松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江/山陰バリアフリーツアーセンター の活動状況や、各種お知らせを掲載します。

松江市宍道町には、オオクニヌシノミコト伝説の巨石神話がある?!

2015年12月08日 11:34   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
「今冬は暖冬!」とどこかの気象予報士が予言?をしていましたが、今現在までは大当たりのようですね
。島根県内でも2か所のスキー場がこの間の日曜日にオープンしたとの報道もありましたがどうなる事でしょうね。
前回、出雲の巨石神話の話題でしたので、今回も続編をお届けします。
松江市宍道町には、町名の由来になったといわれる「猪石(ししいし)の神話」があります。その神話の舞台装置となる「猪石」の候補となっているのが、宍道町白石にある「女夫岩(めおといわ)」と呼ばれる巨石で、もうひとつの候補が、同じく白石にある「石宮(いしみや)神社」の神体石と鳥居の脇に鎮座する2つの巨石ということだそうです。


今回は後者の石宮神社(いしみやじんじゃ)を紹介します。
伝承によると、猪狩りをしていたオオクニヌシノミコトに追い込まれた2匹の猪(しし)が南の山に石像となって残ったということから、猪(しし)の道を意味する「宍道(ししぢ)」と呼ぶようになったといわれています。狩りに使った犬も「犬石」と化し、拝殿奥の石柵に囲まれ、ご神体として鎮座している。
本来、この「宍」は「肉」という語意なのだそうですが、どうして「猪」が「宍」になったのかは、明らかではないそうです。それに、国王が直々にイノシシ狩りをしていたのかとか、神社に逃げ込んで石になって捕獲されるのを逃れたとも思わせる伝説ですね。
「宍道」という地名の五元となったと言われると松江市民としてはシンボルである「宍道湖」の名とも関連があり大いに気になりましたが、そんなでもなさそうでしたので、少し残念な気がします。



最後に石宮神社(いしみやじんじゃ)の駅・バス停からのアクセスを紹介しておきます。
JR宍道駅から徒歩30分、車3分。


写真を3枚添付します。苔むしたほうがイノシシです。柵で囲まれた方が犬です。


写真をクリックすると別ウィンドウで拡大写真を表示します。
添付画像
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出雲では巨石巡りに熱い視線!

