松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江/山陰バリアフリーツアーセンター の活動状況や、各種お知らせを掲載します。

天然の冷蔵庫?!「八雲風穴(やくもふうけつ)」

2015年07月31日 15:04   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
梅雨明け10日と言いますが、全くその通りで、毎日が猛暑の松江市です。プロジェクトゆうあいの近くの堀川では遊覧船が船頭さんの小気味いいガイドで涼しそうに行き交っています。川に突き出た岩ではクサガメが暑そうに甲羅干しをしています。
こう暑くてはたまりませんので今回は天然の冷風機の話題です。
その場所は出雲大社からずっと南にあり古代の出雲大社の神殿を造営するために大木がこの山から切り出されたといいます。
「八雲風穴」は、出雲市佐田町の寺院福泉坊の脇にあり、約450年前の開山当時から、冷風を発する地域として「清涼山」と呼ばれています。
風穴(ふうけつ)とは、風が通り抜ける洞窟のことで、外部と内部の温度差や風圧により風が通り抜ける特徴があります。自然にできる洞窟は、鍾乳洞や溶岩洞、さらに海食洞などがあります。
八雲風穴は、約1500万年前に海中に流出した溶岩からなる黒山の岩石が、そのふもとに崖錐をつくり、この崖錐のすき間を通り抜ける空気が地下水の気化熱によって冷やされ、冷風となって地表に出ていると言う事です。
温度は八雲風穴施設の地上では1O℃前後、下層で5℃前後であり、年中あまり変化はありません。
1907(明治40)年ごろに屋舎が建てられ、その用途は時代とともに変遷し、近年までは新茶の保存、地元産の特用林産物(しいたけ・栗・わさび・山菜等)一時貯蔵庫として使用されてきましたが、現在は一般開放され、夏の涼を体験できる休憩施設として利用できます。また、風穴の下に湧き出ている地下水は「福寿水」として島根名水100選の1つになっています。
とっても冷たい水です。
入口を入ると、たたみ6畳ほどの部屋があり、その奥に扉があります。
             この時点で少しひんやりします。
扉を開けてさらに進むと、四方を石に囲まれた空間があり、下に続く階段があります。
             もうここは完全に冷蔵庫の中みたいです。
下からどんどん冷たい空気が吹き上がってきて、半袖ではあまり長時間は滞在することが出来ません。地下3階までありますが、3階には下りることができません。
地下3階の部分には、なぜか作り物の小さな雪だるまが置いてあります。雪も解けないって意味なんでしょうが少しこっけいな様子です。
夏限定の穴場に一度入穴してみてはいかがでしょうか。
入場料は一人100円です。
アクセスは、出雲市内から国道184号を南へ約20kmで出雲市佐田支所につきます。そこから、主要地方道湖陵掛合線で車で約5分の須佐神社を経由し、さらに、一般県道三刀屋佐田線で約5分のところにあります(案内看板あり)。
公共交通機関がありませんので少々、不便ではありますが暇をかけた以上の涼しさを体感していただけると思います。



「どじょう掬い饅頭」ってご存知でしたか?!

