松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江/山陰バリアフリーツアーセンター の活動状況や、各種お知らせを掲載します。

美保神社はえびす様の総本宮

2014年12月19日 17:24   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。今冬最強の冬将軍が日本列島を荒れ模様にしています。
12月に今年のような大雪は珍しいそうです。被害に会われた方には、心よりお見舞い申し上げます。
今回は、「美保神社はえびす様の総本宮」の紹介をします。
美保神社は、島根半島の北東、松江市美保関(みほのせき)町にあります。民謡「関の五本松」でご存じの方もおられるのではないでしょうか。
また、日本最古の石造りの灯台も有名です。そんな海の関署と言われるところです。
事代主神系えびす社3千余社の総本社です(蛭子神系のえびす社の総本社は西宮神社)です。
特に水産・海運・商業に携わる人々から広く信仰されてきました。
えびす様は右手に釣り竿を持ち、左脇に鯛を抱える御姿で親しまれています。
魚釣りを好まれ、「漁業の祖神」として崇敬されてきたのは、事代主神が美保の地(沖ノ御前・地ノ御前と云われ美保神社の飛地境内)において日本の文献上、最初に魚釣りをされたことが所以です。
七福神の宝船にお乗りのえびす様は、こちらの神様です。
二つ目は、拍手(手打ち・手締め)の起源です。
『古事記』の「国譲り神話」に記述されています。
出雲国を譲るように言われた大国主神(おおくにぬしのかみ)は、御子神の事代主神にその返答を委ねます。事代主神は「畏(かしこ)し、この国は天つ神に奉り給え」と直ちに了承し、「天逆手(あめのむかえで)」を拍ったとあります。
これが、現在の手打ち・手締めの起源であり、拍手を打って約束を交わすという意味で、商談がまとまった際や建設現場での竣工式などで用いられる一本締めや三本締めもこれにあたります。
    えびす様を「商売繁盛の神さま」と崇敬する所以のひとつでもあります。
三つ目は、歌舞音曲(音楽)の神様です。
多くの船舶が停泊する美保関港「関の明神さんは鳴り物好き、凪(なぎ)と荒れとの知らせある」と、船人の口から口へと広く伝えられました。
美保関は古くより海上交通の関所で北前船をはじめ諸国の船が往来し、風待ちの港として栄えた場所です。
船人の美保神社に対する信仰心は非常に篤く、海上安全や諸願成就などの祈願の為、さまざまな地域から夥しい数の楽器が奉納され、この内846点が国の重要有形民俗文化財に指定されています。
直径157cmの大鼕直径157cmの大鼕846点の奉納鳴物のなかには、日本最古のオルゴールやアコーディオン、島原の乱で戦陣に出されたと伝わる陣太鼓、初代荻江露友が所有していた三味線、鳥取城で登城の時を告げていた直径157cmにもなる大鼕など名器や珍品も数多く含まれております。
平成4年には明治の初頭以来途絶えていた「歌舞音曲奉納」を100年ぶりに復活させ、一流の演奏家が神前に向かって(聴衆に背を向けて)演奏し、聴衆は一切の拍手をしないという独特の音楽祭が行われています。
以上、今回は、少しお堅い話でした。
次回は、美保神社周辺のスポットの話題です。


 



★松江藩(松平家)の藩主の暮らし(後編)