2015年12月03日 14:35   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。12月に入り松江城の堀川遊覧船を眺めていると船頭さんだけ寒そうです。お客さんはコタツに足を突っ込んで乗船を楽しんでいるのですから・・・。
そんな中、神社のパワースポット巡りも良いのですが、シルバーパワーのおじさんやおばさんの間に博物館や住民団体、観光ツアーを企画する動きがあります。という話題です。
神話や古い伝承が残る巨石信仰地を、観光振興の素材として活用する動きが出つつあります。
歴史愛好者の団体や住民グループが、巨石を巡るツアーを企画しました。
パワースポットとして神社や遺跡が注目を浴びる中、古来から残る巨大な岩石にも光が当
たり、毎回定員に達するツアーが出るなど、人気を呼んでいるらしいのです。
島根県では、出雲市斐川町神庭の荒神谷博物館が2012年、県内の巨石信仰遺跡の調査を始めたのを機に注目度がアップし始めたのです。同館は13年から、県東部を中心に巨石巡
りツアーを催し、これまでの7回(定員20~40人)すべて満員なのだそうです。
県内外の高齢者や女性が参加し、募集開始後1週間ほどで定員に達する盛況ぶりというのです。
人気の理由はというと、出雲国風土記の記述やスサノオノミコトの物語とつながるなど、それぞれの巨石に神話の国ならではのストーリーがあって面白い。出雲人の厚い信仰心がうかがえるからではないかといいます。
例えば、出雲市坂浦町の佐香コミュニティセンターは、出雲の地誌「雲陽誌」に記された、山中に三つの巨岩をまつる地元の立石神社の案内パンフレットを製作したそうです。
14年5月のツアーでは、定員25人に対して80人の応募があり、急きょ定員を50人に倍増したそうです。地元の人もほとんど知らなかった場所に、地区
外からも多くの人が訪れ、町の活力になるのではないかと地元民は期待を寄せているらしいのです。
ここで、立石(たていわ)神社の逸話を引用しておきます。
立石(たていわ)神社は出雲市坂浦町にある巨石の磐座だけの神社です。
ずっと昔、巨石のあるここは誰言うともなく「たていわさん」と呼ばれていました。聖なる場所として山人に崇められ、女たちが「たていわさん」の祭祀を行っていました。たていわさんの祭祀場を守るために女だけの部落がありました。
男子禁制の部落なので、女たちは水をくみ、田を耕し、畑を作り、狩りをし、山の果実をとり、海沿いの村からは、塩や干し魚を手に入れました。家畜の世話もして女たちはよく働きました。
小さな村でありましたが長を頂点にその下に巫女がいてピラミッド型の構成をとり、中には階級があり、それに従って、子供たちまで含めて皆よく働きました。女たちは子供の教育をし、男の子が産まれ三歳になると下の村の父親の元に返しました。
男子禁制の部落ではありましたが、一年に一度、夏の二十八日間にわたり、下の男部落から男を呼び、若い女も出産の経験がある女も、男を自分の部屋に招き入れることを許されました。
それは一年に一度の愛の交歓でした。その間、長は立石に籠り良い子供が授かり、部落が栄えるようにと神に祈り続けました。やがてたくさんの子供達が生まれることでしょう。
十六歳になったピメは初めての事でした。男村のツチも初めての事でした。二人は熱く愛をかわし、もう二度と分かれることがないように一緒に住みたいと長にお願いしました。
しかしピメは次の巫女になるべく子でしたので許されることはありませんでした。それでも愛し合う二人は、二十八日間の逢瀬が終わっても夜毎に会い続けました。二人の行動は同じように思っていた女や男の意識を変えて長を動かし、とうとう二つの部落は一つの大きな村になりました。
男も女も助け合って家庭を持ちました。しかし相変わらず立石さんを守るのは女達です。神に祈りを捧げ守りました。しかしその横顔は幸せに見ていました。それはもう男の子供や夫様と別れることがなかったからです。
朝日新聞の記事より
出雲地方にはこのような巨石神話が約30か所もあるそうです。またの機会に他の伝説もお送りしたいと思います。



「見えないものが見えた人?」水木しげるさんが・・・

2015年12月01日 14:52   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
今年も終わりの月に入り年賀状の散弾をする人やクリスマスツリーの飾り付けをする人や年末年始の過ごし方を計画する人など何かと気せわしい季節となりました。
さて、旅コミにも数回取り上げさせていただきました、水木しげるさんが昨日逝去されたとの報道がありました。
「ゲゲゲの女房」では奥様が島根県安来市出身である事からこちら松江でも放送当時は大いに盛り上がりました。
小さいころに一畑薬師(目の薬師)にのんのんばあに連れられてお参りした事からこの薬師とは関係があったようです。3体目の目玉おやじの銅像が水木さんから今年の春に寄贈されましたとこのブログにもこの間書き込みをしたばかりでした。
「見えないものが見えた人?」と言われています。
妖怪は想像の中で生きるものです。特に夜になると暗闇の中、後ろから誰かがあとをつけている気がするとかまた、人間のいやなところの象徴だったねずみ男などユニークな発送で子供から大人までテレビアニメで大きくなられた方も多いのではないでしょうか。
また、もう一つの顔はご自分の戦争体験から「戦争反対!」を唱えた人でもありました。南方の最前線で幾度も「もうだめか」と思ったそうですね。そのたびに、例えば塗り壁が登場してそれ以上前に進めなかった事。そのまま進んでいたら死んでいた事なども書いています。
多くの報道機関では、「水木さんは、きっといまごろは妖怪と会って運動会でもしていそう。」などのあんまり悲観的な言動はなかったように思います。「ぼたもちさえ食べれればよい。そんなにお金はいらない。」などユニークさもお持ちの方だったようです。
私たちを楽しませてくれた、水木さん 安らかにお眠り下さい」と言うばかりです。 合掌



甲冑姿で松江城に登場?!

