ハウル@矢野です。前・中篇に引き続き「奥出雲おろち号トロッコ列車の旅」の後篇です。
トロッコ列車は順調に線路を少しずつ登って行きます。出雲横田駅は、ちなみに愛称は「奇稲田姫」(くしいなだひめ)です。やまたのオロチ伝説の斐伊川の水源、船通山(せんつうざん)にちなんだ名前です。
いよいよ木次線最大の見どころの出雲坂根駅に着きます。このころには、私たちは、いい心持ちになっています(お酒の飲みすぎ?)。駅には、おばさんが、焼き鳥と缶ビールを販売しています。見過ごす私たちではありません。
しっかり買いこみます。また、ホームには、「延命水」が湧き出ています。誰かが酌んできました。冷たくておいしい水です。少し延命したところで列車は、出発します。
ところで、坂根駅は、全国でも珍しい3段式スイッチバックのある駅です。スイッチバックとは進行方向と逆に引き込み線を設け、いったん後退してそこに入り、再び前進する急勾配の登はん法のことです。
トロッコ列車の一番前からは、スイッチバックの様子がよく見えます。列車が反対方向に走った時には、後ろから押したりひっパっタリしながら走ります。
面白いのは、運転手さんたちです。押す時は、一旦停車したときに反対に走って運転するのかと思いきやトロッコの車両の前に見張り役(?)の人が椅子にちょこんと座って監視カメラをしています。これってどうなんでしょうね。
一度のスイッチバックで約50mずつ登っていくようです。先ほどの焼き鳥のおばさんが手を振っています。おばさんを起点とするとどのくらい登ったのかがよくわかります。
スイッチバックが終わると進行方向の右手に赤いオロチループ橋が見えてきます。
奥出雲おろちループ(おくいずもおろちループ)は、島根県仁多郡奥出雲町(国道314号)にあるループ線です。
ぐるぐると回りながら登っていくので、オロチがどぐろを巻いている様子から命名されています。標高差は約105mです。
誰かが「歩いてループ橋が渡れるかなあ。」と言っています。他の誰かが、「確か自動車専用道路で、歩行者なんかは無理だろう。」と答えています。また、途中に「道の駅奥出雲おろちループ」が設けられています。
この辺りは、空きには紅葉の名所だそうです。標高いくらくらいでしょうね。宍道駅を出発した時は暑かったのに随分と涼しさが増しています。4~5℃は違う感じがします。
気付くと、列車は、さっきまで衣装懸命に登っていたはずですが、下っています。この辺りが分水嶺です。
やがて、三井野原駅にさしかかります。駅の線路を挟んで両側がスキー場のゲレンデです。列車からすぐに滑れそうです。冬にもう一度来たいものですね。
列車は、終着駅の備後落合駅に到着しました。約2時間30分の乗車でした。ガイドさんから、一人ひとりに絵葉書を乗車記念でいただきました。
ここは、駅前でもほとんど何もありません。駅員さんもいないので全く静かなものです。
約20分の休憩の後に折り返しの出発です。帰りは、ほとんどのお客さんも変わりがないように思えますが席替えがありました。
もうひとつの車両だとクーラーもきいていると思いますが誰一人移る人はいないようです。
みんなお疲れモードなのかコックリコックリしています。
ワイワイ言う人もいません。
私は再度、分水嶺の位置を確認したりスイッチバックの時の感じを味わいました。トロッコ列車は、やがて木次駅に到着しました。乗り継いで、松江駅に到着したのは、16時30分くらいでした。みなさん、朝早くからお疲れ様でした。「良かったねー。」と言いながらお別れしました。
神話のお話はあまりしませんでしたが、本当は話題に不自由ないほどあります。また、別の機会にと思います。それではそろそろ失礼します。
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ハウル@矢野です。前篇に引き続き「奥出雲おろち号トロッコ列車の旅」の後篇です。
「ゴーゴー」と轟音を響かせてお待ちかねのトロッコ列車が入線してきました。
列車は2両編成です。
1両目はいわゆるトロッコ状態の車両です。窓ガラスがありません。4人席が16ボックスで定員は64名です。
もう1両は、座席は同じ定員です。雨が降ってきた時などに備えて予備的な車両です。要するに一人で2つの座席が指定席となっています。
私たちは、またまたスロープを架けてもらいいよいよ乗車です。
4名1組となって3ボックスに座ります。12名の中初めての乗車は10名です。
