松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江/山陰バリアフリーツアーセンター の活動状況や、各種お知らせを掲載します。

千手院のしだれ桜は樹齢300年の天然記念物!!

2015年04月06日 14:46   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
桜の花も咲いたと思いきやあっという間に満開時を過ぎ去ろうとしているこちら松江市です。
今回は、松江市石橋町にある桜の名所「千寿院」のしだれ桜の紹介です。
千寿院には、シダレザクラ2本、ソメイヨシノ27本があります。特にシダレザクラは有名です。
緑深い千手院は小高い山の上の寺です。松江市緑地保全地区第一号の指定を受け、町中の寺とは思えない静かなたたずまいをみせています。参道の両側は桜とつつじそして紫陽花なとが植えられており、教百年のもみじの巨木と境内にあるこの地方第一の枝垂桜が枝を広げて迎えてくれています。
しだれ桜は、山ザクラやソメイヨシノと違い、満開になると、柳の木か藤の花のように、サクラのすだれとなりが風になびきます。
2本のしだれ桜のうち、1本は樹齢300年と推定され、枝張りは、四方約18メートルに広がっています。もう1本は、松江藩七代藩主・松平治郷(不昧)の生誕150年を記念して植樹されたものだといいます。これも樹齢100年の古木です。
2つのしだれ桜は、開花時期がずれていて、3月下旬から4月上旬まで花見が楽しめます。
花の色はソメイヨシノよりも赤く、満開時、紅色の花が空を覆わんばかりに見事に咲き誇る姿は圧巻といえます。
境内からは、松江城や松江城下町を一望できます。
また夜はライトアップも行われ幻想的な姿を浮かび上がらせます。
このお花見の時期にはお抹茶の接待も受けられるそうです。
そもそも、千手院(せんじゅいん)は、島根県松江市石橋町にある高野山真言宗の寺院です。この寺は、もとは戦国大名の尼子氏の居城のあった安来市広瀬町富田にあったといわれていますが、江戸時代初め、堀尾吉晴らが松江城を築く際、本丸の鬼門(北東方向)封じとして、この地に移転しました。


ご参考のために しだれ桜(枝垂桜)の花言葉は、純潔、精神美、淡泊です。



●お問い合わせ先= 千手院
TEL(0852)21-1791


 


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島根町の桜トンネルの「チェリーロード」は絶景♪

2015年04月02日 14:55   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
ここのところの温かさで、筆者の家の1本だけの桜も3分咲きになりました。
今回は、松江市の島根半島東部、日本海側にあるチェリーロードの紹介です。
このチェリーロードは、もしかするとそんなには、メジャーなお花見スポットではないかもしれません。
ここは、バスの路線がなく車で通り抜けする県道なのです。普段は地元に住む人しか通行しないスポットです。
まるでトンネルのような桜並木が島根町の加賀(佐波)から野波まで5kmにわたって続いています。その桜の数約700本、海とサクラのコントラストは圧巻としか言いようのないものです。晴れた日には北東方向にある、遠く隠岐の島をくっきりと見渡すことができます。
そもそもこのチェリーロードは、昭和36(1961)年に野波から加賀間の県道が開通し、これを記念して昭和39(1964)年春に松江村人会から贈られた吉野桜500本が、当時の青年団の労力奉仕により植えられました。
それ以来、平成の始めごろから人づてに「チェリーロード」と呼ばれるようになり、平成6(1994)年12月「新・日本街路樹百景」に選ばれるなど、今ではすっかり名所として定着しています。
毎年4月上旬に見頃になる、5kmに渡って続く約700本の桜のトンネルは海の青とも相まってすばらしい眺めとなり、一見の価値があります。
また、チェリーロードの真ん中付近の(桜公園」では、3月末から4月上旬にかけてイベントが開催されています。地元特産品の販売などで観光客が2万人ほど訪れます。
その期間には一方通行となり東側のの波方向からお通り下さい。
この桜トンネルは、日本海沿いのくねくね道でまた、道幅も狭く車での通行にはお気をつけて運転下さい。
きっと心に残るお花見ドライブとなること間違いないでしょう♪


所在地 島根県松江市島根町佐波~野波
アクセス JR山陰本線松江駅からタクシーで30分車アクセス 松江だんだん道路川津ICから国道431号を経由し、県道21号を島根町方面へ車で21km
駐車場 120台 <無料>
トイレ数 3ヶ所(常設1ヶ所、仮設2ヶ所)
問合せ 松江市島根支所水産観光振興室
TEL: 0852-55-5722
HP 海のまち 島根町観光ナビ


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浜田市三隅町の大平桜は日本一の桜?!

