ハウル@矢野です。
次におすすめな海水浴場は、島根半島の東側の美保関町北浦海水浴場です。
複雑な地形のリアス式海岸が延々と続く島根半島には、山の緑に囲まれた小さな入り江の海水浴場が点在しています。夏になるとそれぞれのビーチは大勢の人でにぎわいます。
島根半島ビーチの中で一番山陰屈指といえるほどの美しさを持つ、遠浅の北浦海水浴場です。この遠浅があるのはそれほど多くはありません。ほとんどが岩場となっている海岸線はファミリーで楽しむには少し危険が伴います。それはそれなりにスリリングな体験も出来ますがここでは総じて誰もがとか海水浴だけでなく宿泊可能な施設などが整備されている事を考慮してのおすすめスポットです。
「真夏の太陽に照らされた海はエメラルドグリーンに輝き、まるで南国パラダイスのよう。」とのキャッチコピーで売っているようですが少し誇大広告気味ですね。
約500m続くビーチは、「奈倉鼻」というちっちゃな岬が海岸を西浜と東浜の2つに分けているという、ちょっと不思議な形。この岬には『出雲国風土記』にも登場する「伊奈頭美(いなずみ)神社」という古社があり、こんもりとした鎮守の森と岩場が自然の離岸堤を成しています。この岩場に棲む磯の生き物を観察できるのもコチラの魅力的なところで、ファミリーやカップルに人気の高いビーチです。砂浜のすぐ後ろには、赤い石州瓦の民家が軒を連ねる街並みが。民泊もあるので、お泊まりで日本海の夏を満喫するのもいいかもしれませんね。
泳ぐのに飽きたら、岬の東側にある石積みの防波堤へ行けば気軽に釣りを楽しむことができる絶好のスポットです。この付近は日本海の好漁場となっているだけに、タイやカワハギ、アジ、キスなど美味しい魚が釣れるかもしれませんよ。水着と一緒に釣り道具を持ってくるのを忘れないでください。
お問い合わせは
電話番号 0852-73-9001((一社)松江観光協会美保関町支部)
所在地 島根県松江市美保関町北浦
営業時間 7~8月のみ営業
駐車場 あり
アクセス JR松江駅より一畑バス美保関行きで笠浦行乗り換え、北浦バス停下車すぐ
ハウル@矢野です。
梅雨も後半に入りましたが、ここ島根半島でも各海水浴場では海開きが7月1~2日に集中しています。
その中で私の独断と偏見で総合的にみての推薦?海水浴場を紹介します。
まずは、桂島海水浴場です。
加賀の潜戸(くけど)観光遊覧船が出港する加賀港より神崎橋でつながる、周囲約700m、面積約8haの小島の海水浴場です。神崎橋を渡って少し歩くと、エメラルドグリーンに輝く、透明度の高いビーチが見えてきます。こぢんまりとしたプライベートビーチ的な雰囲気で、沖に泊まっている船を眺めながらリゾート気分に浸れる穴場中の穴場です。岩場はキッズたちの格好の遊び場で、カニやヒトデといった磯の生き物たちの発見に歓声が上がります。
この島は、南側は砂浜の海水浴場となっていますが、北側は岩場となっていますので、貝取りや釣りが楽しめます。すぐ近くにミニビジターセンターやレストハウス、トイレがあり、駐車場も完備されていますので安心です。
海水浴はもちろんのこと、最近ではシーカヤックなどのマリンスポーツを楽しむ人も増えているとか聞いています。隣接して30区画のテントサイト、炊事場があり、キャンプもできちゃうので、今年の夏は島根半島に佇むこのリトルアイランドでマリンレジャー満載のバカンスを過ごしてみてはいかがでしょうか?家族連れからグループと世代に関係なく様々な海のレジャーが楽しめます。
実はココ桂島は「大山隠岐国立公園」の一部で、「桂島園地」として整備されている場所なのです。
手つかずの自然が数多く残っているので、島のほぼ全域に延びている整備された遊歩道を散策するのもお楽しみの一つです。島の大半は約1500万年前に海底に噴出した溶岩でできていて、行く先々に現れる崖や岩場にその名残を見ることができるのです。島の北側には「クジャク岩」と呼ばれる放射状節理の岩脈も。また、5月から7月にかけては岩の間から菜の花のような花を咲かせる「タイトゴメ」が顔を出すなど、珍しい動植物の宝庫として専門家からも大いに注目されているようです。
