松江城天守が築城時に戻って広くなった?!
ハダル@矢野です。今回は、松江城天守に展示されていた展示ブツが一旦撤去されて広くなり、今まで見えなかったところも見えるようになったという話題です。
松江城天守の1階から最上階の5階までに置かれていた展示ケースや展示品が撤去され、ほぼ江戸時代のままの状態が見られるようになりました。その期間は、6月に展示を一新するまでの一時的な措置です。
そもそも松江城天守は、城の床面積は現存する全国12城の天守で、姫路城天守についで2番目に広いそうなんですが、展示品が多く折角の特徴が隠れて見えなくなったり、広さを感じ憎くなったりしてきた為に展示ブツを吟味のうえ一新する事になりました。天守の展示物は、市が旧藩主の松平家から天守を譲り受けた1927年以降、少しずつ増加してきました。市民から寄贈を受けた甲冑(かっちゅう)など、城に関係のない展示物も多かったことから、見学者から「わかりにくい」という声が上がっていたのです。
松江市では城にゆかりのある展示品に限定し、天守自体の特徴がわかるようにしようと、3月末までに25の展示ケースや城下町のジオラマなど163件、約15トンを撤去しました。
1階に足を踏み入れると、壁際にあった展示ケースや柵がなくなり、がらんとしています。薄暗いフロアにあるのは松平松江藩の初代藩主・松平直政の銅像と、登城や非常時の呼び出しを伝える太鼓だけです。約400年前の築城時の様子が伝わってきます。
確か、江戸時代の文献によると、1階南西角には便所があったとされています。展示ケースの撤去により、かもいと敷居の跡がわかるようになり、引き戸があったことが想像できます。壁には、四角形にくりぬいた「狭間(さま)」があるのが面白い。敵に向かって鉄砲や矢を放つために作られたという。
1階の床面積は447平方メートル大きい付け櫓ついているのでそのくらいは想像出来ます。今までは、殺風景だなと思っていましたが、展示があればそちらにばかり目がいきます。狭間の造りなどの見どころはたくさんあってじっくりと見学できます。
確かに2階でも、石垣をよじ登る敵兵に石を落としたり熱湯を浴びせたりするすき間「石落(いしおと)し」や、2階分の柱を随所に立てて天守の重さを支える「集成材の通し柱」などの建築技法がより見学しやすくなった印象です。一方、狭間は閉じられて外が眺められないのが残念でした。新展示には、外国人観光客に国宝の価値を知らせる外国語の説明板も必要でしょう。ですが、展示物は極力絞り込み、江戸時代の趣を感じられる名城を目指してほしいものです。
築城当初の天守の様子を体感できる機会です。隅々まで目を向け、広さを感じてみられます。是非、この機会に国宝松江城天守を訪れてみてはどうですか!