ハダル@矢野です。
もうすっかり、秋模様の松江市です。
今日は、10月16日に「松江祭鼕行列」が3年ぶりに開催されました!という話題です。
当日は、天気にも恵まれ、気温26℃、少し暑いくらいの中で、行われました。
鼕(どう)行列は、「松江神社」の例大祭、松江開府を祝う祭りで、鉄の車輪の付いた屋根付き山車屋台に
4尺(1.2m)~6尺(1.8m)の鼕(どう)と呼ばれて いる太鼓を2~3台据えて、
笛やチャンガラの囃子に合わせて打ち鳴らし、子どもたちが綱を引き十数台で行列をする松江の秋を彩る風物詩です。
夏の終わり頃から夜になると各町内でこの鼕を叩く音が聞こえて来ます。
町内毎に鼕の叩き方が違うために練習をしているのです。
町内の長老から子供たちへ伝統が伝えられ、連帯感が深まる行事と言えます。
そもそもこの祭りは、江戸時代に松平五代藩主・宣維(のぶずみ)公に京都から岩姫が輿入れされたことを祝い、
町民が鼕を打ち鳴らしたことが祭りの始まりと言われています。
そして、現在のように行列をするようになったのは、大正天皇の御大典の時からです。
秋の空にお腹まで響きわたる鼕の音は、松江市民にとってはこだわりのある祭りです。
開催場所は、松江市 松江城周辺~市内一円です。
子供たちも練習の成果を発揮べくはっぴ姿で、頑張ります。
また、私も経験しましたが、市内を練り歩く行列を堀川遊覧船から見物するのも違った味わいがありました!
いつまでも、このお祭りが継承され、町内の人と人の繋がりを絶やさないで、もらいたいものですね!
ハダル@矢野です。
ここ出雲では、10月は、神在月といいます。
神様がお集まりになり、縁結びの会議をなさいます。
神様に日本酒が関係しているようです。
今回は、「島根は日本酒発祥の地」という話題です。
ここ松江市内にも幾つかの酒蔵があり、日本酒の試飲をしています。
3軒もはしごをするともう足元もおぼつかないことになります。
各酒蔵には、甘口から辛口まで何種類かあります。
かつては、日本酒の消費量が一人当たり全国一の時代もありましたが、今は5に低迷(?)しています。
しかし、相変わらず日本酒好きの県民性には変わりはありません。
そもそも、島根にはよい酒ができる大切な三つの条件が揃っているのです。
きれいな水を育む豊かな自然、高品質の酒造好適米、伝統と優秀な技術を誇る出雲杜氏・石見杜氏がいます。
現在、島根県内には35場の蔵元があり、いずれも立派な品質の酒を造っており
毎年全国新酒鑑評会等で優秀な成績を挙げています。
古代の神様たちも全国に先駆けてこの島根の地に目をつけられたのです。
出雲神話のエピソードや出雲国風土記、日本酒の神様を祀る神社など古来より
この地と日本酒に深い関係があったことを教えてくれています。
出雲大社の東にある出雲市平田町には、お酒の神様をお奉りした2つの神社があります。
酒造りの神である久斯之神(くすのかみ)を祀る佐香神社と松尾神社です。
酒の古名である「佐香(さか)」の名をもつこの地は、出雲国風土記にも
『この地に神々が集い、調理場を建て酒を醸造させられた。
180日間、酒宴を開いた後、お別れになった。故に佐香という。』といった記述で紹介されています。
この神社では酒造を年間180リットルだけ許可されており、毎年10月に行われる
濁酒祭では仕込まれた濁り酒を神前にお供えして1年の酒造祈願をします。
出雲神話には『スサノオノミコトがヤマタノオロチに八塩折(やしおり)の酒を飲ませ、
酔ったところを退治してクシナダヒメを救った』という有名なお話があります。
神話の時代、この地に酒造りの高度な技術があったことが伺えます。
島根は日本酒発祥の地といわれることも納得のいくところですね。
酒造りを見学して、試飲をすれば日本酒好きな方でなくても買いたくなること請け合いです。
(過度の飲酒にはご注意を!)
8月27、28日、「全国バスマップサミット in 松江」を島根県民会館で開催しました。
北は青森、南は沖縄から、全国各地のバスマップや公共交通に関わる方々にご参加いただき、
おかげさまで盛大な会になりました。
ご来場いただきました皆様、誠にありがとうございました。
今回のサミットに合わせ、記念事業を行いましたので紹介します。
●プロジェクトゆうあいが発行する『どこでもバスブック』に毎号掲載してきた
「愛のバスものがたり」の小冊子を制作しました。
夫婦漫才「よしこじゅんじ」の角純二氏執筆のバスに関する小文と、
物語にあわせた挿絵で構成される22編の物語です。
また巻末には「愛のバスまんが」「愛のバス短歌」も掲載。
価格は200円(税込み)で、今後書店等で販売予定です。
●松江市役所近くにある宍道湖大橋北詰バス停を、「第19回 全国バスマップサミット・記念バス停」として
リニューアルしました。
車道側デザインは、2022年度版『どこでもバスブック』(第23号)の表紙を活用しており、
歩道側デザインは上記の小冊子「愛のバスものがたり」のイラストを活用しております。
この事業は、しまね社会貢献基金を活用したクラウドファンディングに採択されました。
島根県内の社会貢献活動の参加を応援するサイト「島根いきいき広場」を通して、
「愛のバスものがたり」制作と、「全国バスマップサミット in 松江」の開催資金を募りました。
9月14日時点で、494,500円のご寄付をいただきました。
この場を借りて感謝を申し上げます。
誠にありがとうございました。
今後も路線バスをもっと身近に、楽しく利用していただけるよう、路線や時刻などの情報を分かりやすく
お伝えしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
私たちの眼の奥には『網膜』という光を感じる膜があります。
そこが壊れると、暗いところで見えにくくなったり、視野が狭くなったりします。
完全に失明していなくても、歩くときには白い杖が必要になってくるのです。
網膜の病気は、外見からは視覚に障害があるということがわかりにくいのです。
見えているのにわざと白い杖をついているのではないかと不思議な顔をされることがあります。
電車・バスで席を譲られてスマホを見たりすると、「見えてるくせに見えないふりをしているのではないか?」と
そう思われることもしばしばあります。
しかし、実際に五円玉の穴ほどしか見えていなかったり、ものがゆがんで見えたり、
スマホを見ることができても、白杖を使わないと安全に歩くことができないのです。
どうか、網膜の病気を理解してください。
■なぜ、9月23日を[網膜の日]と決めたのでしょうか?
