ハウル@矢野です。
桜の花見もひと段落し、ぼつぼつと葉桜となってきました。牡丹、つつじまで小休止のこちら松江市です。
今回は、古代出雲文化の発祥の地の中心にある「八雲立つ風土記の丘」の紹介です。
松江市の南に広がる八雲立つ風土記の丘は奈良時代に書かれた『出雲国風土記』に登場する出雲国府跡や山代郷正倉跡、出雲国分寺跡、北新造院跡(来美廃寺)などが多数存在し当時の風景を思い起こさせます。
八雲立つ風土記の丘は、それらの遺跡を整備し総合的に保存す活用する目的で作られた全国で六番目の風土記の丘です。
古代出雲文化の発祥の地は、出雲大社のある出雲市と思いきや実は出雲大社より古くから建立の熊の大社や国宝の神魂神社や八重垣神社なども近くに点在していることからもそうであったと伺えます。
風土記の丘から見る風景は、古代出雲のロマンを彷彿するのに十分な歴史を漂わせます。
竪穴式住居なども復元してあり、古代の衣装をマトイ実際に家の中に入ることも出来ます。
その中心となる資料館には、風土記の丘地内出土の遺物をはじめ現存する5風土記の中で唯一の完本である『出雲国風土記』の写本や、県内の古代史を語る多くの遺物が展示してあります。
一角には「出雲国風土記」所載の内、これまで明らかにされている93種の植物を集めた「風土記植物園」もあります。
また、バリアフリーについては、車椅子の方が介護なしで一人で作品鑑賞ができるように配慮してあります。勿論車椅子の貸し出しもあります。
託児所もあり、ニューファミリーにとっても嬉しい施設です。
散策には、貸出無料のレンタサイクルで回ることをお勧めします。
あたりをゆっくりと見渡せば、古代の人の生活がどんなものだったかを想像出来ることでしょう。
また、近接して「かんべの里」もあり出雲に伝わる昔話や民具なども興味を誘われる施設です。
是非、GWの計画に併せてお考え下さい。
ちなみに「八雲立つ」ってどんな意味なのかを引用しておきます。
八雲(やくも)立つ 出雲(いづも)八重垣(やへがき) 妻籠(つまご)みに 八重垣作る その八重垣をと日本で初めての和歌だと言われています。この「八雲立つ・・・」からの命名です。
「八雲立つ風土記の丘」
所在地 島根県松江市大庭町456
公共交通機関 JR松江駅・一畑バス4番のりば八雲行または市営バスかんべの里行 約18分、風土記の丘入口下車
TEL 0852-23-2429
URL http://www.yakumotatu-fudokinooka.jp/
写真をクリックすると別ウィンドウで拡大写真を表示します。
ハウル@矢野です。
桜の花も咲いたと思いきやあっという間に満開時を過ぎ去ろうとしているこちら松江市です。
今回は、松江市石橋町にある桜の名所「千寿院」のしだれ桜の紹介です。
千寿院には、シダレザクラ2本、ソメイヨシノ27本があります。特にシダレザクラは有名です。
緑深い千手院は小高い山の上の寺です。松江市緑地保全地区第一号の指定を受け、町中の寺とは思えない静かなたたずまいをみせています。参道の両側は桜とつつじそして紫陽花なとが植えられており、教百年のもみじの巨木と境内にあるこの地方第一の枝垂桜が枝を広げて迎えてくれています。
しだれ桜は、山ザクラやソメイヨシノと違い、満開になると、柳の木か藤の花のように、サクラのすだれとなりが風になびきます。
2本のしだれ桜のうち、1本は樹齢300年と推定され、枝張りは、四方約18メートルに広がっています。もう1本は、松江藩七代藩主・松平治郷(不昧)の生誕150年を記念して植樹されたものだといいます。これも樹齢100年の古木です。
2つのしだれ桜は、開花時期がずれていて、3月下旬から4月上旬まで花見が楽しめます。
花の色はソメイヨシノよりも赤く、満開時、紅色の花が空を覆わんばかりに見事に咲き誇る姿は圧巻といえます。
境内からは、松江城や松江城下町を一望できます。