他のお客様は、家族ずれやよその県からの観光客など多彩です。車両の乗車率は約7割です。
早速、お弁当とおやつと紙コップが配られます。
紙コップには日本酒をいただき、まずは、乾杯です。
女性のガイドさんが奥出雲の神話や沿線の見どころなど説明してくれます。
車窓からは、心地よい風と共に木々や草の匂いが飛び込んできます。
トンネルに入ると車両の天井にオロチが映し出されます。と言われトンネルを待ちます。
久野駅付近で、約1kmのトンネルに入ります。
物凄い轟音と共にトンネルに入ると天井にオロチです。また、トンネルは、もう数十年前は走っていた蒸気機関車のすすのにおいがかすかにします。
盲導犬のハウルは轟音に負けず寝ています。
それにしても長いトンネルです。でも、直線なのでずーっと先に出口はわかります。
ガイドさんは社内販売もしています。主には沿線の美味いものです。仁多牛べんとう、米焼酎「奥出雲おろち号」陶器ボトル、笹ずし、てなづちの里の「クリーム大福」カスタードプリン
などです。
沿線の駅には、松本清張の「砂の器」で有名になった亀嵩駅があります。
その駅には、駅長そばがあります。
駅の事務室を改造して、おそば屋さんがきっぷを売る時は駅長の帽子をかぶって対応してくれます。お店の名は、「扇屋」さんです。
あっ、そうそう亀嵩は「亀嵩そろばん」で、かつてはの製造で有名でした。今では電卓に変わりましたが、それでも珠算教室の生徒さんの注文があるそうです。
もう少しで、出雲横田駅です。既にお弁当は食べ終わりお酒も結構進んでいるようです。
長くなりますので、木次線の最大の見どころは後篇にします。
ハウル@矢野です。こちら松江地方は、先週末に梅雨明けしました。これからが夏本番です。
今年は冷夏の予報も出されていましたが、そのようなことはなさそうです。
今回は、トロッコ列車「奥出雲おろち号」での神話の国の旅の紹介です。
トロッコ列車「奥出雲おろち号」とは、木次線の木次駅 - 備後落合駅間を2両編成のトロッコ列車を平成10年4月から運行開始した「奥出雲おろち号」。青と白の色に塗られた車体に星を 散りばめたデザインになっています。
運転区間は、JR木次線 木次駅から広島県庄原市の備後落合駅間(60.8km)を一日一往復します。
JR木次駅発10時07分発のおろち号を目指して松江を出発です。
私たちは、まずJR松江駅からJR宍道駅に向かいます。出雲市駅方面行きの下り普通列車に乗り込みます。
8時ちょうどの発射です。「あずさ2号みたいですね。」などと言いながら駅員さんにスロープを架けていただき安全に乗り込むことが出来ました。
右手に宍道湖をみながらしばしの乗車で、8時23分にJR宍道駅に到着です。
またスロープで下車します。次の列車9時10分の発射まで、約45分もあります。なんとも乗換列車との継続がうまくいかないのは問題ですね。(苦笑)。
さすがにローカル線です。まあ、諦めておちらと(ゆっくりと)行くことにしました。
私たちはホームでずっと待っていても仕方がないので、駅構内で一休みすることにしました。
期待していた売店もないので、駅前を探検です。ロータリー前すぐに軽食・喫茶のお店がありましたが、この時間にはまだ開店していなさそうです。
このまま北方向に約5分歩くと宍道湖の西端近くで、出雲空港の滑走路が見えるところに出ます。
たしかこのあたりにスーパーがあったことを思い出しつつ北方向にむかいましたが、閉まっている様子です。
なんとも駅前が静かなことでしょう。
このあたりで、探検は終了です。JR宍道駅までUターンです。もうすでに汗びっしょりになりました。
自販機でお茶を買い木次駅行きの列車に乗車です。またまた、駅員さんがスロープを架けてくださいます。木次駅には、9時43分の到着予定です。
ここで出雲市方面からの方4人と合流して総勢12人となりました。
木次駅までは、ひたすら山の中を走り、車窓からは山とのどかな田園風景です。時々トンネルがあったりしますがのんびりとしています。
停車駅には、人影は全くありません。あっ、そうでした。出雲大東駅で2人のお客さんが降車しました。
JR木次駅に到着です。スロープの降車口を下車して、線路を横断して駅構内でしばし休憩です。ここでは、売店がありました。期待した缶ビールなどのお酒類は販売していません。トロッコ列車の模型や仁多牛の焼き肉弁当や木次牛乳のチーズなどを販売しています。
帰りにじっくりみてみることにします。
10時少し前に轟音とともにトロッコ列車が入線してきました。
