ハダル@矢野です。
今年もいよいよ一週間をきりましたね。
今年一年、良い事があった人もそうでなかった人も人生色々だと思います。
健康で過ごせたならそれが最高だという感謝の気持ちを持つのが大切だそうですよ。
いつも感謝の気持ちを持っていないと神様も何も聞いてくださらないようです。
初詣はどこに行こうかとお考えの方に!
正しいお参りをしないとかえって神様のご機嫌を損ねてしまうかもしれません。
少し勉強をする事にします。
初詣は、まず地元の氏神様にお参りします。
その後にその年の吉報の神社などにお参りするようにしましょう。
何と言っても氏神様をないがしろにするような事はしてはいけませんよ。
有名な神社をハシゴ参りをする人がいますが効果の方はあんまり期待出来ないそうです。
参拝する礼儀です。
神社には鳥居がありますが遠くの鳥居から順番に本殿に向かいます。
その際には参道の橋を通ります。真ん中は神様のお通りされる場所です。
丁寧なのは鳥居をくぐる時には軽く頭を下げます。
一の鳥居からは神社への参道ですのでここからはあんまり大きな声を出したり
ペットの排泄をしたり神域をけがすような行為はしてはいけません。
一般的には、御手洗場があると思いますが、神様にお会いする為に邪気を落とす意味がありますので、
手を洗い口もゆすぎます。
その際にひしゃくに口をつける事はしてはいけません。
本殿前に着いたら真ん中で神様に対峙する位置での参拝はいけませんよ。
真ん中は神様のお通りになる場所だからです。
また、おさい銭は投げてはいけません。
常に謙虚な気持ちや態度を一の鳥居をくぐった時から神様はじーっと見ておられますよ。
おさい銭をしめ縄にこじいれたり、柱の割れ目などもNGです。
また、拍手をうつのは神様を呼ぶため、ではなく
自分が素手であること、何の下心もないことを神様に証明するためのものです。
大きな柏手を打てばいいというものではありません。
拍手は右手を少し引いてします。これは神様に対しての礼儀です。
一般には二礼二拍手一礼ですが、勿論出雲大社では、四拍手です。お間違えのないようにお願いします。
よく「願い事は何をしましたか?」と言いますが、これは間違っているそうですよ。
神様に自分は何をしたいかと決意を述べるのが正しいそうです。
誓いが叶うかどうかは、「努力」次第です。
努力なしでは神様も聞いてくださらないでしょう。
要するにお願い事はお聞きにならないようです。昔から「苦しい時の神頼み」と言いますが
にわかに神様を信ずる態度では無駄だという事ですね。
また、お守りは、何年も同じものを大事にお持ちの方がいらっしゃいますが、
神様もたまったもんじゃあありませんので、一年で新しいものにして下さい。
以上の事を初詣に参考にして下さい。
ハダル@矢野です。
数年に一度という寒波に見舞われている日本列島ですね。
松江市では、積雪8cmですので、交通や停電などの災害はない模様です。
次は大晦日に今年最後の冬将軍が来られるそうです。
今回は、松江の伝統の漬物「津田かぶ漬け」の紹介です。
「津田かぶ」とは、松江市東部の津田地区一帯で栽培される「まが玉状」の赤カブのことで、
その歴史は江戸時代(1650年頃)に遡ります。
元々は「日野菜かぶ」という滋賀県日野町で江戸時代から栽培されていた尻細の長カブが原種となっていて、
参勤交代の際、松江に持ち込まれました。
参勤交代ってイメージ的には全国の大名に遥々と江戸まで行列を立てて大金を費やす事です。
が、考えようで、全国各地の情報や特産物や同中の名産などある意味重要な行事(?)だったかもしれませんね。
他にも手打ちそばは信州からとかさつまいもも同様でしたでしょうか?
