松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江/山陰バリアフリーツアーセンター の活動状況や、各種お知らせを掲載します。

松江城堀川をぐるっとまわるこたつ遊覧船!

2021年12月22日 15:32   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。

いよいよ丑年もあと一週間となり、年賀状書き、大掃除、買い物等々、気忙し気
ちの割りには、あんまり進んでいない方もおられるのではないかと思います。
さて、松江の冬の風物詩も数ありますが、「松江城堀川をめぐるこたつ遊覧船」も定着してきました。
そもそもですが、「堀川遊覧船」について紹介します。
小舟に乗って松江城下のお堀端の3.7㎞を巡る水の都・松江ならではの船旅観光なのです。
山陰唯一の天守閣をはじめ、武家屋敷、塩見縄手の老松など風情ある町並みなどを、
グルッと一周、約50分かけての船旅が楽しめます。
16ある橋のくぐり抜けでは、船の屋根が下がってきてスリリングな場面も体験!
船頭さんのいなせなガイドもいい味出してますよ。
船頭さんによっては、松江城や松江のこぼれ話も聴けるとか・・・。
船の上から見える松江市の町並みは、誰もが忘れかけた懐かしい日本の風景を思い起こさせ、
川面を渡る風は時間を忘れさせてくれます。
冬の間(11月中旬~4月上旬)はユニークなこたつ船へと衣替します。
足元を温めながら、小雪舞う堀川をしっとり巡る光景、特に雪景色が最高ですよ!
頬をなでる冷たい風に冬の寒さを実感しながらも、ポッカポカのこたつにほっこり。
何とも言えない船旅が満喫できることでしょう。

(発着場)
・松江堀川ふれあい広場(松江・堀川地ビール館奥)
・大手前広場(島根県民会館北側・松江城南東側)
・カラコロ広場(京店)
電話番号 0852-27-0417
所在地 島根県松江市黒田町507-1
定休日 なし (荒天の場合、欠航することもあります)
駐車場 城山西駐車場
アクセス 山陰道松江西ランプよりR9経由宍道湖大橋を渡り各乗り場へ
ホームぺージ http://www.city.matsue.shimane.jp/kankou/jp/yuran/



クリスマスツリーの装飾には、どんな意味があるの?

2021年12月15日 11:26   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。

クリスマスがもう10日前となり、皆さんのお家では、クリスマス ツリーの飾り付けは、お済の事と思います。
キリスト教徒でもない方も日本国民はクリスマス一色に染まりますね。
ところで、ツリーの意味もしらないで、飾っている方がほとんどではないかと思います。
少し調べてみましたので、ご参考にしてください。
クリスマスカラーの意味とは?
クリスマスツリーは、もみの木の「緑」に、「赤」「白」「ゴールド」などの装飾をつけるのが一般的です。
これらの色には、それぞれ宗教的な意味があります。
もみの木の「緑」は、「永遠の命」「力強さ」を象徴しています。
もみの木は常緑樹なので、冬の間も枯れずに強い生命力を備えています。
緑は、キリストが与える命は永遠であることを示す象徴と考えられています。
「赤」は、キリストが十字架のうえで流した血を表しています。
「キリストの血」は、キリストがすべての人の罪を赦すために流した血のこと。
赤には、神の「愛と寛大さ」という意味が込められています。
雪のような「白」には、「純潔」「潔白」といった意味があります。
白は、キリストが罪や汚れのない存在であり、私たちを罪から救い出してくれることを示しています。
キリストが誕生した時、天使たちが夜空に現れて神を賛美したという記録が新約聖書に記されているように、
「ゴールド」は「暗闇を照らす光」であり、「王国」の象徴です。拝金主義のような世俗的な価値観ではなく、
人類を救うために命を投げ出した「王」という意味が託されています。
このほかには、紫、薔薇色(ローズ)、青(水色)などもあります。
クリスマスツリーに飾るオーナメントにも、それぞれ意味があります。
クリスマスツリーの頂点に飾る「トップスター」は、3人の賢者が導かれた「ベツレヘムの星」を表しています。
イエス・キリストの誕生を告げる「天使」のオーナメントを、トップスターの代わりに飾ることもあります。
クリスマスツリーには、奥深い意味があったのです。
子供たちと一緒に、飾り付けをする時にお話をしてみてはいかがでしょうか!
また、みなさんも、2021年のクリスマスツリーを眺めながら、
1年を振り返り、ホリデー気分を満喫してみてはいかがでしょうか。



どうして、赤穂浪士の寺坂吉右衛門のお墓が、島根にあるの?