また夜はライトアップも行われ幻想的な姿を浮かび上がらせます。
このお花見の時期にはお抹茶の接待も受けられるそうです。
そもそも、千手院(せんじゅいん)は、島根県松江市石橋町にある高野山真言宗の寺院です。この寺は、もとは戦国大名の尼子氏の居城のあった安来市広瀬町富田にあったといわれていますが、江戸時代初め、堀尾吉晴らが松江城を築く際、本丸の鬼門(北東方向)封じとして、この地に移転しました。
ご参考のために しだれ桜(枝垂桜)の花言葉は、純潔、精神美、淡泊です。
●お問い合わせ先= 千手院
TEL(0852)21-1791
写真をクリックすると別ウィンドウで拡大写真を表示します。
ハウル@矢野です。
ここのところの温かさで、筆者の家の1本だけの桜も3分咲きになりました。
今回は、松江市の島根半島東部、日本海側にあるチェリーロードの紹介です。
このチェリーロードは、もしかするとそんなには、メジャーなお花見スポットではないかもしれません。
ここは、バスの路線がなく車で通り抜けする県道なのです。普段は地元に住む人しか通行しないスポットです。
まるでトンネルのような桜並木が島根町の加賀(佐波)から野波まで5kmにわたって続いています。その桜の数約700本、海とサクラのコントラストは圧巻としか言いようのないものです。晴れた日には北東方向にある、遠く隠岐の島をくっきりと見渡すことができます。
そもそもこのチェリーロードは、昭和36(1961)年に野波から加賀間の県道が開通し、これを記念して昭和39(1964)年春に松江村人会から贈られた吉野桜500本が、当時の青年団の労力奉仕により植えられました。
それ以来、平成の始めごろから人づてに「チェリーロード」と呼ばれるようになり、平成6(1994)年12月「新・日本街路樹百景」に選ばれるなど、今ではすっかり名所として定着しています。
毎年4月上旬に見頃になる、5kmに渡って続く約700本の桜のトンネルは海の青とも相まってすばらしい眺めとなり、一見の価値があります。
また、チェリーロードの真ん中付近の(桜公園」では、3月末から4月上旬にかけてイベントが開催されています。地元特産品の販売などで観光客が2万人ほど訪れます。
その期間には一方通行となり東側のの波方向からお通り下さい。
この桜トンネルは、日本海沿いのくねくね道でまた、道幅も狭く車での通行にはお気をつけて運転下さい。
きっと心に残るお花見ドライブとなること間違いないでしょう♪
所在地 島根県松江市島根町佐波~野波
アクセス JR山陰本線松江駅からタクシーで30分車アクセス 松江だんだん道路川津ICから国道431号を経由し、県道21号を島根町方面へ車で21km
駐車場 120台 <無料>
トイレ数 3ヶ所(常設1ヶ所、仮設2ヶ所)
問合せ 松江市島根支所水産観光振興室
TEL: 0852-55-5722
HP 海のまち 島根町観光ナビ
写真をクリックすると別ウィンドウで拡大写真を表示します。
ハウル@矢野です。
3月も終わりに近づき、桜の開花があちらこちらで紹介される既設となった、こちら松江市です。
桜の名所は全国各地にいったいどのくらいあるのでしょうか。日本人は、桜の花が最も好きな人種(?)です。その地域での開花期間が短いことなんでしょうか。
また、長かった寒い冬が終わりだんだん温かくなり、心ウキウキとなる相乗効果だからなのでしょうか。
桜の開花は、1月に沖縄から始まり6月の北海道までなんと一年の半分の期間がお花見できるそんな日本列島だからなのでしょうか。
こちら松江市にも松江城公園を始めとして幾つかの名所があります。
今回は、島根県の西部地方の浜田市三隅町にあります「大平桜」の紹介です。
三隅大平桜は、高さ太さなどすべてにおいて日本一ではないかと筆者は感じています。根元周りは5.4メートル。地上2メートルのところで4本の幹枝に分かれているので、満開のときには雪の小山のような美しさです。