2015年03月31日 14:58   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
3月も終わりに近づき、桜の開花があちらこちらで紹介される既設となった、こちら松江市です。
桜の名所は全国各地にいったいどのくらいあるのでしょうか。日本人は、桜の花が最も好きな人種(?)です。その地域での開花期間が短いことなんでしょうか。
また、長かった寒い冬が終わりだんだん温かくなり、心ウキウキとなる相乗効果だからなのでしょうか。
桜の開花は、1月に沖縄から始まり6月の北海道までなんと一年の半分の期間がお花見できるそんな日本列島だからなのでしょうか。
こちら松江市にも松江城公園を始めとして幾つかの名所があります。
今回は、島根県の西部地方の浜田市三隅町にあります「大平桜」の紹介です。
三隅大平桜は、高さ太さなどすべてにおいて日本一ではないかと筆者は感じています。根元周りは5.4メートル。地上2メートルのところで4本の幹枝に分かれているので、満開のときには雪の小山のような美しさです。
この桜は、所有者である大平富太郎氏の祖先が、馬をつなぐために植えたと伝えられています。
所有者の屋号が「大平」、また木の所在地の字名も「大平」というので、「三隅大平桜(ミスミオオビラザクラ)」と名付けられました。
品種は「大平桜」(学名 Prunus Ohiraensis Miyoshi)として分類され、若芽は帯黄色で彼岸桜、枝葉の形状は山桜と、両方の性格を併せ持った大変貴重な品種です。
推定年齢は660年、目通幹囲6.32m、根元周囲5.38m、樹高17.0m、枝張東西24.0m、南北29.6m、大平桜の日本一の巨木です。
花は白色で、満開の時には、その枝張りの雄大さから、あたかも雪の小山を見るような景観を呈します。
昭和10年(1935年)の国指定時には幹枝が11本ありましたが、山火事、台風などで被災した為、現在は4本が残っています。
毎年4月には、大平桜まつりも開催され、県内外から多くの人が訪れます。
また、三隅公園は、つつじの名所として有名です。
地元三隅町民にとって3月末から5月にかけてはとてもよい環境ですね。


施設概要
住所:島根県浜田市三隅町矢原1257番地外
電話番号:0855-32-2104


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一畑薬師に目玉オヤジがいる?!

2015年03月26日 15:28   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。南の国からは、桜の開花の便りも聞きだしました。こちら松江では、3月30日が開花予想となっています。
さて、今回は、一畑薬師とバタデンの紹介です。
島根県の出雲・大社~松江を結ぶローカル私鉄に「一畑電鉄」があります。どうして一畑なのでしょうか。と思われた方も少なくないでしょう?
そもそも、この電車は沿線の一畑薬師参拝用に敷設された私鉄なのです。一畑電鉄には一畑口という駅があり、昔は一畑パーク(遊園地)もあって一畑山までここから線路も伸びていました。「一畑口」の駅は 現在でもスイッチバックになっているのも そういう理由です。
「一畑」 の地名の由来は 薬草(お茶)畑の番号だったそうです。
寺の名称は正式には「一畑寺」ですが、「一畑薬師」という通称が広く親しまれています。
創建は 平安時代の寛平6年(894年)まで遡ります。 一畑山麓の 日本海の赤浦海中から 地元漁師・与市(後に補然と改名)が 引き揚げた薬師如来をご本尊としてお祀りし 医王寺として創建したのが始まりで 与市の母親の目が開いたり 戦国の世に小さな幼児が救かった事から 「目のやくし」「子供の無事成長の仏様」として 広く信仰されるに至りました。
目のお薬師様 子供の無事成長の仏様として有名です。
江戸時代中期になると、一畑信仰は中国地方をはじめ、九州、四国、近畿、東北にまで広まりました。遠方からこの一畑薬師まで参拝に来るのは大変だったので、遠隔地からの遥拝所として「一畑灯篭」が建てられました。出雲地方ではこの灯篭を様々な場所で見ることが出来ます。
あの小泉八雲も松江に来る途中にこの灯篭に見入ったと言われています。
ここでやっと目玉オヤジ像の登場です。 ゲゲゲの鬼太郎の作者である水木しげる氏は、幼少の頃に一畑薬師を篤く信仰する「のんのんばあ(水木家のお手伝いさん)」に連れられ、参拝に訪れていたのだそうです。平成24(2012)年4月8日に「のんのんばあまつり」が開催され、境内には「のんのんばあとオレ像」と「目玉おやじ像」など4体、そしてお寺の玄関口である「一畑口」駅に「目玉おやじ像」1体、合計5体のブロンズ像が設置されました。 眼病祈願で一畑薬師を訪れた際は、「目玉おやじ」も探してみてはいかがでしょうか。
また、一畑薬師までは、ふもとから130段もの石段があり、「一畑マラソン」や「一畑ウォーク」なども行われています。
「バタデン」沿線には、他にも多くの見どころがあります。他の機会にご紹介しようと思います。



仁摩サンドミュージアムには世界一大きな1年計の砂時計があります!

