松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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出雲松江藩の松平出羽守は道楽ものだったの?!

2015年10月06日 14:10   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
コメント(1)

ハウル@矢野です。
ここのところお天気続きのこちら松江市です。暑くもなく寒くもなく食欲をそそる季節となりました。
水の都松江市では10月は特に舟遊び(?)が多いようです。
松江城お堀を巡る遊覧船を始めとして宍道湖と中海を繋ぐ大橋川に渡船や遊覧船が期間限定で走り回っています。
また、松江祭鼕行列は、10月の第3日曜日に、松江神社の例大祭に合わせ松江の開府を祝う祭として行われています。
毎晩のように「ドン ドン ドン」と各町内から大きな太鼓を打ち鳴らす音が聞こえています。子供から大人まで集まって練習をしているのです。松江市民はこの音で秋がだんだん深まるのを感じます。
運がいいと飛び入りで太鼓を打たせてもらえるかもしれませんよ。
さて、前置きが長くなりましたが、今回は出雲松江藩の松平出羽守はちょこちょこ落語に登場しています。という話題です。
しかも登場の時代を考えるとどうも松江藩7代藩主の春里(不舞公)のようです。財政難の藩を引き継ぎましたが家老2人に命じて10年で赤字の藩の財政を黒字に転じました。その上内部留保も相当残ったようです。藩が豊かになったというと幕府から新田開発やら治水事業などを命じてお金を使わせたようです。このお殿様は名君だったのかバカ殿さまだったのかよくわからないところがあります。一説によると財産を茶器や工芸品に変えたのだといいます。ここのあたりから落語に登場したのかもしれませんね。
例えば「猫餅」です。参勤交代の時に評判が聞き及びました。
近くに住む喜作という若い百姓が客を引くようにと、招き猫を彫ってくれたので、銭箱の上に載せておいたが、その猫は鼠に鼻を齧られてしまった」というのだ。
これを聞いた旅人はその猫を直して、〈いただき猫〉と名付けた。その猫の手のひらに餅代をのせると、ニャーと鳴いて手のひらを返して銭を箱の中に落すのだ。旅人は名も告げずに店を出て行った。
このいただき猫が評判となり、月之屋は繁盛し出した。参勤交代で道中をしている雲州松江の城主、松平出羽守の耳に入り、「余も猫餅を食したいのぅ。いただき猫に勘定を払いたいのぅ」とやってきた。猫餅を食し、いただき猫に勘定を払い、その鑿の跡を見て「この作者は飛騨高山の左甚五郎利勝に相違あるまい」と看破し、ばあさ
      ん、喜作ともどもに褒美金をやった。
そんなことから、店はまた評判を呼んだ。
他にも飛騨高山の左甚五郎利勝にマツワル話がいくつかあります。300~500両を支払ったと言われています。
また、「火炎太鼓」です。これも参勤交代でたまたま通りがかった時の事です。
あらすじは確かこのようだったと思います。
この日、甚兵衛が仕入れてきたのは、古く汚い太鼓であった。あまりにも汚いので、丁稚の定吉に店先でハタキをかけさせていると、定吉が手を滑らせて音を鳴らしてしまう。
たちまち、一人の侍が店に飛び込んで来た。大名が駕籠で近くを通っていたようで、太鼓の音が大名の癪に障ったのかと、甚兵衛たちは戦々恐々である。
ところが、侍の話では「通りかかった主君の赤井御門守様(雲州松平家)が、太鼓の音をえらく気に入り、ぜひ実物を見てみたいから屋敷まで太鼓を持って来て欲しい」という。
甚兵衛は喜ぶが、妻は「こんな汚い太鼓が売れるのか」と不審を抱く。「どうせそんな太鼓はほかに売れっこないんだから、元値の一分で売り払ってしまえ」とまで言い放つ。
甚兵衛が屋敷に太鼓を持参し、殿様に見せると、たちまち売約が成立する。殿様によれば、自分は目利きであり、この太鼓は国宝級の価値ある名品「火焔太鼓」だという。なんと三百両で買うという。甚兵衛は、腰を抜かし、出された金を百五十両まで数えたところで泣きだす始末。
話が長くなりましたのでまたの機会に続きます。

コメント一覧

  • 呉バリアフリーツアーセンター (2015年10月06日 16:23)

    呉センターの瀬戸口です。藩財政を立て直し、文芸を好むお殿様。いいですね。

    一介の小市民の私としては非常に憧れます