また、展望台から望む加賀の海と険しい地形の島根半島が織り成す景勝も見どころです。波がかかってしまうような所や、落石や倒木のため通行止めになっている箇所もあるので、散策時には十分ご注意を。
お問い合わせは
電話番号 0852-85-2902(桂島ビジターセンター)
所在地 島根県松江市島根町加賀
営業時間 7~8月のみ営業
駐車場 あり
アクセス JR松江駅より一畑バス沖泊行きで加賀築港前バス停下車、徒歩約10分
ハウル@矢野です。
雨が2ヶ月近くも降り続き、暑かったり少し肌寒かったりムシムシしたり時には豪雨だったりとそんなに良い季節ではありませんね。
また、気持ちの上では、うっとうしい、ジメジメ、憂鬱などという言葉が続くことが多いのですが、五月雨(さみだれ)といえば雨を見つめる眼差しが変わりませんか?言葉ひとつで気分も変わるから不思議ですね。
そのイヤな梅雨でもアジサイやハスの花は雨に降られないと綺麗に咲かなかったり季節は順繰りと回転しなければ生態系にも何かしら影響が及ぶとしたものです。
ところで梅雨の由来は、梅の実がちょうど熟す頃だから…と思っている方が大勢を占めているのではないでしょうか。この他には、黴雨(ばいう)……黴(かび)が生えやすい時期の雨だから。あまり良い語感ではないため、「梅雨(ばいう)」の字を当てるようになったという説もあります。
この「梅雨(ばいう)」が江戸時代に日本に伝わりますが、日本流に「つゆ」と呼ぶようになったのは、次のような説があります。
・「露(つゆ)」からの連想
・黴によって物が損なわれる「費ゆ(つひゆ)」に由来
・梅の実が熟す頃という意味の「つはる」に由来
・梅の実が熟して潰れる頃という意味の「潰ゆ(つゆ)」に由来
こうして梅雨(つゆ)が定着しましたが、日本には素敵な異称があります。
「さみだれ」ということばの響きもうつくしいですね。どんな漢字を当てるのでしょうか。
五月雨(さみだれ)
「さ」は旧暦の5月(現在の6月ごろ)をさし、「みだれ」は「水垂れ」という意味。梅雨という言葉が伝わる前は五月雨でした。
梅霖(ばいりん)
「霖」はながあめという意味です。
さて、こちら松江市では「縁雫」(えにしずく(と観光客のイメージを梅雨は雨が降るものとしたコピーで誘致しています。和服を着てから傘をさして松江の堀川沿いを散歩するなどのしっとりとした過ごし方は如何でしょうか?
もっとも今年は、今のところは空梅雨ですが・・・。
そんな梅ですが、梅酢、梅酒、梅ジュース、梅肉エキス、のし梅・・・・梅の加工品は数あれど、最もお馴染みなのが梅干しではないでしょうか。「朝昼晩と梅を食べれば、医者いらず」といわれた梅干しは、昔から家庭の保健薬的な食べものとして上手に取り入れられてきました。その医食同源の秘密は、あの独特のすっぱさにあります。クエン酸やリンゴ酸を中心とする有機酸は、殺菌や疲労回復、そして食欲増進などにパワーを発揮します。胃腸の調子が悪い、疲れやすい、食欲がない、などの夏バテ対策にうってつけです。また、お弁当やおにぎりのなかに入れるのは、腐敗菌の繁殖を防ぐ梅干しの防腐効果を期待してのこと。先人の知恵に脱帽ですね。
昔は、塩と梅酢で調理したことから塩梅(あんばい)という言葉が生まれました。梅干しを食べて、ゆううつな梅雨の時期を「あんばい良く」過ごしたいものですね。
ハウル@矢野です。
6月18日(日) 快晴。午前9時30分 JR津和野駅前から津和野観光は出発です。観光協会の方から一言アドバイスがありました。「本町の源氏巻きの製造販売のお店で源氏巻きの耳が無料でもらえるかもしれませんよ。」。頭の隅においてまずは、明治初期に描かれた「津和野百景図」で街全体を把握します。百年以上経過していても当時の街なみや町名はそれほど変わっていないとの事です。
まずは、観光ガイドさんより町の歴史の講話からです。
