ハウル@矢野です。
夏も近づく八十八夜のこの季節に松江市民の悲願でありました「松江城天守閣」が国宝へとの答申がありました。早速、先週の16・17日には、普段の5倍以上の観光客が押し寄せた他、松江城に関するウェブサイトへのアクセスは10倍だとか・・・。
城が完成した年を裏付ける祈とう札が最近になって見つかったのが決定的になったと言われていますがそれだけではなく松江市長を始めとして数多くの市民や専門家などの踏み込んだ研究があったからこその今回の国宝指定となりました。
松江城の天守は、もともと昭和10年に国宝に指定されていましたが、昭和25年に施行された文化財保護法で重要文化財となりました。松江市は国宝に指定されることを目指して国に繰り返し陳情を行うなど早くから活動を続けてきました。
平成21年には「松江城を国宝にする市民の会」ができ、その翌年には、市が「国宝化推進室」を設置しました。市民の会は12万人を超える署名を集め文化庁に提出するとともに、市は専門家に依頼して天守の詳しい構造の分析や城がつくられた経緯の解明を進めました。
さらに、昭和12年から所在が分からなくなっていた2枚の祈とう札を捜すため最高500万円の懸賞金をかけて調査を始めます。祈とう札は城が創建された際、城の平和を願って奉納されたと伝えられ、国宝の指定につながる貴重な史料になると期待されていました。そして、3年前、平成24年5月に、市の教育委員会が城の敷地内にある松江神社の倉庫を調べていたところ、この札が見つかりました。「慶長十六」などと書かれていて慶長16年に城が完成したことが裏付けられたほか、札が城の中心的な柱に打ちつけられていたことなどが分かりました。文化庁によりますと、祈とう札の発見のほかにも、専門家の調査で天守の建築的な特徴や歴史的な経緯が新たに明らかになったため、今回の国宝の指定につながったということです。
まさに市民の活動に幸運も重なり今回の栄誉となりました。松江城を中心とした国際観光文化都市を宣言している松江市にとってはこれ以上の喜びはないものと思われます。松江市長の発行のメールマガジンも号外の中でも市長の喜び様が伺えました。
これを契機に多くの観光客に訪れていただきたいものです。
最後に松江城築城に関わる逸話を引用しておきます。
松江城は、開府の祖・堀尾吉晴公が足掛け5年の歳月をかけて慶長16年に築城しました。千鳥が羽根を広げたように見える千鳥破風の屋根が見事なことから、別名「千鳥城」とも呼ばれます。高さ30m、5層6階の天守は桃山様式の天守として築城当時のまま現存しており、以前より、国の重要文化財に指定されています。また武骨な体裁ながら、その端正で優雅な風格は人々を魅了します。
松江城の城主、堀尾家は三代、京極忠高は一代限りで、いずれも嗣子がないため断絶しています。これに関して、人々は築城工事にまつわる髑髏の出土や人柱となった娘のたたりなどを噂したそうです。
◆「ギリギリ井戸の髑髏(どくろ)」
松江城築城工事の際、本丸東側の石垣が幾度となく大音響と共に崩れ落ちた。
不審に思った堀尾吉晴公が原因を調査させたところ、その地下深くから錆びた槍の穂先と、それに貫かれた髑髏が出土した。丁寧に供養して工事を再開すると、その後は何事もなく完成を迎えることができた。
出土した穴からは澄んだ水が豊富に湧き出し、ギリギリ井戸と呼ばれて長く場内の人々の喉を潤した。「ギリギリ」とは、頭のつむじを指す言葉である。
(出典「城山再発見の旅」松江城の伝説)より
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ハウル@矢野です。
大型連休には、今年3月に開通した「やまなみ街道」を利用して、四国や山陽ナンバーの車が目立ちました。こちら松江では、これを機に様々な思考を巡らせた商品が開発されています。
その中でも、またまた、県内最大の温泉宿泊地の玉造温泉で、ニュースィーツのメニューが次々と開発、販売されています。
辛党の筆者ですが、どうも女性たちの話題は、ニューお菓子・ケーキの話題になると盛り上がるようですね。
仕方なく(?)少し調査してみることにしました。
今、NHK朝の連ドラでもケーキ職人を目指す希(まれ)も修業に横浜に旅立ちました。話題もかぶる事、大ですね。
それぞれの商品に共通するテーマは「美肌」だそうです。「玉造に来た人には、体の外からも中からもきれいになってもらいたいとの思いからだと聞いています。地元素材を使うことで、ここから島根の良さを発信して、全体が元気になるよう盛り上げていければ」と話しています。