2015年11月24日 15:19   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
松江城天守閣が国宝指定を受けてからこれに絡んだ各種のイベントがもようされる事が多くなり、とても全部は把握するのは無理そうです。
今日は観光客が甲冑を来て城下を歩き、天守閣まで登ったという話題です。
これは、旅行企画の一つのモニターツアーが22日、松江市内であり、広島からの18人が武者になりきって国宝の松江城天守に入城しました。ツアーは松江観光協会と広交観光(広島市西区)が2016年度から本格実施するとの事です。
計画する旅行商品は、松江城天守の国宝化を記念した広島市発着の日帰りバスツアーです。費用は一体、おいくらなのでしょうか?
松江城と、戦国武将が戦勝を祈願したとされる同市鹿島町佐陀宮内の佐太神社を武者姿で訪ねるという。
モニターツアー参加者は、同市殿町の松江歴史館で、松江武者行列に使われた手作り甲冑を身に着けてバスに乗り、神在祭が営まれている佐太神社に参拝しました。
殿町に戻り、松江城大手前でバスを降りると、行列して城内の興雲閣へ。島根和牛やノドグロを使った昼食「武者弁当」で力を蓄えた後、店主に登り絶景にご満悦のようだったと報道されました。
武者集団の突然の登場に、観光客は驚き、歓声を上げ、写真を撮ったり手を振ったりして歓迎したそうです。それもそうですよね。「ビックリ ポン!」です。
何と、甲冑を着ると言葉づかいも戦国時代の武者用語(?)に変化し、「拙者は」とか言う始末だったとか・・・。
それも日帰りツアーでしたから多分観光客はぐったりでしたでしょうね。
今度は一般観光客目線でゆっくり(出雲弁でおちらと)観光を楽しんでいただきたいものです。
興味のある方は、下記までお問い合わせ下さい。
問い合わせは松江観光協会、電話0852(27)5843。



出雲大社では八百万の神々が縁結び会議始まる!

2015年11月24日 11:25   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
昨日までの3連休が紅葉狩りには最後になったと思われるこちら松江市です。
相変わらず松江城周辺には観光客の団体があちらこちらみ見受けられます。
お天気の良い朝には、宍道湖周辺は深い霧に包まれ、その中に嫁が島やしじみ捕りの小舟が微かに見えて水の都松江っぽい風景です。
さて、出雲大社では、旧暦10月10日にあたる10月21日に神迎え宍道が厳かに執り行われました。
3連休の初日とあって、信徒や観光客ら約1万人が訪れ、伝統の神事を見守りました。 
国譲り神話の舞台として知られる稲佐の浜で、かがり火がたかれる厳かな雰囲気の中、千家隆比古・権宮司が海に向かって祝詞を読み上げました。このあと、迎えた神々が乗り移ったとされるサカキ「神籬(ひもろぎ)」が白い布で覆われ、「竜蛇神(りゅうじゃしん)」に導かれて約1キロ先の出雲大社に向かいました。
いつだったか数年前でしたが、この神事は夜の7時から約1時間ですがそれまでザーザー降りだった雨がこの時だけ止んだとか、実際に見物した人曰本当に「神籬(ひもろぎ)に神様が移った時に鳥肌がたったとか何とも不思議(?)な事があります。
神籬が到着した神楽殿では神迎祭が執り行われ、神々が本殿両脇の東西十九社に案内されました。神々は1週間滞在し、向こう1年間の農事や縁結びなどを話し合うとされています。この一週刊は、地元の人々は会議の邪魔にならないように、他の祭りやにぎやかな行事は慎みます。
神々の滞在中、境内では23日に「献穀祭」、26、28日に「縁結び大祭」、28日には出雲から神々が古里へ旅立つ「神等去出祭(からさでさい)」などと祭りが続きます。
出雲以外の方々は、今は神様がお留守だからといってあんまりハメを外すと、ちゃんと留守番の神様がおられて地元に帰られた神様に報告されるそうですよ。あしからず