2015年07月21日 14:15   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
台風11号は各地に被害の爪跡を残しましたが、皆様のところは如何でしたでしょうか被害に合われた方々には心よりお見舞い申し上げます。
こちら松江市のすぐ近くをかすめるように通過して日本海へと過ぎ去りましたが、出雲地方は、お陰様で大した被害もなくホッとしています。
台風が過ぎ去ると夏本番となり連日35℃近くまでの気温となりいささかバテぎみの筆者です。
今回は、安来節のどじょう掬いをモチーフにした「どじょう掬い饅頭」の紹介をします。
安来節と言えば日本三大民謡のひとつに数えられるほど超有名ですね。歌はもとより、宴会芸でもありますどじょう掬い踊りも知らない人がいないほどです。
このユニークなぢょじょう掬い踊りの由来は、古代より砂鉄の積み出し港で賑わった安来で、カンナ流しで川の砂鉄を掬う格好からという説と最も有力視されているのは、安来地方では盆踊りがすむと、「笠破り」といって若者が川からどじょうを掬い、畑から野菜を失敬して慰労の宴を開く習慣があり、その座興から発展したと言う説です。
どじょう掬い饅頭のモチーフは、「あらえっさっさー」の合いの手とユーモラスな「どじょう掬い」の踊りです。ひょっとこ顔に手ぬぐいをほっかむりした大変ユニークな饅頭で山陰を代表する銘菓です。昔から作られていたのは、白あん入りのお饅頭で、手ぬぐいの水玉はフィルムが巻かれています。
最近では、白あんの他にチョコ、抹茶、いちご、梨の5種類と増えました。かぶった手ぬぐいの色が、味の違いの目印となっています。チョコ味と梨味が人気だそうです。このとぼけた顔を見つめていると、なんだか不思議と癒される……。と都会では静かな人気のお饅頭だそうです。
筆者も手土産にはよく利用させてもらっています。理由は、値段が安価なこと、格好がユーモラスで子供からお年寄りまでうけがいいこと、人ねでどこのお土産か判ることです。
山陰のお土産売り場では幅広く販売されています。数枚の写真を添付しますのでご覧下さい。
詳しくは、下記ウェブサイトまで!
銘菓 | 中浦食品株式会社
http://www.nakaura-f.co.jp/193.html


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「世界遺産に登録されると宝くじが当たる」ってホント?!

2015年07月16日 15:17   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。こちら松江市では、梅雨だというのに梅雨らしくないとか申しておりましたが、今回の台風11号は、山陰地方のど真ん中を通過しそうな予報円となっています。心配するより、家の周りの風でとばされそうな物を片づけたり万が一に備えて避難グッズの点検をしたいと思います。
さて、今回は、「世界遺産に登録されると宝くじが当たる」ってホント?!という話題です。
今年のサマージャンボ宝くじは、1等5億円と前後賞を合わせるとなんと7億円という史上最高の当選金額となりました。同時発売のサマージャンボミニ1等7000万円と聞けば両方共、購入しようと考え中の方も多いのではないでしょうか。
宝くじ売り場は、全国にどれくらいあるのかは、筆者は存じませんが、時々1等が出た売り場との張り紙を目にすることがあります。また、何回も同じ売り場から当選が出ているのも確かです。確立的にはどこの売り場で購入しようと同じはずですね。ところが、宝くじ研究家の方からあるジンクスがあるとの報告がありました。
「世界遺産に登録されると億万長者が生まれる法則」を引用しておきますので、信じる人は金運がアップするかもしれません。信じない人もそれなりに参考にして下さい。
宝くじ研究家の方が検証したところ、世界遺産に登録されると近くの売り場から億万長者が生まれる法則を見つけたんだそうです。
2004年7月 和歌山「熊野古道」が世界遺産に登録されると、
和歌山・新宮 「新宮イオンチャンスセンター」
2005年 ドリームジャンボ 1等2億円
2008年 年末ジャンボ 1等2億円
2009年 年末ジャンボ 2等1億円
2011年6月 岩手「平泉大文字まつり」が世界遺産に登録されると、
岩手・一関市 「宝くじ神社イオン一関チャンスセンター」
2012年12月 年末ジャンボ 2等1億円
★この頃から「宝くじにも世界遺産効果がある?とささやかれ始めた。」
2013年6月 静岡「富士山」が世界遺産に登録されると、
山梨・中巨摩郡 「甲府昭和イトーヨーカドーチャンスセンター」
2013年7月 サマージャンボ 1等・前後賞7億円
静岡・富士市 「市河たばこ店」
2013年7月 サマージャンボ 1等・前後賞7億円
2014年5月 群馬「富岡製紙場」が世界遺産登録内定になると、
群馬・伊勢崎市 「伊勢崎スマークチャンスセンター」
2014年5月 ドリームジャンボ 1等 3億5000万円・1等前賞1億円 初めての億当選
群馬・高崎市 「スーパービバホーム高崎ロッタリーショップ」
2014年5月 ドリームジャンボ 1等・前後賞 5億5000万円
★地方都市の隣町で同時に1等が出るのは非常に珍しい。世界遺産の効果か!?
今回の新世界遺産登録全国で23か所になるとどうでしょう。当選する可能性のある宝くじ売り場もダントツ増えるという訳です。
例えば、萩反射炉・松下村塾は、伊藤博文などの葬儀を含め、明治新政府で活躍した多くの人物を排出しました。
この街でおすすめの売り場は萩丸久チャンスセンターだそうです。売り場に松陰神社に祈祷をしてもらい、札を掲げているということです。これまで億の当選者は出ていませんが、今回のサマージャンボ宝くじで世界遺産効果が期待されとの事です。
施設 住所:山口県萩市椿東4897-7諫早バイパス店
個人買いの方もグループ買いの方も駄目ででもともととお考えの方は、試してみてもいいのかもしれませんよ。
いつも買わない筆者も今回は買ってみようかと思案中です。
そういえば、石見銀山が世界遺産に登録されたくらいの時期に大田市で1等が出たとの新聞記事を見たような気がします。
サマージャンボ及びサマージャンボミニの発売期間は、平成27年7月31日までです。買わないと当たらないのが宝くじです。よくよくご検討下さい。今夏は、億万長者が史上最多となることでしょう♪