そもそも津和野という地名は、「つわぶきの生い茂る野」からきたといわれています。「つわぶき」って何?説明を聞いている仲間は知っている様子ですが、ここで少し解説をします。つやのある大きな葉を持っており、毎年秋から冬に、キクに似た黄色い花をまとめて咲かせる。そのため「石蕗の花(つわのはな)」は、日本では初冬(立冬〔11月8日ごろ〕から大雪の前日〔12月7日〕ごろまで)の季語となっている。との事ですが、今ひとつピンときません。津和野城が蕗城(ふきじょう)と呼ばれるのと同様に、山間の町にふさわしい名前だそうです。
津和野城の築城は、二度目の蒙古来襲(弘安の役)の後に、能登国から西石見の沿岸防備のために入部した吉見頼行により、永仁三年(1295)に始められたと伝えられ、以後吉見氏14代が、320年間の長きに渡り居城としました。 室町期、山口に本拠を置く大内氏の台頭により、吉見氏はその傘下に入りますが、その後、毛利家が中国地方全域に勢力を伸ばすとそれに従います。
初期の城下町は吉見氏によって築かれたといわれますが、今日の津和野の礎を築いたのは、関ケ原の戦いの後、吉見氏に代わり津和野城主となった坂崎出羽守直盛でした。 坂崎氏は、宇喜多氏の一族であり、城主だった16年の短期間に、津和野城の大改築、城下町の骨格づくり、新田開発、和紙の原料である楮苗の栽培、灌漑用水路の建設、鯉の養殖など、今日の津和野の礎を築いたのでした。
坂崎氏が「千姫事件」で失脚すると、元和(1617)年に因幡国鹿野城主だった亀井政矩が、4万3千石の藩主として入部します。ここからはかつて、島根県選挙区から選出の参議院議員の亀井氏の登場です。 以後、歴代藩主は産業開発と教育の振興に力を注ぎ、一時は実録15万石といわれるほど華栄しました。産業の中心は和紙生産でした。製紙原料の楮の増産を図り、製紙技術をひろく領内に普及し、この和紙を藩の専売制として莫大な収入を得ました。この和紙でつくられた「姉様人形」がお土産で有名ですね。4万3千石が15万石だなんて3倍以上ですから経済的には裕福だったのですね。
また、藩校「養老館」の創設など、歴代藩主の人材育成重視の施策が、幕末から明治、大正期にかけて活躍した日本を代表する人物たち、国学者福羽美静、近代日本の哲学者西周、文豪森鴎外などの輩出につながります。
旧城下町は津和野川を外堀として南北に細長く造られています。 一部、川の東側に広がる武家屋敷地区には、津和野川から水を引いた外堀が整備されていたらしく、今では埋め立てられて、旧山陰道が拡幅されています。現地にある不釣合いなほど広い道路はその名残だと思います。
通常、城下町は中心部から外縁にむかい、城郭-武家屋敷-町屋の順に配置され、町屋地区の街道筋が通っているものですが、津和野はこれに当てはまりません。狭い盆地の城下町ならではの配置だと思います。 また、武家屋敷町の配置としては、北が上級武士、南が下級武士の屋敷町で、堀割りのある殿町は家老屋敷があり、上級武家屋敷町が町屋地区と隣接していることも珍しいことです。
概略がわかったところでいざ、街中に移動です。
津和野観光のメインは何といっても殿町の景観と錦鯉です。菖蒲が咲き、清水の流れる掘割には鯉が泳ぎ、白漆喰と海鼠壁の土塀と立派な屋敷門の形成する景観は、誰でもが美しいと感じます。街の中心部なのに、車の通りが少ないです。国道9号線が街中を通っていませんので、通過する車はないようです。
。町の町並みは、旧家老多胡家の屋敷門・土塀沿いに流れる堀割・屋敷門の奥にある町役場(旧鹿足郡役場)城下町にしては広い道路と掘割の水は、防火のためだといわれていますが、流れる水はどこから流れてくるのでしょうか。
何故、鯉を放すようになったかですが、城下は再々火事にみわわれたそうです。一度、出荷すると山口側から増田に向けて強い風によってみるみるうちに炎症したという事です。もともとは防火用水だったのです。街中で水が淀むとボウフラなどが湧くので鯉に食べさせるというのです。もう一ついい事はいざという時の食用としたようですが、普段は鯉を盗むと厳罰になったそうです。この事から町民は鯉を食べる習慣がないそうで、また、愛護の精神の教育にもなっているとか・・・。
城下町の水は盆地なのにどこから引かれているのでしょうか?
