世界初の缶コーヒーは浜田市発だった?!
ハウル@矢野です。
今日から5月に入り、風薫る季節の本番がやって来た松江市です。
今回は、「世界初の缶コーヒーは浜田市発だった?!」という話題です。
おそらく、多くの方々は、「UCC」の上島珈琲じゃないの?と思っていらっしゃることでしょうが、本格的に販売し現在も販売し続けているのはそうなんですが、島根県西部の浜田市では、「浜田市」だと盛んにアピールをしています。
今では日本中のどこでもコーヒーの自販機が設置されていますね。缶コーヒーを飲む前によく降ってからプルタブを開けますが、開発当時は、いまどきの比ではなかったようです。振っても缶の底にとどったコーヒーは容易に混ざらなかったんです。これを解決するのに試行錯誤を随分繰り返したとか聞きました。
そもそもいつごろから缶コーヒーが販売されたのでしょう?
少し調べて見ました。
世界初の缶コーヒーとなっているのは、浜田市三隈町生まれの三浦義武(1901~80)が編み出した「ミラコーヒー」というそうです。1965年9月14日、東京の三越百貨店で売り出されました。独自の製法でつくられたコーヒーは、自身の名前と店名を冠してヨシタケコーヒーとも呼ばれていたそうです。司馬遼太郎は三浦義武について、「絵画において富岡鉄斎、陶芸において柿右衛門を誇るがごとく、コーヒーにおいてかれを世界に誇っていいであろう」と絶賛するほどの人物でした。
1968年まで販売されたミラコーヒーは200g入り80円で、砂糖がありミルクはなかったようです。50年前にしては、結構高いような気がします。
三浦義武さんてどんな人だったのでしょうか?
島根県浜田市出身で、地元の中学校を卒業後、早稲田大学に進学、この頃からお茶にすごく興味があったようです。しかも、バッハやナポレオンのように無類のコーヒー好きだったようで、日本橋で豆を挽いて販売したり、有名喫茶店でコーヒーを飲み歩き中毒になって何度も倒れたのだとか・・・。若い頃からコーヒーを研究しており、銀座で「コーヒーを楽しむ会」を組織してもいたようです。
そして、1963年より缶コーヒーの開発を本格化し、ついに1965年世界初の缶コーヒー「ミラ・コーヒー」の開発に成功しました!このミラってなまえは、三浦とミラクルを掛け合わせたのだそうです。
しかしながら、せっかく販売に漕ぎつけたのに数年で経営不振となり倒産してしまいました。誠に残念な事です。
自販機の普及と共に缶コーヒーは爆発的に販売が増えました。
浜田市では、コーヒーの専門家を招いて「コーヒー講座」を開催したりアピールに余念がないとか・・・。
浜田市と言えば、中国地方有数の漁獲高を誇る漁港です。そこで培われた製缶技術とのコラボがあったからこそ成功したのだろうと考えます。
コーヒー好きと感ず目が結びつくこともあります。何が要因となるかわかりませんね。