梅雨の季節には堀川遊覧船はいかがでしょうか!

2015年07月07日 15:10   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
今週は、ずっと傘マークのついている松江市です。
水の都松江市は、「雨のよく似合う街」と松江市民は言っています。まあ、梅雨は、全国的な季節ですので雨が降るのは仕方がないですが、一年を通じて見ますと「弁当を忘れても傘を忘れるな!」の合言葉のようなことわざがあるくらい雨はよく振りますね。
筆者には、松江市民が「雨が似合う街」などと言っているのは、負け惜しみにしか届きません。が、かく言う私も雨は通常の降水量であれば嫌いではありません。
特に、この梅雨の季節には、松江城の堀を小舟で巡る「堀川遊覧船がお勧めです。松江城下町を裏から見るとまたノスタルジーを感じます。
水の都・松江ならではの船旅観光です。
松江城を囲む約3.7kmの堀川を、小舟に乗っておちらと(の~んびり)巡る観光遊覧船です。国宝松江城の天守閣をはじめ、武家屋敷、塩見縄手の老松など風情ある町並みなどをグルッと一周、約50分かけての船旅が楽しめます。
また、堀川に架かる橋も多く16くぐります。そのうち4つの橋は川面から橋の下までが狭いので、遊覧船の屋根が電動式で下がります。これって、特許なのでしょうか?ある橋のくぐり抜けでは、船の屋根が下がってきてもうこれ以上は頭を低く出来ない程になります。橋の下を通過するとホッと息を吸い込みます。雰囲気がご理解出来ましたでしょうか?
それと、船頭さんのいなせなガイドやいいのども聞けますよ。
堀川に面している民家の裏には、当時は船着き場であったろうと思わせる石段があったり、石の上には、亀が親子で屋住んでいる姿やカルガモの一家がお母さんを先頭に泳いでいるところも見られます。
船のへりからはすぐそこに川面があり、手が触れそうな気がしますが、決して手を出してはいけませんよ。
川端ですが鉄柵もほとんどありませんので余計に昔の船での往来もこうであったと想像させられます。
思わず笑みが浮かんできますよ。
「縁に滴(えにしずく)」月刊の松江市でした。


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雲大社よりずっと古い神魂(かもす)神社はパワースポット!

