松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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国引き神話の島根半島がジオパーク認定へ!!

2017年05月22日 14:50   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。今年は一体どうなっているのでしょうか?まだ、5月だというのに昼間は暑くてたまらない松江市です。
さて、今回は、今年、2017年の日本ジオパーク認定に向けて地元では、認定に一生懸命だという話題です。
出雲国風土記に登場する島根半島一帯の認定を目指す官民組織「国引きジオパーク推進協議会」(会長・松浦正敬松江市長)が、ジオパーク審議会に島根半島の地質学的特徴と神話や歴史文化を結びつけ、魅力発信につなげる意欲をアピールしました。
先月には出雲大社近くの稲佐野浜から出雲日御碕から見る夕陽が日本遺産に認定されたばかりです。
国引き神話の概略はこうです。
昔々、出雲の創造神、八束水臣津野命は出雲の国を見渡して「この国は、細長い布のように小さい国だ。どこかの国を縫いつけて大きくしよう」とお思いになりました。
そこで、どこかに余分な土地はないかと海の向こうを眺めると、朝鮮半島の新羅(しらぎ)という国に余った土地がありました。ミコトは、幅の広い大きな鋤(すき)を使い、大きな魚を突き刺すように、ぐさりと土地に打ち込み、その魚の身を裂いて切り分けるように土地を掘り起こし、切り離しました。そして三つ編みにした丈夫な綱をかけて、「国来、国来(くにこ、くにこ)」と言いながら力一杯引っ張ると、その土地は川船がそろりそろりと動くようにゆっくりと動いてきて出雲の国にくっつきました。こうして合わさった国は、杵築(きづき)のみさき【出雲市小津町から日御碕まで】になりました。その時、引っ張った綱をかけた杭が佐比売山【さひめやま、現在の三瓶山(さんべさん)】で、その綱は薗の長浜になりました。
その後も、ミコトは北の方の国から同じように狭田(さだ)の国【小津から東の鹿島町佐陀まで】と、闇見(くらみ)の国【松江市島根町のあたり】を引っ張ってきてつなぎ、最後に北陸地方の高志(こし)の国から引っ張ってきた国が三穂の埼【松江市美保関町のあたり】になりました。この時、ミコトが引っ張った綱をかけた杭は伯耆の国の火の神岳【ひのかみたけ、現在の大山(だいせん)】で、持って引っ張った綱は夜見の島(弓ヶ浜)になりました。
そしてミコトは「国を引くのが終わった」とおっしゃって、杖をおつきになって「おえ。」と言われたので、その地を意宇(松江市大庭町の周辺)というようになりました。
島根半島が無ければ、宍道湖の南はすぐに中国山地ですので当時?は本当に細長い土地でした。島根半島の地名は朝鮮半島の影響を受けていると思われています。
よその国にグサッと犂を突き立てて引っ張ったのですから島根半島の北側は切り立った海岸線が続いている訳です。正に「ジオパーク」にはうってつけの地学的にも十分なように思われますが、さて、審議会ではどのような結論となるのでしょうか。少し興味を持って見守ろうと思います。