新商品その1は、白あんを入れたマドレーヌの「あんのけーく」の「いちご味」(1個180円)です。島根県東部、広島県県境近くの飯南町産の米に超高水圧加工を施し、食物繊維の含有量を高めた「キラキラ玄米粉」を生地に使用し、県内いちごの産地である安来産のイチゴのピューレを生地、白あんベースのクリームに練りこんだものです。
新商品その2は、「ご当地パニーニ」(単品480円)です。キラキラ玄米粉を使った生地で、雲南市木次乳業のチーズと同社の野菜ソムリエが選んだ無農薬の季節の野菜をはさむです。
新商品その3。「イチゴミルクフルージュ」(650円)には、松江産の「福富いちご」をふんだんに使用した。木次乳業のパスチャライズ(低温殺菌)牛乳とニンジンを加え、イチゴの甘みと酸味、つぶつぶ感をしっかりと味わえるよう仕上げたものです。この2点はテイクアウト専門の飲食店「ベジフルージュ&アイスころっと」で購入することができます。
この新商品を製造販売しているのは、玉造温泉のまちデコです。パテシィエは、まだうら若き女性です。「まれ」とかぶるところがありますね。
同社の美肌マルシェで、渾身の作「riz fromage(リ・フロマージュ)」(1800円)がお目見えしました。パテシエさんは今までに無いプレミアムなチーズケーキを作ろうと、キラキラ玄米粉を使用し、表面を覆う真っ白なミルクジュレの中に、レアチーズ、カスタードクリーム、キャラメリゼ、スフレチーズケーキが隠されている5層構造に仕立てました。
内容を文字で伝えるのはなんとももどかしいですね。取りあえず写真を3枚添付しますので美味しさを想像してご覧下さい。
店舗、商品に関する問い合わせは
玉造温泉まちデコ(電話0852・61・1556)です。
写真をクリックすると別ウィンドウで拡大写真を表示します。
ハウル@矢野です。大型連休も終わり暦の上では、立夏を過ぎ、青葉が目に沁みる既設となりました。
今回は、「7丁目なのに1丁目?」という話題です。
普通は、住居表示で○丁目○番○号となるのが正式ですね。
松江城の南側約3㎞にあります松江市雑賀町の住宅街に、「七丁目の一丁目」と書かれた何ともおかしな石柱が立っています。この石柱近辺の住所は、「松江市雑賀町792」だそうです。住居表示でもないこの地域だから余計に頭をかしげてしまいます。
それでは、石柱に書かれた文字にはどんな意味があるのだろうか?。少し調べて見る事にします。
以前にも掲載しましたが、雑賀町は、江戸時代に堀尾吉晴公が松江城を築城する際、鉄砲集団「雑賀衆」を住まわせるために作られた町と言われています。
この町割りは、碁盤の目のように南北と東西の直線道路が交わり、当時は雑賀衆の屋敷が軒を連ねていました。
この町割りは、松江大橋から南の竪町交差点と洞光寺を結ぶ道を起点に西へ向かって、東西の道は当時「津田街道」と呼ばれていた現在の国道9号を起点に南に向かって、7本ずつ道が敷
かれています。
「○丁目の○丁目」とは、起点から数えて、何本目の東西、南北の道かを示しているわけです。「七丁目の一丁目」の場合は、国道9号から数えて南に7本目、竪町交差点の道から西に数えて1本目の筋であるということなのです。
雑賀町では、2007年から11年にかけての「松江開府400年祭」に合わせ、こうした旧町丁名を表示した石柱を55カ所に設置し、町を歩く人を楽しませているそうです。
雑賀町をもう少し南に足を延ばせば、ここで松江城の場所を決めたと言われている床几山も含め、松江城が栄えた時代の面影をしのぶことができます。
筆者の仲間内では、地元の由緒ある場所を歩きまわるのがブームになっています。運動不足の解消と歴史の勉強が出来る、一石二鳥の効果がありますね。
もう少し石碑を探しに行って見る事にします。
ハウル@矢野です。
今日から5月に入り、風薫る季節の本番がやって来た松江市です。
今回は、「世界初の缶コーヒーは浜田市発だった?!」という話題です。
おそらく、多くの方々は、「UCC」の上島珈琲じゃないの?と思っていらっしゃることでしょうが、本格的に販売し現在も販売し続けているのはそうなんですが、島根県西部の浜田市では、「浜田市」だと盛んにアピールをしています。
今では日本中のどこでもコーヒーの自販機が設置されていますね。缶コーヒーを飲む前によく降ってからプルタブを開けますが、開発当時は、いまどきの比ではなかったようです。振っても缶の底にとどったコーヒーは容易に混ざらなかったんです。これを解決するのに試行錯誤を随分繰り返したとか聞きました。
そもそもいつごろから缶コーヒーが販売されたのでしょう?