2021年12月13日 09:58   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。 少しずつ寒くなり、車のタイヤ交換を急いでする光景を目にする時期となりました。
マスコミでも「今年を振り返って・・・」の場面が多くなってきました。

それはそうと、12月14日、正確には15日の早朝になります。日本人なら誰も(?)がご存じの「赤穂浪士の吉良邸討ち入り」が行われた日でした。

よくよく調べてみると、午前3時30分から1時間30分程の間の事のようです。広い吉良邸の台所の倉庫に隠れているところを赤穂浪士の名前は忘れましたが、槍で突かれて打ち取られたようです。大河ドラマでは庭に引きずり出されて、首をはねられるという場面が多いですね。

赤穂浪士討ち入りの日の14日、四十七士のうち唯一生き残った寺坂吉右衛門の墓がある島根県江津市黒松町の信行庵(しんぎょうあん)で恒例の法要が営まれ、地域住民ら約30人が手を合わせ冥福を祈りました。

寺坂は吉良邸討ち入りの後、大石内蔵助から本懐を遂げたことを報告する使者を命じられ、生き延びたとされています。

博学の私は全く存じ上げませんでしたが、地元の伝承によると、寺坂は任務後、諸国遍歴の折、黒松町に庵(いおり)を結んで一時過ごしたといいます。その後、江戸で83歳で亡くなり、黒松町にも分骨されて墓が建立されたと伝わります。

武士道や忠臣を尊ぶ日本人にとって、特に明治維新後終戦まで「忠臣蔵」は脚本家によって様々な伝え方をしています。

討ち入りに大石は、門前で陣太鼓を叩いたとかこれって、嘘っぽいですよね。夜中ですから、遠くまで聞こえるのは当然、奇襲攻撃にはNGですね。

一方、吉良は、そもそも、公家と仲良くするくらいですから、野蛮(?)な武士は大嫌いだったそうです。吉良の髪型をみても、兜をかぶって戦闘する体をしていなかったのです。それに、仇討は昼間に街道か果たし合いが主流だったとか。

吉良よりにみると静岡の領地ではいいお殿様ぶりで尊敬されていたといいます。

歴史好きの私の見解としては、江戸城の松の廊下で浅野のお殿様が吉良を殺していたら討ち入りはなく、多くの浪士が死ななくてもよかったという事も感じたりします。

複雑な思いをする方も多いのではないでしょうか。



「事八日(ことようか)」をご存知でしたか?

2021年12月08日 11:09   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。12月7日は、「大雪(たいせつ)」で、これまで、山に積もっ