津和野川の川床は町の地盤よりかなり低いので、当然上流から引いてくることになります。現在は、旧藩主邸(現津和野高校グランド)横でポンプで川から汲み上げているようですが、往時はもっと上流から引いてきたのだと思います。
殿町の北側に広がるのが町屋地区です。2階の窓には雨戸が3重になっていて、しかも横にスライドするのではなくて、上にずり上げて収納するのも驚きでした。今も残る商家は、どれも切り妻平入りの中二階建又は二階建で、石州瓦(桟瓦)の赤瓦葺、二階は白漆喰の袖壁があり、虫籠窓か格子窓が一般的のようです。なんといっても この景観が、最も津和野らしく、最も美しい。です
それと、殿町と本町の境目に江戸時代には城と町屋は大きな門で区切られていたとか。一般的には、外堀があり、きちんとわかりますが、門がない現在ではチョットだけ面影がのこるだけです。
ここを訪れる観光客は、みんな決まって清流を泳ぐ鯉と菖蒲を写していました。
目を引くのが、木造3階建てです。「骨董古布」の暖簾のかかる土産屋のようですが、変わった構造をしています。
まだまだ、観光は続きますがこのあたりで街並み散策は終わりたいと思います。
「最後に、「鯉の米屋」さんを紹介しておきます。
昔ながらの米俵を軒に列ね、木彫りの「鯉のおる米屋」という看板が目印です。ここの店の奥には、水路を引き込んだおおきな池があり、色とりどりの錦鯉が群れをなして泳いでいます。餌をまくとその姿は圧巻。かつては津和野の家々にはこのような鯉を飼う池があり、観賞用として愛でていたようで、とくにこの吉永邸の鯉は、質・量ともに他を圧倒しています。
「店構えはお米屋なので少し戸惑いますが、見学は大丈夫です。御主人。見学は無料で、気さくな御主人や奥さんがやさしく迎え入れてくれますよ。
ご主人は鷺舞保存会の会長だとか?
ハウル@矢野です。
島根県の最西端の津和野町にある太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)に参拝してきました。この神社は、島根県では出雲大社に次ぐ初詣の人出が多い事でも知られています。日本五大稲荷のひとつ、商売繁盛、開運厄除の神様です。
稲荷ではなく「稲成」と表記しますが、読み方は同じ「いなり」と読みます。稲成の「成」には、津和野藩主亀井矩貞公の思いにより、お願い事がよく叶う、つまり願望成就・大願成就などの意味が込められています。
境内からは津和野の町並みが、箱庭のように広がります。それもそのはず、創建当時は、津和野城の鬼門除けとして城を守ってきましたが、江戸時代に落雷で天守が炎上してしまってからは、その役目もそれほど果たす事もなく過ぎ去りました。鬼門除けでしたので津和野城を向いて建てられました。
明治時代に入り、廃藩後一般庶民の崇敬を集めて、次第に信仰圏を広げ、昭和40年~昭和50年にかけては津和野の観光客急増もあって、参拝者はふえました。現在の本殿は鬼門除けではなく津和野の街を向いて建てられています。
戦後に一時衰えたことがあったようですが、今日では開運厄除の守護神として、中国、四国、九州の全域に信者をもつとの事です。とくに2月の初午祭、春秋の例祭には遠近の参詣者で町はふくれあがるほど賑わうそうです。
拝殿、本殿は昭和44 年(1969)に建て直されました。
境内には郷土関係の資料を集めた宝物殿、椋木潜(むくのきひそむ)、佐伯利麿(さえきとしまろ)、岡熊臣(おかくまおみ)らの和漢蔵書5,000冊を収めた養老文庫、旧御殿の茶室を復元した茶席半峯亭(はんぽうてい)などがあります。
この日は山口線を走るSLのC57(貴婦人)の雄姿は見る事が出来ませんでした。残念でした!7月の夏休み以降には走るそうです。また、この神社のお参りですが、通常では鳥居の左端を通行しますが、神様はこの参道は通られないそうで、真ん中で良いそうですよ。神様は本殿の後ろから出入りされるそうです。
お問合せ先 太皷谷稲成神社
〒699-5605
島根県鹿足郡津和野町後田409
電話:0856(72)0219
アクセス JR山口線津和野駅から徒歩約30分、タクシー約5分
営業時間 <定休日> なし
駐車場 無料 約100台
メールアドレス inari@tsuwano.ne.jp
URL http://taikodani.jp/
ユニバーサル情報 洋式トイレあり / 車いす対応(多機能)トイレあり
●日本五大稲荷
伏見稲荷大社 近畿の京都市伏見区
笠間稲荷神社 関東の茨城県笠間市
竹駒神社 東北の宮城県岩沼市
祐徳稲荷神社 九州の佐賀県鹿島市
太皷谷稲成神社 中国の島根県津和野町
※稲荷神社は、伏見稲荷(神道系)と豊川稲荷(仏教系)の系統があります。