応対してくれました。
あちらこちらに見とれているうちに美保神社の鳥居につきました。ガイドさんに促されて鳥居の左側を通り、手を洗い口を濯ぎいざ本殿へと向かいます。参道の左側にはあの「八百屋お2 八百屋お七」の恋人だった吉三郎の墓がありました。江戸からお七を供養してここまで来て亡くなったといいます。
この美保神社は、出雲御三社の一つにして、各地に鎮座するえびす様の総本宮です。本殿の1つに大黒様のお妃様が祀られているため、縁結びともゆかりが深く、境内では、紅白で揃う縁結びのお守りも販売されています。大社造りの社殿が2つ並ぶ本殿は「美保造り」と呼ばれています。
また、天皇家ともゆかりがあり菊の御紋が縦に4つついていました。本殿に昇階段が二つありお二人の神様を祭っているからだそうです。普通は真ん中に一つだそうです。したがって、お参りも右側と左側と移動して背礼します。
音曲の神様で、日本最古のオルゴールが宝物殿に納めてあるそうです。また、諸手船神事(もろたふねしんじ)に使われる船も見る事が出来ました。4月7日には国譲り神話の一幕の国譲り神話を海上で再現する「青柴垣神事」には、多くの観光客が訪れたそうですが、それは地元の氏子たちが伝統を受け継いで守ってきたからだそうです。ガイドさんも氏子の一人として関わっているそうです。
近くには、島根半島の東端にある美保関灯台もありますが、今回はここで報告を終わります。