その後、松江藩の役人により、まがたま状の形状に品種改良したとも言われています。
いかにまがたま状に近い経常に栽培するかが農家の人の腕(?)だそうです。
この時期にはどこの家でも津田かぶの漬物がお茶受けに出されます。他には酢の物としても食されます。
漬物ですのでただつければよいというものではありません。
伝統の味を支えるこだわりの製法でないとおいしくないというこだわりの松江人も多くいるそうです。
収穫後は、はで干しから始まります。
宍道湖からの冷たい風が、津田かぶの美味しくパリッとした食感を作り、
また適度に水分を抜くことで旨味の元となる乳酸発酵を促す役割も果たしています。
また、糠味噌にも奥出雲の仁多米の糠がより風味がいいとか、、、。
他に食すレシピも序にご紹介しておきますので、ご参考にして下さい。
津田かぶ漬のカナッペ
[1]津田かぶ漬(本漬)みじん切りとマスカルポーネチーズを適量よく混ぜます。
[2]フランスパン斜め輪切り、またはクラッカーに1を乗せ、
お好みで生ハム、スモークサーモン、ミニトマトなどをトッピングして出来上がり!
* 焼き上がったピザのトッピングにしても美味しくいただけます。
ぜひ、お買い求めの上、お試しください♪
ハダル@矢野です。
いよいよ丑年もあと一週間となり、年賀状書き、大掃除、買い物等々、気忙し気
ちの割りには、あんまり進んでいない方もおられるのではないかと思います。
さて、松江の冬の風物詩も数ありますが、「松江城堀川をめぐるこたつ遊覧船」も定着してきました。
そもそもですが、「堀川遊覧船」について紹介します。
小舟に乗って松江城下のお堀端の3.7㎞を巡る水の都・松江ならではの船旅観光なのです。
山陰唯一の天守閣をはじめ、武家屋敷、塩見縄手の老松など風情ある町並みなどを、
グルッと一周、約50分かけての船旅が楽しめます。
16ある橋のくぐり抜けでは、船の屋根が下がってきてスリリングな場面も体験!
船頭さんのいなせなガイドもいい味出してますよ。
船頭さんによっては、松江城や松江のこぼれ話も聴けるとか・・・。
船の上から見える松江市の町並みは、誰もが忘れかけた懐かしい日本の風景を思い起こさせ、
川面を渡る風は時間を忘れさせてくれます。
冬の間(11月中旬~4月上旬)はユニークなこたつ船へと衣替します。
足元を温めながら、小雪舞う堀川をしっとり巡る光景、特に雪景色が最高ですよ!
頬をなでる冷たい風に冬の寒さを実感しながらも、ポッカポカのこたつにほっこり。
何とも言えない船旅が満喫できることでしょう。
(発着場)
・松江堀川ふれあい広場(松江・堀川地ビール館奥)
・大手前広場(島根県民会館北側・松江城南東側)
・カラコロ広場(京店)
電話番号 0852-27-0417
所在地 島根県松江市黒田町507-1
定休日 なし (荒天の場合、欠航することもあります)
駐車場 城山西駐車場
アクセス 山陰道松江西ランプよりR9経由宍道湖大橋を渡り各乗り場へ
ホームぺージ http://www.city.matsue.shimane.jp/kankou/jp/yuran/
ハダル@矢野です。
クリスマスがもう10日前となり、皆さんのお家では、クリスマス ツリーの飾り付けは、お済の事と思います。
キリスト教徒でもない方も日本国民はクリスマス一色に染まりますね。
ところで、ツリーの意味もしらないで、飾っている方がほとんどではないかと思います。
少し調べてみましたので、ご参考にしてください。
クリスマスカラーの意味とは?