この桜は、所有者である大平富太郎氏の祖先が、馬をつなぐために植えたと伝えられています。
所有者の屋号が「大平」、また木の所在地の字名も「大平」というので、「三隅大平桜(ミスミオオビラザクラ)」と名付けられました。
品種は「大平桜」(学名 Prunus Ohiraensis Miyoshi)として分類され、若芽は帯黄色で彼岸桜、枝葉の形状は山桜と、両方の性格を併せ持った大変貴重な品種です。
推定年齢は660年、目通幹囲6.32m、根元周囲5.38m、樹高17.0m、枝張東西24.0m、南北29.6m、大平桜の日本一の巨木です。
花は白色で、満開の時には、その枝張りの雄大さから、あたかも雪の小山を見るような景観を呈します。
昭和10年(1935年)の国指定時には幹枝が11本ありましたが、山火事、台風などで被災した為、現在は4本が残っています。
毎年4月には、大平桜まつりも開催され、県内外から多くの人が訪れます。
また、三隅公園は、つつじの名所として有名です。
地元三隅町民にとって3月末から5月にかけてはとてもよい環境ですね。
施設概要
住所:島根県浜田市三隅町矢原1257番地外
電話番号:0855-32-2104
写真をクリックすると別ウィンドウで拡大写真を表示します。
ハウル@矢野です。南の国からは、桜の開花の便りも聞きだしました。こちら松江では、3月30日が開花予想となっています。
さて、今回は、一畑薬師とバタデンの紹介です。
島根県の出雲・大社~松江を結ぶローカル私鉄に「一畑電鉄」があります。どうして一畑なのでしょうか。と思われた方も少なくないでしょう?
そもそも、この電車は沿線の一畑薬師参拝用に敷設された私鉄なのです。一畑電鉄には一畑口という駅があり、昔は一畑パーク(遊園地)もあって一畑山までここから線路も伸びていました。「一畑口」の駅は 現在でもスイッチバックになっているのも そういう理由です。
「一畑」 の地名の由来は 薬草(お茶)畑の番号だったそうです。
寺の名称は正式には「一畑寺」ですが、「一畑薬師」という通称が広く親しまれています。
創建は 平安時代の寛平6年(894年)まで遡ります。 一畑山麓の 日本海の赤浦海中から 地元漁師・与市(後に補然と改名)が 引き揚げた薬師如来をご本尊としてお祀りし 医王寺として創建したのが始まりで 与市の母親の目が開いたり 戦国の世に小さな幼児が救かった事から 「目のやくし」「子供の無事成長の仏様」として 広く信仰されるに至りました。
目のお薬師様 子供の無事成長の仏様として有名です。
江戸時代中期になると、一畑信仰は中国地方をはじめ、九州、四国、近畿、東北にまで広まりました。遠方からこの一畑薬師まで参拝に来るのは大変だったので、遠隔地からの遥拝所として「一畑灯篭」が建てられました。出雲地方ではこの灯篭を様々な場所で見ることが出来ます。
あの小泉八雲も松江に来る途中にこの灯篭に見入ったと言われています。
ここでやっと目玉オヤジ像の登場です。 ゲゲゲの鬼太郎の作者である水木しげる氏は、幼少の頃に一畑薬師を篤く信仰する「のんのんばあ(水木家のお手伝いさん)」に連れられ、参拝に訪れていたのだそうです。平成24(2012)年4月8日に「のんのんばあまつり」が開催され、境内には「のんのんばあとオレ像」と「目玉おやじ像」など4体、そしてお寺の玄関口である「一畑口」駅に「目玉おやじ像」1体、合計5体のブロンズ像が設置されました。 眼病祈願で一畑薬師を訪れた際は、「目玉おやじ」も探してみてはいかがでしょうか。
また、一畑薬師までは、ふもとから130段もの石段があり、「一畑マラソン」や「一畑ウォーク」なども行われています。
「バタデン」沿線には、他にも多くの見どころがあります。他の機会にご紹介しようと思います。