少し調べて見ました。
世界初の缶コーヒーとなっているのは、浜田市三隈町生まれの三浦義武(1901~80)が編み出した「ミラコーヒー」というそうです。1965年9月14日、東京の三越百貨店で売り出されました。独自の製法でつくられたコーヒーは、自身の名前と店名を冠してヨシタケコーヒーとも呼ばれていたそうです。司馬遼太郎は三浦義武について、「絵画において富岡鉄斎、陶芸において柿右衛門を誇るがごとく、コーヒーにおいてかれを世界に誇っていいであろう」と絶賛するほどの人物でした。
1968年まで販売されたミラコーヒーは200g入り80円で、砂糖がありミルクはなかったようです。50年前にしては、結構高いような気がします。
三浦義武さんてどんな人だったのでしょうか?
島根県浜田市出身で、地元の中学校を卒業後、早稲田大学に進学、この頃からお茶にすごく興味があったようです。しかも、バッハやナポレオンのように無類のコーヒー好きだったようで、日本橋で豆を挽いて販売したり、有名喫茶店でコーヒーを飲み歩き中毒になって何度も倒れたのだとか・・・。若い頃からコーヒーを研究しており、銀座で「コーヒーを楽しむ会」を組織してもいたようです。
そして、1963年より缶コーヒーの開発を本格化し、ついに1965年世界初の缶コーヒー「ミラ・コーヒー」の開発に成功しました!このミラってなまえは、三浦とミラクルを掛け合わせたのだそうです。
しかしながら、せっかく販売に漕ぎつけたのに数年で経営不振となり倒産してしまいました。誠に残念な事です。
自販機の普及と共に缶コーヒーは爆発的に販売が増えました。
浜田市では、コーヒーの専門家を招いて「コーヒー講座」を開催したりアピールに余念がないとか・・・。
浜田市と言えば、中国地方有数の漁獲高を誇る漁港です。そこで培われた製缶技術とのコラボがあったからこそ成功したのだろうと考えます。
コーヒー好きと感ず目が結びつくこともあります。何が要因となるかわかりませんね。
ハウル@矢野です。
4月も終わりに近づき、ますます緑が濃くなり、わらびやぜんまいや筍も里山には顔を出し始めました。大型連休には気温も初夏?との予報が出ている松江です。
松江城周辺には観光客の姿も多く見受けられるようになりました。堀川を巡る遊覧船もほとんど満員状態のようです。
今年、3月に全線開通した「中国横断自動車道尾道松江線」での観光客増加を睨んだ新しい企画がされつつあります。
その一つとして、 観光客に松江の食を手軽に楽しんでもらうため、地元産具材を使った「松江おにぎり」が完成しました。
松江と言えば勿論、シジミです。宍道湖産ヤマトシジミのほか、島根半島産板ワカメ、美保関町産イカのこうじ漬け、八雲町産イノシシ肉、八束町産ハマボウフウを具材に使った
この5種類のおにぎりです。
当然ながら、 コメは松江産コシヒカリを使用。板ワカメは風味をより楽しんでもらえるよう、砕いてコメにまぶし、イノシシ肉のそぼろ入りおにぎりは、パン粉をまぶして揚げ、ライスコロッケ風に仕上げました。
また、製品を包むパッケージに貼るシールのデザインも凝っていて、それぞれのキャラクターも考えたもののようです。地元の松江農林高校の生徒さんが手掛けたそうです。
正式に28日から松江市玉湯町湯町の山陰自動車道宍道湖サービスエリアで販売するほか、市内の観光施設やイベントなどで随時取り扱うそうです。
「松江おにぎり」が、また一つ松江の名物食べ物の仲間入りをしました。
筆者もまだ食していませんので、早いうちにご馳走になろうかと思います。