クリスマスツリーは、もみの木の「緑」に、「赤」「白」「ゴールド」などの装飾をつけるのが一般的です。
これらの色には、それぞれ宗教的な意味があります。
もみの木の「緑」は、「永遠の命」「力強さ」を象徴しています。
もみの木は常緑樹なので、冬の間も枯れずに強い生命力を備えています。
緑は、キリストが与える命は永遠であることを示す象徴と考えられています。
「赤」は、キリストが十字架のうえで流した血を表しています。
「キリストの血」は、キリストがすべての人の罪を赦すために流した血のこと。
赤には、神の「愛と寛大さ」という意味が込められています。
雪のような「白」には、「純潔」「潔白」といった意味があります。
白は、キリストが罪や汚れのない存在であり、私たちを罪から救い出してくれることを示しています。
キリストが誕生した時、天使たちが夜空に現れて神を賛美したという記録が新約聖書に記されているように、
「ゴールド」は「暗闇を照らす光」であり、「王国」の象徴です。拝金主義のような世俗的な価値観ではなく、
人類を救うために命を投げ出した「王」という意味が託されています。
このほかには、紫、薔薇色(ローズ)、青(水色)などもあります。
クリスマスツリーに飾るオーナメントにも、それぞれ意味があります。
クリスマスツリーの頂点に飾る「トップスター」は、3人の賢者が導かれた「ベツレヘムの星」を表しています。
イエス・キリストの誕生を告げる「天使」のオーナメントを、トップスターの代わりに飾ることもあります。
クリスマスツリーには、奥深い意味があったのです。
子供たちと一緒に、飾り付けをする時にお話をしてみてはいかがでしょうか!
また、みなさんも、2021年のクリスマスツリーを眺めながら、
1年を振り返り、ホリデー気分を満喫してみてはいかがでしょうか。
ハダル@矢野です。 少しずつ寒くなり、車のタイヤ交換を急いでする光景を目にする時期となりました。
マスコミでも「今年を振り返って・・・」の場面が多くなってきました。
それはそうと、12月14日、正確には15日の早朝になります。日本人なら誰も(?)がご存じの「赤穂浪士の吉良邸討ち入り」が行われた日でした。
よくよく調べてみると、午前3時30分から1時間30分程の間の事のようです。広い吉良邸の台所の倉庫に隠れているところを赤穂浪士の名前は忘れましたが、槍で突かれて打ち取られたようです。大河ドラマでは庭に引きずり出されて、首をはねられるという場面が多いですね。
赤穂浪士討ち入りの日の14日、四十七士のうち唯一生き残った寺坂吉右衛門の墓がある島根県江津市黒松町の信行庵(しんぎょうあん)で恒例の法要が営まれ、地域住民ら約30人が手を合わせ冥福を祈りました。
寺坂は吉良邸討ち入りの後、大石内蔵助から本懐を遂げたことを報告する使者を命じられ、生き延びたとされています。
博学の私は全く存じ上げませんでしたが、地元の伝承によると、寺坂は任務後、諸国遍歴の折、黒松町に庵(いおり)を結んで一時過ごしたといいます。その後、江戸で83歳で亡くなり、黒松町にも分骨されて墓が建立されたと伝わります。
武士道や忠臣を尊ぶ日本人にとって、特に明治維新後終戦まで「忠臣蔵」は脚本家によって様々な伝え方をしています。
討ち入りに大石は、門前で陣太鼓を叩いたとかこれって、嘘っぽいですよね。夜中ですから、遠くまで聞こえるのは当然、奇襲攻撃にはNGですね。
一方、吉良は、そもそも、公家と仲良くするくらいですから、野蛮(?)な武士は大嫌いだったそうです。吉良の髪型をみても、兜をかぶって戦闘する体をしていなかったのです。それに、仇討は昼間に街道か果たし合いが主流だったとか。
吉良よりにみると静岡の領地ではいいお殿様ぶりで尊敬されていたといいます。
歴史好きの私の見解としては、江戸城の松の廊下で浅野のお殿様が吉良を殺していたら討ち入りはなく、多くの浪士が死ななくてもよかったという事も感じたりします。
複雑な思いをする方も多いのではないでしょうか。