6月16日は和菓子の日です
ハウル@矢野です。
昨日は沖縄では全国の先頭を切って梅雨明けしました。松江では梅雨真っただ中で、合間の太陽が珍しく覗くと一気に高温になったり、自律神経も耐えがたくなっています。
今回は6月16日は和菓子の日という話題です。皆さまもご存じ?の通り松江は京都、金沢と並んで和菓子は名物となっています。最近ではスイーツとかいって一緒にいただくのはコーヒーが圧倒的なのでしょうが、和食と同様に和菓子は世界中でも日本にしかないスイーツ?です。
松江では年に数回、お抹茶の茶会がもようされます。宍道湖に浮かぶ嫁が島に船で渡っての茶会なども珍しいところではモヨウされます。
この6月16日の和菓子の日にちなんで、地元の松江市のイオン松江ショッピングセンターでは、地元の和菓子や日本茶、茶器の店が、訪れた人たちに自慢の菓子とお茶を器に入れて、無料で振る舞いました。訪れた人たちは、和菓子とお茶をゆっくり味わっていました。
そもそもは、水の都、松江に和菓子が伝わったのは江戸期のことで、外国から伝来し全国の城下町へと広まり百品以上の和菓子がつくられたのが、松江和菓子の歴史の始まりです。松平不昧公(まつだいら ふまいこう)が松江藩の藩主であった時代に、裕福商人たちなどにより不昧公好みの「山川」や「若草」、「菜種の里」など、多くの和菓子が愛されました。
不昧公は茶の湯の名人でも知られ、「不昧流」というお茶の文化をこの城下町松江に発展させました。 不昧公 七代松江藩主 松平治郷
不昧公は、茶会に用いた和菓子の数々を記録に残しており、その中のいくつかは「不昧公好み」と呼ばれて、今でも松江を代表するお菓子として親しまれています。不昧公の茶人としての活躍が、松江の茶の湯の文化を根付かせるきっかけになりました。茶の町松江のルーツなのです。
松江は古くからお茶和菓子の分化が発展し、天神町寺町付近には、お抹茶・和菓子のお店が五つ点在しており、付近を散策しながら老舗の味を楽しめます。
ここで、そもそもの和菓子の日の由来を引用しておきます。
昭和54年6月16日に【和菓子の日】ができました。
和菓子の日の由来は古く、平安中期に国内の疫病が蔓延したことで、仁明天皇が承和15年を嘉祥元年に改めました。
嘉祥元年(848年)の6月16日に16個の菓子や餅を神前に供え、厄病除けや健康招福を祈ったのが由来と言われています。
ちなみに嘉祥=めでたいしるしという意味です。
江戸時代の宮中では、天皇から下賜された「1升6合」にちなんで、1と6を足した7種類の菓子が用意されたようです。
また、大阪では「笑わず餅」といった16種類の漢方エキスの入った餅を食べる事もあるようです。
16に拘っているのですね。16茶も関係あるのでしょうか?
松江にお越しの際には和菓子の食べ歩きを楽しんでみて下さい。