9月23日は、昼と夜の長さがほぼ同じになります!
明るさは、網膜の病気の抱える患者にはとても重要なのです。
夜が長くなると、歩ける時間がどんどん短くなります。仕事に行けなくなることもあります。
網膜細胞が破壊されると、明るい昼間の長さということがとても重要になります。
網膜色素変性症、緑内障、糖尿病網膜症、加齢黄斑変性、網膜剥離など、網膜の病気はさまざまです。
9月23日は毎年「網膜の日」です。
このような病気があること、そして白い杖をもっていても「完全に見えない」のではなく
「見えにくい」人もいるということをわかってください。
白い杖を見かけたら、ぜひ「何かお手伝いしましようか?」と声をかけてください!
ハダル@矢野です。
何だか一気に季節が進んだようで、蝉の音が聞こえなくなった松江市です。
このまま秋に突入するのでしょうか?
さて、人は老若男女また、身体に障がいがあろうとなかろうと、人は、金銭欲・食欲・性欲・旅欲など人それぞれで、
各欲の大小はあれそれを達成?すべく生きていますね。
今日は、その中でも旅欲についての話題です。
少し調べてみると、一般庶民の旅の始まりは、江戸時代からのようです。
しかし、当時は関所が置かれたり、そもそもは藩外へは出られない事となっていましたね。
参勤交代の藩士や僧侶など著名な人は藩から通行手形を発行してもらい関所を通っていました。
参勤交代の制度のおかげで道路網が整い、一里塚ができ、宿場が整えられていきます。
人々は自分の生まれた土地から一生出ることはできませんでしたが、ひとつだけ許される場合がありました。
それがお伊勢参りなどの寺社詣と、病気やケガ治療のための湯治旅です。
温泉に関して言えば、この時代は温泉に関する研究も進んでいます。
医学の発達とともに温泉は宗教としての意味合いを薄くしていきます。
このころに出された書物として「一本堂薬選続編」(1738)があります。
温泉の効用について詳しく書かれています。
話を戻します。
寺社詣のためなら、誰でも旅に出てもよいとはいっても、旅に出るには多くのお金を用意しなくてはなりません。
ところが、武士や大商人だけでなく、年貢を搾り取られていたはずの農民たちも相当数旅に出ていました。
それでは一体、どれくらいの人たちが旅に出ていたかといいますと・・・
伊勢神宮にはこの時代、多くの人(推定年間100万人)がお参りをしていたのですが、
大体60年に1回くらいの周期で伊勢神宮に全国から津波のように人が押し寄せたようです。
ぬけ参り・おかげ参りと言います。
記録によるとその数、年間200万から300万もいたそうです。
大商人や武士ならいざ知らす、庶民たちは旅費など工面できるはずもなく、実際のところ何も持たずに家人にも告げず、
熱病にかかったように突然旅出っていったそうです。
彼らは集団を作り、白衣に菅笠でのぼりや万灯を押し立てて、
「おかげでさ、するりとな、ぬけたとさ」と歌い踊り歩いたので、ひと目でそれと分かります。
お金に困れば道筋の家々が食べ物や宿泊の場所を与えてくれました。
(それでおかげ参りと呼ばれるようになったんだそうです)
また、「講」を作ってみんなでお金を出し合って順番にそのお金を持って旅に出るということもしていたようです。
このようにしていったん旅に出てしまうと、お伊勢参りを口実に、京、大阪見物をしたり、名所旧跡めぐりなど、
自由な旅を楽しむことができたのです。
各藩は湯治のために温泉の整備を進めていましたが、庶民でも許可をもらって入るこ
とができるようになってきたため、 温泉につかってのんびりと過ごす人も大勢いたそうです。
人々を日常のあらゆる拘束から解き放った寺社参りの旅は、こうして観光・娯楽の色合いを強めていったのです。
旅の盛んなこの時代には、旅のガイドブックのようなものもいくつか出ていたようですね。
また、旅行会社のようなものもあったそうです。宿泊の宿にその看板を掲げて、いたとも聞いています。
現代、移動時間も短く情報過多の時代とは想像もつかないところではありますが、
それだけ、未知の楽しみに期待するのは旅欲の原点ですね。