ていた雪がそろそろ、ふもとまで降りてくる季節という24節季のひとつです。
皆様の地域では、いかがでしょうか?
その翌日の12月8日は、何の日?というと太平洋戦争が始まった日という方もいら
っしゃるのではないかと思います。
その通りですが、この日は、日本人にとって大事な日のひとつでした。
12月8日と2月8日が対になり、「事八日(ことようか)」と呼ばれるのをご存じでし
ょうか。
「こと」は「行事」「祭事」「斎事(いわいごと)」のことを指します。人々は、ど
ちらか一方を「事始め(ことはじめ)」、もう一方を「事納め(ことおさめ)」の日
と定め、昔から特別な日として過ごしてきました。
地域で異なる「事始め」「事納め」の日
事八日がいつごろから始まったものか、正確には伝わっていませんが、宮中行事が確
立していった平安時代の延喜年間(901~923年)以降との説が有力です。この日には
、強飯(こわめし)や団子を作って祝ったり、餅をついて神に供えたりする地域があ
るほか、「お事汁」といって大根、ゴボウ、里芋、コンニャクなどを入れた汁を食べ
る風習も伝わっています。
面白いことに、12月8日と2月8日、どちらの日を「事始め」「事納め」とするかは地
域によって異なり、一定ではありません。たとえば東京では、12月8日を“正月準備
を始める”意味での「事始め」、2月8日を“正月行事の終わり”の「事納め」とする
のが主流だといいます。しかし反対に、群馬県などのように、2月8日を“農作業を始
める(田植えなどの準備をする)”の意味で「事始め」、12月8日を“農作業を終え
る(収穫などを済ませる)”の意味で「事納め」とする地域も少なくありませんし、
事八日には「田の神・山の神などが訪れる」という伝承も存在します。また、西日本
では12月8日のみをハレの日とする場合も多く、事八日の伝承は各地で差があること
が分かります。
各地でさまざまな行事が行われる事八日ですが、実は古くから「妖怪(あるいは厄神
)が出る」と考えられ、一般的に“物忌みの日”としての意味合いが強い日でもあり
ます。
関東周辺では、この日の晩に“一つ目の妖怪”が出るといわれており、ざる、ふるい
、籠などを家の出入り口などに高く掲げておくと、籠の目の多さに一つ目小僧が驚い
て逃げ出していくと信じられてきました。また、一つ目の妖怪は各家を回って履物に
判を押すといわれており、この判を押されると翌年に悪い病気にかかってしまうと考
えられていました。そのため、この日は履物を外に出しておかないようにしたといい
ます。
また、事八日に「針供養」を行う地域も多く見られます。針供養とは、折れた針や使
い古した針を供養し、裁縫の上達を願う行事ですよね。
かつて人々は、この日は一日針仕事を休み、豆腐やコンニャクなど軟らかいものに集
めた針を刺して、淡島神社ゆかりの寺社に奉納したり、紙に包んで海や川に流したり
したといいます。なぜ豆腐やコンニャクなのかについては、「まめに働く」という言
葉にかけたとする説や、今まで硬い布に刺してきた針にいたわりと感謝をこめて、最
後は軟らかいものに刺して休ませてあげるという説などがあります。現在でも、発祥
の地・淡島神社や東京都の浅草寺にある淡島堂では針供養の行事が行われています。
このように、地域や生活習慣によって意味合いや風習が異なる事八日。実は農業を営
む人にも節目としての意味があった……というのはなんとも興味深い話です。事八日
は私たちの生活の基盤である「衣食住」にかかわる大事な日として、心に留めておき
たいものですね。



長い夜を有効に過ごす日本人!

2021年12月01日 09:51   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。

太陽の暖かさや昼間の明るさは、とても大事な事ですが、夜の月の満ち欠けにより、
海が吸い上げられたり、満月の夜には何かが起きるとか、月の表現の豊かさは、日本人特有なのではないでしょうか。
皆様は、夜の時間は、どのようにお過ごしでしょうか。
そもそも、日本人は、昼間より夜に趣を感じていたようです。
枕草子は、平安時代に書かれた清少納言の随筆ですが、顕著に知ることが出来ます。
春は夜明け、夏は夜、秋は夕暮れ、冬は早朝が風情があると言っています。
序章では、少なくとも昼間の趣には触れていません。
昔から月の光を愛でます。昼は働き夜は寝るという生活が長い間続いて来たのです。
神社の燈明はともかく、庶民にとって灯火することは、高架であり一般的でなかったようです。
お祭りなどでは、松明、篝火また家内では、いろり火っていったところです。
いろり火は明るさを確保するのではなくもっぱら調理に使いました。
それもそのはず、昼と夜の時間が同じならまだしも秋から冬などは、夜の時間が長くなります。 
この長い闇の時間の過ごし方を考えるのは当然でしょう。
日本の文化は「闇と慣れ親しんできた文化」であるという人がいます。
富士山の夜の講中登山、蛍狩り、夜桜見物、さらに虫の鳴き声を楽しむ虫聴きなど、
かつて多くの日本人は闇歩きの達人だったと言います。
また、視覚以外の感覚をフル回転して食事をしたりする日常生活体験が出来る施設もあるそうです。
視覚障がい者のエスコートを受けながら、いつもとは逆のパターンですね。
現代の電気がなくては暮らせない私たちにとってある意味新鮮に受け止めれば何か新発見出来、
視覚でほとんどの情報を取得している現代人にとって一度は、体験してみるのもいいのではないでしょうか。