ハウル@矢野です。
松江市内の観光地をぐるぐる循環している定期観光バスのレークラインがリニューアルしました。
6月1日から、車内モニター映像と車内放送がレトロ調に刷新されました。明治期以降の写真や絵図をモニターに映し出し、昔の松江の町並みや人々の暮らしに思いをはせてもらうほか、音声案内では1950年代の観光案内「虎の巻」を参考に当時のガイドの語り口を再現しています。
これまで車内放送は、松江市出身の俳優佐野史郎さんがナレーターを務め、主要観光地の概要を紹介していました。車内2カ所に設けていたモニターでは、次の停留所を告知していました。同局は、松江城の国宝指定以来増えている観光客により一層の増員を図るために、「車両の内外装に加えてソフト面もレトロにし、魅力を発信したい」とリニューアルを思い立ったそうです。
車内放送は、観光ガイド指南本「昭和30年度版松江観光ガイドブック」を参考に、「月照寺でございます」といった当時の言い回しを取り入れた形で再現しています。
モニターには、シジミ漁の船が行き交うかつての松江の原風景を収めた写真など計240枚の写真や絵図を映し出し、車窓の眺めと対比できるようにしました。小型無人機「ドローン」で空撮した写真も取り入れたそうですよ。
レイクラインバスは1995年度に運行が始まり、乗車料金は1回200円で、JR松江駅を発着点に1日29便運行しています。
松江市交通局では、一日周遊券(大人500円)やお得な運賃を設定しています。観光施設の割引や駐車場料金の割引などあり、県外から車でお越しの観光客様にも利用を勧めています。また、当然ながら車いす使用の方も利用出来ます。
松江にお越しの方は是非、一度ご利用してみてはどうでしょうか。
ぐるっと松江レイクラインバスの詳しい情報は下記のURLよりご覧下さい。
ぐるっと松江レイクラインバス ≪ 松江市交通局
http://matsue-bus.jp/lakeline
ハウル@矢野です。
島根県は4日、梅雨入りした模様です。昨年より2日遅く、平年より3日早いそうです。これから約40日は「水の都松江市の雨が似合う街」の本領発揮といったところでしょうか。でも、あんまり雨が続くと気が滅いりますね。っ
さて、6月4日は「武者の日」じゃ-。国宝の松江城を拠点に活動する武者たちが4日、6(む)4(しゃ)の語呂にちなんで、同日を「松江武者の日」とすることを宣言しました。
全国の武者が集う記念日として盛り上げ、城下町の観光振興につなげる意図があるようです。
松江市や松江観光協会でつくる松江武者行列実行委員会が「松江は武者のまちプロジェクト」と銘づけ企画したものです。全国に天守を持つ城下町がある中で「武者の日」を制定?したのは全国初という事です。
武者たち約40人と一緒に松江歴史館から塩見縄手を通り、約600mを練り歩き、本丸前に到着した初代藩主・堀尾忠氏役は、「6月4日を武者の日とする」と、力強く「松江武者の日」宣言をし、全員で勝ちどきを上げ、松江城に向かって恵方巻きをムシャ、ムシャ食べたそうです。こだわりは相当のようです。
この日は雨模様でしたが、多くの観光客も傘をさしながらこの一行に随行しました。武者もこのイベントが終わると急いで撤収しました。背に腹はかえられないようです。
なにはともあれ、この記念日が全国に波及して松江に人が集まって盛り上がる事は良い事なのは間違いなさそうです。