2015年03月20日 15:26   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
ここのところあったかくなったり、寒くなったり行ったり来たりのこちら松江市です。
少し筒春本番に向けて歩きだしているのは間違いなさそうです。
今回は、島根県のほぼ中央部の大田市仁摩町の日本海近くにある仁摩サンドミュージアムの紹介です。
この砂博物館には、世界一大きな砂時計があります。1年で1噸の砂時計なのです。毎年仁摩町民が12月31日の大晦日にカウントダウンをして高さ5.2メートルの砂時計を引っ繰り返すイベントを行っています。
そもそもなぜ仁摩町に砂博物館を作ったのでしょう。
仁摩サンドミュージアムの原点になったのは、鳴り砂の美しい浜である琴ヶ浜があるからです。
琴ヶ浜は、仁摩町の海岸に約1.6kmに渡って続く砂浜です。
1996年に、『日本の音風景百選』と『日本の渚百選』に選ばれました。
その砂浜は歩くと「キュッキュッ」と美しい音を奏でます。
その音の美しさが琴を奏でているかのように聞こえるからなのです。
鳴り砂とは、丸みを帯びた石英が多く含まれた砂のことをいいます。鳴り砂海岸は日本中に数ヶ所あるといわれていますが、浜が汚れていない事や砂粒が小さく揃っている事など稀な条件の下、浜の全域にわたってよく鳴る砂浜は、今では数えるほどになってきています。
今では日本中にも数少なくなっていて注目を浴びています。
この海岸が自然豊かで、海が綺麗な証拠です。当然ながら夏は海水浴で賑わいます。
この砂博物館は、建物はガラス張りの6つのピラミッド群からなっており、仁摩町出身者である建築家の高松伸の設計によるものです。
近くにはないとても特徴のある建物です。
施設には、タイムホール(一年計砂時計「砂暦」の展示のほか砂のオブジェの展示があり、「鳴り砂」についての詳細な解説がなされています。)また、AVホール・アートギャラリー・ふれあい交流館・ガラス工房・展示コーナーなどがあります。
また、コップに砂を吹き付けて、オリジナルの絵柄を彫刻する「サンドブラスティング」体験や、バーナーを使ってガラスを溶かして、ネックレスなどのアクセサリーを作る「バーナーワーク」も実施しています。
サンドミュージアムに訪れた記念に、世界にひとつだけのガラス細工をつくってみてはどうでしょうか。
下記に連絡先を記載します。
お問合わせ  仁摩サンドミュージアム
住所 : 〒699-2305 
島根県大田市仁摩町天河内975
TEL : 0854-88-3776   
FAX : 0854-88-3785
URL : http://www.sandmuseum.jp/


s最後に琴姫伝説を引用しておきます。
長門壇ノ浦の源平合戦で平家が敗れ去った寿永4年(1185年)春のこと、激浪に洗われて痛々しい姿になった1艘の小舟が馬路の浦へ漂着しました。その中には、みめうるわしい姫が、気を失って倒れていました。その優しい腕には、しっかりと琴が抱かれていました。
姫は村人達の手厚い介護により、ようやく元気になり、若き命は助かりました。姫は平家の一門でありました。哀れな平家の最期に寄るところ無き身を、情け厚いこの馬路に留めることにした。それから、せめて村人たちへのお礼にと、日毎夜毎、姫が奏でる琴の音が、浜一帯にやさしく、時には悲しく、白浜に響き渡りました。奏でる琴の音色は村人たちをはげまし、なぐさめたといいます。村人たちは姫を心から慕いうやまうようになりました。
しかし姫は、恐ろしかった戦いを思い、また都の生活をしのび、いまの運命のはかなさを嘆かずにはいられませんでした。そうして1年、春がめぐってきたある日のこと。漁から帰った漁師たちは、いつも響く琴の音が聞こえないことに気付きました。これをおかしく思い姫の住家を訪ねてみると、美しい姫は舟の中で琴を抱いて倒れていました。ちょうど、この浜に流れ着いたときと同じ姿で、すでに息絶えていたのです。
村人たちは、姿美しく心優しかった姫の死をいたみ悲しみ、浜一帯が見下ろされる丘に、琴と一緒に葬りました。翌朝、漁に出ようとした漁師たちが浜を歩くと、琴を奏でるような美しい音が鳴りました。村人たちは、きっと姫がこの浜に心を残していったに違いないと言い合い、この浜を琴ヶ浜と呼ぶようになりました。