2015年07月03日 14:18   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
今回は、出雲大社よりずっと古い神魂(かもす)神社の紹介をします。
松江市民の中では、通称"大庭の大宮さん"の名で親しまれている神社です。
前述しました古代出雲の国鳥があった中心地近くの「八雲立つ風土記の丘」資料館から徒歩約10分でこの社に着きます。
松江市の中心地から東南方向に路線バスで約20分、丘陵地に広がる古社が鎮座する松江市大庭(おおば)待ちがあります。
この「大庭」という地名は神様の祭りごとをする場所のことだそうです。その大庭町に神の魂の神社と書いて神魂(かもす)神社と呼ぶ非常に古い社があります。
「カモス」と読むのは珍しいですが、一説によると、神霊の鎮まり坐す所の「神坐所」(かみますどころ)がカンマスになり、さらにカモスとなったと言われています。
イザナミノミコトを主祭神として祭る神社で、現在の島根県東部地方の意宇六社(おうろくしゃ)の一つに数えられている格式の高い神社です。
ちなみに、意宇六社とは、かっての意宇郡(おうのこおり、現在の松江市、安来市)に鎮座する神社のうち、熊野大社、真名井神社、六所神社、八重垣神社、神魂神社、揖屋神社の6社を指し、この6社を巡礼する事を「六社参り」と呼んでいます。
それでは、前置きはこのあたりで、参拝することにします。
神社の鳥い正面に「神魂神社」と彫った古い碑が建っています。鳥居の先には、ゆっくりとした勾配の石畳の参道が続いています。
御手洗(みたらし)の所で参道は二手に分かれます。そのまま真っ直ぐ進む参道は女坂で傾斜が少ない参道です。しかし、左手の男坂は急勾配の階段を登ります。暑い季節ともなれば、石段の上からスーっと冷気(霊気)が降りて来るのを感じます。男坂の石段を登り切ると、目の前に神社の社殿が聳えています。
緩やかな坂道は、健常者の方はお断りしているそうですので、お気をつけ下さい。
石段を登ると田舎の小学校の校庭位の広さの境内に着きます。境内は、厳かな雰囲気の木々が世間を隔離するように立ち並んでいます。
一見して、歴史的にも価値がありそうな建物で、威圧感があたりに漂よっているのを感じます。あっ、そうそう、本殿は国宝に指定されています。
その他の建築物も重要文化財に指定されています。
何が国宝かというと、この本殿は、天正11年(1583年)に建てられた現存する最古の大社造りなのです。
最初に建立されたのは、古いはずです。この神社を造ったのはアメノホヒモミコト(天穂日命)とされています。オオクニヌシノミコトを出雲大社祭祀するように命じられた、あのアメノホヒノミコトです。アマテラスオオミカミの第二子とされるこの神は、この地に天降ると、出雲の守護神としてイザナミノミコトを祀りました。それがこの神魂神社の始まりであるといわれています。
何が言いたいかというと、出雲大社よりずっと古いということです。神魂神社の大社造は、規模において出雲大社よりはるかに小さいですが、その他に屋根の上の千木(ちぎ)の形態に大きな違いがあります。
その先端の切り口が垂直(外削ぎ)になっている出雲大社に対し,この神魂神社では水平(内削ぎ)にカットされています。
ご祭神が男の神様なのか女の神様なのかで違うそうです。
本殿の向かって左側には貴布祢(きふね)社があります。社殿が小さいのであまり目立ちませんが、桃山時代の建築様式です。ある2間社流れ造りで、国の重要文化財に指定されています。流れ造りそのものが出雲地方では珍しい社殿です。
また、社務所脇には、古い鉄釜が安置されています。その昔、出雲国造の租神であるアメノホヒノミコト(天穂日命)が高天原から降臨された時乗ってきたと伝えられている釜です。
神様は、UFOの乗り物で下界に降りて来られた訳です。よくよく考えると神様は、色々な超能力(?)を発揮されて国づくりなどをされた訳ですので、もしかしたら、宇宙人だったのかもしれませんね。
神社建築にご興味のあるかたには、必見の神社です。また、伊弉冊大神と伊弉諾大神という夫婦の神が祀られていることから、縁結びを願う人も多いようです。
神魂神社周辺の「六社参り」をすれば両園に出逢う事間違いないと筆者は、考えます。
本殿にお参りをして社を後にすることにします。


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