ハウル@矢野です。
初夏の風物詩といえばホタルですね。
夏の宵、里山のあぜ道を歩くと、川岸のくさむらから一番ボタルが飛び立ちます。そして、次々と湧き出るように無数のホタルが舞いはじめますね。この世のものとは思えない幻想の世界です。
まさに、日本の夏の原風景ですね。ホタルは、とても魅力的で不思議な昆虫なのです。ホタルは、美しい自然があってこその存在です。
松江市周辺でも昭和40年代まではどこの川でも良く見られたホタルは減少しました。河川の護岸工事や農薬によってすっかり生態系が変化してホタルの好物の川ニナが住みつかなくなっていました。
その後下水道の普及により川の水質は改善されましたが、護岸のコンクリートはそのままでした。
良き時代の自然を子どもたちに受け継ぐために大人たちが各地でホタルの繁殖に挑戦しました。そのかいあって、すこしずつ自然が回復してきました。
以下に主なイベントを掲載しますので、是非、ご観賞下さい。
ほたるイベント
吉田ほたる祭(安来市)
「きれいな川とホタルを次の世代に残そう」と自然増殖に取り組み、毎年ほたるの季節に開催されています。イベント日にはほたる祭名物・そうめん流しや、地元特産品などの各種屋台が並びます。
日時 2016年6月9日(木)~6月13日(月)
イベント日:6月11日(土) 夕刻より
場所 島根県安来市 吉田交流センター付近 [MAP]
問合 吉田交流センター
0854-27-0325
詳細 安来市観光協会 公式サイト
さぎの湯温泉 竹葉 ホタルバス運行(安来市)
足立美術館に近い、さぎの湯温泉旅館「竹葉」の近隣には、自然のホタルが飛び交うところが多くあり、その日に多そうな場所にバスで案内してもらえます。
ホタルの癒される光の乱舞で田舎の夏が楽しめるツアーとなっています。
日時 2016年6月1日(水)~30日(木)
場所 島根県安来市古川町438 [MAP]
問合 さぎの湯温泉 竹葉
0854-28-6231
関連 さぎの湯温泉 竹葉 公式サイト
ホタルとんじょバス運行(松江市)
玉造温泉から車で10分、なんとものどかな田んぼと川にホタルの里があります。地元の有志が毎年大切に管理し保護区に指定されていて、シャトルバスでご案内します。(旅館宿泊者限定)
日時 2016年6月中旬(蛍の発生を確認後、約2週間運行)
※蛍が発生していない期間は運行しませんので御注意ください。
バス出発:20:30 温泉街ゆ~ゆ前より
場所 島根県松江市玉造温泉 [MAP]
問合 玉造温泉旅館協同組合
0852-62-0634
詳細 玉造温泉旅館協同組合公式サイト
赤川ほたる観バス(雲南市)
毎年運行されるこのバス企画は、幻想的な「赤川ほたるの世界」に加え、奥ゆかしい「海潮神楽」の舞を存分に味わうことができるとして好評です。
日時 2016年6月11日(土)・12日(日)
19:00 JR出雲大東駅発(乗車受付は18:30より)
場所 島根県雲南市大東町 JR出雲大東駅発 [MAP]
料金 大人(高校生以上)1,000円、
小人(小中学生)800円
※未就学児は無料
定員46人/日 ※要予約
問合 赤川ほたる保存会事務局
0854-43-8164
詳細 うんなん旅ネット
海潮荘
ホタル鑑賞の名所として知られる海潮温泉の宿。露天風呂でホタルに出会えちゃうかも?
