松江/山陰バリアフリーツアーセンター
総アクセス数:14644203
今日のアクセス数:7298
昨日のアクセス数:11166

不昧流は他の茶道とどこが違うの?!

2018年06月19日 13:14   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
コメント(0)


ハダル@矢野です。今年は、松平半7代藩主没後200年という事で松江市では色々なイベントがあります。中でも茶道の不昧流にちなんだ事柄が多く催されています。
私自信も他の茶道とどこが違うのかさっぱりわかりませんので少しだけ調べてみました。
「あれ?茶道ってただお茶を点ててお茶碗を何回か回して飲めばいいんじゃないの?」と思っている方も多いのではないかと思います。
しかし、茶道の歴史は鎌倉時代から始まっているのです。そのため、長い歴史の流れともに、「茶道」、「茶の湯」という言葉を軸にさまざまな形がうまれていきました。500以上の流儀があるようです。
さまざまな流派を知ることも茶道の楽しみですね!
その多くの流儀の中で三、千家(さんせんけ)ッてなぜよく見聞きするのでしょうか?
それは、歴史に関係があります。まず、三千家というのは「表千家」(おもてせんけ)、「裏千家」(うらせんけ)、「武者小路千家」(むしゃのこうじせんけ)と呼ばれます。この三千家は千利休の孫である千宗旦(せんのそうたん)の子どもたちが作ったものなのです。
現在の茶道の生みの親である「千利休」が絡んでいる事などはご存じの通りです。
千宗旦には4人の息子がいましたが、長男は勘当され、次男が一翁宗守(いちおうそうしゅ)といって「武者小路千家」(むしゃのこうじせんけ)を、三男が江岑宗左(こうしんそうさ)といって「表千家」(おもてせんけ)を、四男が仙叟宗室(せんそうそうしつ)といって「裏千家」(うらせんけ)を作ったのです。そこからそれぞれ、家元制度になっていって組織として大きくなっていったのです。
では、種類が違うこの三千家にはどのような違いがあるのでしょうか?
それは扱う茶道具や作法です。例えば、お客様におもてなしをする亭主(ていしゅ)や半東(はんとう)が腰に身につける帛紗(ふくさ)の色や柄も違います。裏千家で使う帛紗(ふくさ)の色は、男性は紫色で女性は赤色です。表千家と武者小路千家で使う帛紗(ふくさ)の色は、男性は紫色で女性は朱色です。難しくなってきましたが、これを知っているのかどうかでお茶席に招待されても慌てる事もなく平然としておられます。
さらに、お抹茶は薄茶の場合、よく泡立っているお抹茶が裏千家、あまり泡を点てないお抹茶が表千家と武者小路千家となります。泡をたくさんたてることでまろやかな味わいになります。
そして、正座の仕方にも男女で違いがあります。裏千家では、男性はこぶし2つ分両膝をあけ、女性はこぶし1つ分あけて座ります。表千家は、男性は安定する広さに両膝をあけ、女性はこぶし1つ入るくらいに膝を明けて座ります。武者小路千家では、男性はこぶし1つ分、女性は膝を開かずに正座します。
流派によって作法などの動きや道具の違いもあります
また、お辞儀の仕方では、裏千家ではおなかが膝につくほどの丁寧なお辞儀をする真(しん)、前に身体をかがめるほどのお辞儀をする行(ぎょう)、軽くお辞儀をする草(そう)と呼ばれる3種類のお辞儀の仕方があってそれぞれ使い分けます。
表千家は、八の字に両手をついて横からみて30度くらいの角度までお辞儀をします。男性は両手を20cm位、女性の場合は両手を7~8cm位をあけます。武者小路千家では、男女とも左手が前になるように両手を膝の前で軽く合わせてから、軽く指先を畳につけて背筋を伸ばしてお辞儀をします。
皆さまは座敷ではどのタイプでしょうか?
前置きが長くなりましたが、これからが本題です。
不昧流は松江藩松平第7代藩主松平治郷(不昧)(以下不昧公と称す)によって創設されたものです。
 不昧流の特色の一つは不昧公が正式にお茶を習い始められたとほぼ同時期に麻布天真寺の大巓(だいてん)和尚のもとに参禅され、禅の道を究めて行かれたため、茶道と禅は同じ道を志しているという茶禅一味の境地に到達されたため精神性が強いという点があります。
公自身が色々な流派を学び、また家来にも他流派を学ばせその中に残っている利休流の良いところを取り入れて(諸流皆我が流にて『茶礎』)いかれました。
 そのため、清潔を旨とし(挨拶の時にも畳に平手を付けないで軽く拳を握って挨拶)、蒔絵の棚、蒔絵の炉縁などあまり華美と思える道具は避けて、茶箱、棚などは白木を使う。衣服も質素に無地を使う場合が多い。見せ場のあるような点前は好まず、無駄と思える所作は省いた簡素なお点前で、日常的に食事の時に飯を食べ汁を吸う(茶の湯心得)というように無造作で淡々として潔く目立たない点前を良いとしました。
 石州流に本を置きながら利休道歌の実現、草庵の侘び茶こそ理想とする武家流と町人流の茶の総合が不昧公のお茶の本質で、当時江戸では不昧公のお茶は今までとは違うと人気が出て、雲州流とか不昧流といわれるようになり大名、町人、医者、道具商など門弟が増えていきました。
どおりで、お茶席でも「好きなようにお召し上がりなさい。」と言われる訳です。
少しは参考になりましたでしょうか?!