前篇を終わります。後篇はいよいよトロッコ列車に乗車します。
ハウル@矢野です。海開きなど夏本番がまじかの季節です。
小泉八雲(ラフカディオ ハーン)は、松江では、「へるんさん」と呼ばれていました。松江に赴任した時の辞令書に「ラフカディオ ヘルンと書かれていたそうです。当時の島根県の役人も相当の英語力だったと想像します。
八雲は、「へるん」が気に入りその後は、自分でもそう言っていたそうです。「小泉八雲旧居」は少し前までは「ヘルン旧居」と呼ばれていました。
あと「へるんヨウカン」が思いつきます。八雲が好んだようかんで、東京からも取り寄せるくらいだったそうです。
また、晩酌は、ビール大びん1本だったそうで、毎日女中さんが、買いにこられていた。とは、江戸時代から薬局をされているお店の方から伺いました。
ところで、八雲は、旧制松江中学の英語教師として赴任しました。その時の月給は、100円でした。
これは、県知事の次に高い月給でした。
その後、熊本の五高では、松江での倍学の200円でした。家賃は11円。 校長の年収が1800円だったそうですから、八雲のほうが多くもらっていたわけです。
ちなみにその時の校長は、あの柔道の加納治五郎でした。少しミスマッチな感じがします。
八雲は、松江でセツさんと結婚しましたが、実家に仕送りをしていたそうです。給料が安いので、松江は住みやすかったが、仕方なく転勤(?)という噂もあります。
やっぱり、へるんさんも背に腹はかえられなかったようです。
その後は、神戸を経て、東京大学では、450円の月給をもらっています。とんとん拍子に出世したようです。
このようなお話を聞きながら、へるんようかんを味見したり松江をおちらと歩きをしています。
それにしてもガイドさんは、こぼれ話をよくご存じです。
今月末の夜には、松江市内のお寺で、八雲の怪談噺を聞く会などももようされるそうです。肝試しや真夏の夜の涼みのひと時を過ごすのもいいのではないでしょうか。
★出雲かんべの里で陶芸体験をしました(後篇)
ハウル@矢野です。
前篇の続きです。
私は、マグカップに挑戦しました。まず、円柱状の粘土の真ん中くらいのところに両方の人差し指と親指を入れておおよそカップのイメージで広げていきます。
ある程度広げるとあとは、轆轤に乗せて厚さを整えればいいのかと思っていましたが、現実は、とんでもありませんでした。
轆轤の回し方がうまくないのかとっても表面が平らになりそうではありません。お皿の方が簡単かと思い変更しようと挑戦しましたが、やはりでこぼこがなく平たくするのが実に難しく断念し、粘土をもとの形にもどしました。
隣の方もうまくいかない様子でイライラしています。
少し休憩して、先生自家焙煎(?)のコーヒーをいただくことにしました。コーヒーカップは、先生の手作りのようで、ひとつひとつ違った形です。これをもらって帰ればそれでもいいかと思いました。
これから先生のフォローが始まります。
私は、「どっしりしたマグカップが作りたいんですがうまくいきません。」というかいわないかのうちに先生は粘土をいじり始めます。
轆轤の上に置くと「左手で回して下さい。」と言われるので懸命に回します。「もっと早く。」と先生の激が飛びます。必死に回します。5分以上は回したでしょうか。「もういいですよ。」そっと手を伸ばして触ってみるとなんと見事に完成していました。写真を参照してください。
轆轤を回すだけでしたが自分の作品です。
12名中、2名は、先生に褒められていました。フォローなしで合格だそうです。
すべて自力で制作した方は、お花や、星などの模様もつけての完成です。
あとは絵付けや釉薬は次回の行程となります。
私は紙にうわぐすりの色と取っての形状を描いてあとは完成を待つことにしました。先生におまかせです。
結局、何にもしないで轆轤を回しただけです。
今回の参加費は、粘土代750円です。8月のお盆過ぎには、完成して受け取れるそうです。
楽しみに待つことにしました。先生は、「いつでも遊びに来て下さい。」とおっしゃってくれました。
何回でもつけや釉薬などもしてもよいそうです。コーヒーだけ飲みに来てもよいそうですよ。絵
藤原先生ありがとうございました。
出雲かんべの里ホームページ 陶芸
http://kanbenosato.com/kougei/tougei.html
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