≫ 海潮荘 公式サイト
蛍カフェ&時降る森のコンサート(大田市)
三瓶小豆原埋没林公園と西の原レストハウスのコラボレーションで開催する、三瓶の食材を使った食事と蛍の光を楽しむイベントです。芝生園地でオープンカフェを楽しみながら、蛍が飛び交う夕暮れを待ちます。料金2,000円、定員20名、要予約(先着順)となっています。
日時 2016年6月18日(土)
場所 島根県大田市三瓶町多根ロ58-2 三瓶小豆原埋没林公園 [MAP]
問合 三瓶小豆原埋没林公園
0854-86-9500
詳細 三瓶小豆原埋没林公園 公式HP
他にも各地の観賞ポイントを紹介していますので、下記URLよりご覧下さい。
島根県:ホタル観察の情報(トップ / 環境・県土づくり / 自然・景観・動物 / 自然環境 / 島根の自然公園・保護・観察 / 旬しまね)
http://www.pref.shimane.lg.jp/infra/nature/shizen/shimane/shun/hotaru.html
ハウル@矢野です。
今日は、6月10日の「時の記念日」について考えてみたいと思います。
私たち現代人は時間に追われる人もいれば一日が長く感じられる人それぞれいらっしゃると思います。電車の時間などは数分遅れれば「どうなっているんだろう。」と文句を言う人も多い世の中です。また、日本ほど交通機関が時刻表通りに運行されている国はありませんね。
それだけ時間は誰にでも平等に与えられたものだからなのでしょうか。地方都市の松江市に住んでいると都会に比べて時間の流れがおちらと(ゆっくり)である気がします。それだから人は、ゆったりとした時間を求めて旅に出るのでしょうね。
さて、この記念日が制定されたのは、1920年(大正9年)の事です。思ったより古くに制定されています。約100年前になります。
目的は、「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」というものです。
この記念日の由来はご存知の方が多いと思いますが今一度復習しておきます。
天智天皇10年の4月25日に漏刻(水時計)が設置され、宮中に時がつげられるようになったのを記念するものです。この天智天皇10年4月25日を太陽暦に直すと671年の6月10日になるため、この日が時の記念日に制定されました。
ところで、大名時計とも呼ばれる「和時計」は、日本生まれの世界的発明品だった事をご存じですか?その頃の時間は明け6つ~暮れ6つを12等分にして時刻を告げるものでした。夏冬で変化する昼夜の長さを6等分する不定時法をもとに作られており、同じ昼の一時(いっとき)(2時間前後)も、夏の方が長い▼夏は早朝から夕方まで働くことが善であり、お天道様が見えている間は休むことはばかられる、と考えた農耕民族の発想ではなかったのでしょうか。
しかも、太陽が昇30分前から太陽が沈んだ30分後までというものでした。
当然ながら日本全国で同じ時刻を共有してはいなかったのです。当時は数時間のずれなどさほど問題にはならなかったのでしょう。
この和時計(わどけい)も江戸時代から明治初期にかけて制作・使用された不定時法を用いるための機構を持つ世界でも珍しい時計でした。あの時代劇で大名や豪商屋敷の床の間にある時計です。
しかしながら、明治6年(1873年)を以って日本は定時法へ移行したことにより、その実用的使命を終えました。
現代においては、電波時計などというものが存在し、100年経過しても数秒狂うかどうかなるものが登場し、世界中で時刻を共有する時代となりました。この記念日を迎えて少し時間の大切さを考えてみてはどうでしょうか。
ハウル@矢野です。
6月に入り夏本番に向けて季節も移り変わろうとしています。
毎年この時期からゲリラ豪雨などの災害が増えてきます。
6月1日は「気象記念日」です。ご存じでしたでしょうか?
由来は、1875年(明治8年)6月1日に明治政府の手により東京気象台として東京で1日3回の気象と地震の観測が開始されたことから、1942年(昭和17年)に制定されました。場所は内務省地理寮構内、現在の東京都港区虎ノ門にあるホテルオークラのあたりです。
ところで、日本で最初の天気予報は、E.クニッピング(現在のドイツの気象学者)により1884年(明治17年)6月1日に毎日3回全国の天気予報が発表されています。その天気予報(日本で初めての天気予報)は次のようなものです。
●午前6時
全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ 但シ雨天勝チ
●午後2時
変リ易キ天気ニシテ風位定ラス 且雨降ル地方モアルベシ
●午後9時
中部及ビ西部ハ晴或ハ好天気ナルベシ 北部ノ一部ハ天気定ラス 一部ハ曇天又ハ烟霧ナルベシ
今でいうところの概要を言葉少なく発表していたようです。少しは天気の三光になったかもしれませんがおそらく一般の国民には、理解不可能だった事でしょう。
現在は、気象衛星を使ってピンポイントの気象の変化をコンピューターにかけて予報しますので、当時の地上からの観測とは段違いに正確さに欠ける事は言うまでもありません。しかし、当時は気象観測といっても、地上観測だけですからデータ量や気象に対する知識や予報技術に格段の差があることは確かです。明治の人の勇気と災害を防ぎたいという熱意には頭が下がります。