名所「神秘のパワースポットの那賣佐神社と岩坪」の紹介!
ハダル@矢野です。空梅雨なのか雨がほとんど降らない松江市です。今朝に発災いした大阪北部の地震で災害にあわれた方々にお悔やみとお見舞いを申し上げます。最近の日本列島各地での地震の多さにこの地域は安全という事はないと改めて感じるこの頃です。
さて、今回は、名所「神秘のパワースポットの那賣佐神社と岩坪」の紹介です。
まずは、西出雲から多岐へ抜ける農道沿い、高倉山に鎮座する出雲市の那賣佐(なめさ)神社の紹介です。この広域農道は、今の時期、新緑で山々が彩られ、通っていて気持ちのよい道路の一つです。
入り口の鳥居から本殿まで230段(!)の階段があり、登っていく内にだんだんと神秘的な雰囲気につつまれます。風邪にそよいで、竹林から葉のこすれる音がしてさらに神秘度が増しているようです。境内には名木と案内がある木が3本あり歴史の古さを感じさせます。
試練の多かった夫を支える良き妻、スセリビメノミコトが祀られる神社です。
以下は入り口の案内板より抜粋した御由緒です。
那賣佐神社
[御祭神]
葦原醜男命
須勢理姫命
大国主命の又の名を葦原醜男命(あしはらしこお)と申し上げ其の后神は須佐之男命の御子でこの里の岩坪で生誕せられたという須勢理姫命(すせりひめ)であります。
天平五年(西暦七三三年)に編纂された出雲国風土記によれば御祭神御夫婦が仲睦まじく岩坪の宮殿でお暮らしになっていた或る日、社前の渓流が岩苔の上をなめらかに流れているのをご覧になって「滑し盤石(なめしいわ)なるかも」と仰せられた「なめしいわ」を約って「なめさ」となり、この地方を滑狭郷(なめさのさと)と称するようになった記録があります。
又これより約二百年後の、延喜式神名帳に当社は神祇官に登録してある神門郡二十七座の内にあり、これを式内社といいます。
享保年間の雲陽誌には高倉明神とあり高倉山に鎮座せられているところから通称「高倉さん」とも称し、明治五年には社格郷社に列せられるなど洵に由緒深い神社であります。
すぐそばにある岩坪の案内です。須勢理姫命生誕の地とされている岩坪です。
案内板によると江戸時代には5つあったらしいです。たまった砂を掘り出して雨乞いに使用したともあります。
岩坪は水流の浸食に伴いできた丸い穴で、最小が直径50センチ、深さ20センチ、最大は直径2.5メートル、深さ1.4メートルにも及びます。
オオクニヌシノミコトの妻・スセリヒメの生誕の地との伝承があり、パワースポットとして訪れる人が増えています。
御祭神御夫婦が仲睦しく岩坪の宮殿でお暮しになっていたとき、ある日社前の渓流が岩苔の上をなめらかに流れているのを見て「滑し磐石なるかも」と言ったのが「なめしいわ」「なめさ」となり、この地方の名の由来となったといわれています。
の地方を(神西・江南)を滑狭郷(なめさのさと)と言うようになりました。
すなわち、郷名の発祥地は、ここの岩坪の地です。
更に「出雲国式社考」には、この岩坪は、ふだんは砂を満たしているが、旱魃の祭、これを掘り出し雨乞いすれば忽ち雨が降るという伝説があることも記述されています。
一般に甌穴とは、急流の川床の岩面にできる鍋状の穴をいいます。円い礫が穴の中に入って流水によりこれが回転し、永い間に岩面に大きなくぼみをつくったと考えられます。
この岩坪は、古い文献にもみられる貴重な天然記念物であり史跡です。
このスポットのご利益 縁結び、子授、夫婦和合、五穀豊穣、養蚕守護、医薬、病気平癒、産業開発、交通・航海守護、商売繁盛、厄除け・厄払い
スセリヒメも見たであろうヒメボタルやゲンジボタルをたくさん見ることができます。多くの人に来てほしいと思います。
「那賣佐神社」
島根県出雲市東神西町720
「岩坪」
島根県出雲市東神西町(番地不明)