2014年12月15日 14:06   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
「松江藩(松平家)の藩主の暮らし」の後篇です。
「真那箸(まなばし)」を使って食材に手を触れず調理をすると説明をしました。
平成のこの世に江戸時代当時の料理の再現し、神社に奉納している人がいます。
奉納する神社は、松江市にあります玉造湯神社です。
この神社は、玉造温泉の守護神ですが、最近は、それより「願い石・叶い石」の縁結びスポットとしての方が有名かもしれません。
この神社の例大祭に地元玉造料理人協会の会長さんが、3年前に山陰流の秘儀(?)を関西の料理人から教授されたそうです。
山蔭流式包丁は、平安時代から室町時代にかけて、武家が格式ある客人をもてなす際に、魚などをさばく姿を披露したのが始まりです。
この日、烏帽子(えぼし)、狩衣(かりぎぬ)姿の会長が約40センチの包丁と箸を、雅楽に合わせて舞うように振るい、約50センチのタイを三枚に下ろしました。
例大祭にこの地を訪れるとこのパフォーマンスにお目にかかれるかもしれません。
話を元に戻します。
殿様の生活の実態はどうだったのでしょうか。食事だけでなく生活全般に様々なしきたりがあったそうで、着替えからトイレ、入浴なども家来任せ、風呂の湯が熱くても係の風呂坊主には口をきけないので「おお、熱い」と独り言をいうと、それを聞いた坊主がお小姓に伝える、殿様にそれを確認してから坊主にうめる指示をするのだとか。
身分の違いで、直接口を聞こうものなら打ち首にもなろうという時代です。
お殿様もいちいち面倒くさいですね。
また、松江藩では、財政が当初は、赤字続きであり、前述のような豪華版の料理は、藩財政を改革して、黒字化してからの事と思います。
不昧(ふまい)と号した7代・松平治郷は特に有名な藩主です。
ご存じの通り、作動の号です。作動の関連のお茶はもとより、茶器などの陶芸も奨励しています。
武芸にも堪能で、松江藩の御流儀である不伝流居相(居合)を極め、不伝流に新たな工夫を加えたとも言われます。少し意外な気がしますね。
金魚を愛し、部屋の天井に硝子を張って肱枕で金魚を眺めた、金魚の色変わりについて藩士をわざわざ、他国に派遣してその秘法を会得させた、などとも伝えられています。
松江藩で開発された、金魚の出雲なんきんがこの金魚と思われます。
また、鷹狩もお好きだったようで、獲物になる鴨類の飼育場所まであり、勝手に狩猟などしようももなら大変な事です。
今でいう禁漁区です。殿様の鷹狩には、飼育した鴨をはなすのですから、狩りも出来ますよね。
このように、趣味も多彩で、武芸にも長けていたり、財政も立て直したと言われればやっぱり後世に名を残すお殿様です。



松江藩(松平家)の藩主の暮らし(前編)

2014年12月11日 14:31   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
松江市では、「松江城を国宝にしよう!」という運動が進められています。
今回は、江戸時代のお殿様の食事や暮らしぶりを紹介します。
松江藩は、石高18万6千石でしたので、そんなに大きい藩ではありませんでしたが、大名は1万石からといいますからそこそこだったのでしょう。
松江城では、お殿様が過ごされたのは、三の丸御殿です。
昔の藩主の御殿場所(松江城三の丸跡)は、現在の島根県庁が建っているところにありました。
同じ三の丸にお殿様の料理を作る台所もありました。 御台所には奉行2人、添奉行2人が勤めました。このほか約150人が勤めたそうです。
料理の分担の仕方は、こうです。
御台所は塩梅(あんばい)役・御料理人・板前・御飯方・汁方...など細かく分担がありました。
塩梅役は江戸の名店で研究を重ねた料理人が勤め、味見や毒見をしました。藩主の献立はこの塩梅役と侍医が健康状態や前日の箸の付け方を見て決めたそうです。
最も難しいのは料理人で、「真那箸(まなばし)」を使って食材に手を触れず調理をするという、高度な技術を持っていました。
料理法は、こうです。
城内の食事は大体において贅を尽くしたものでありましたが、特に鶴の料理、鯉のすがた見、袋鴨、鯉の糸作りといった料理が上等で、これらの料理は真那箸を使いました。
箸で皿を洗ったり直に魚や鳥肉に触らずに料理をするのですから、達人の域です。まるで曲芸のようですね。
この料理法は、古くからの日本の料理法なのだそうです。お殿様の口に入る物に触れてはいけなかったようです。 
常時の食事と祭事の料理の数(皿の数)は柱立といいます。 
柱立とは膳に乗せる汁・皿の数を定めたもので、藩主は通常一汁五菜、特別な日は最高の三汁十菜でした。
正月は最も贅美を尽くし、初献から三献までの御式(始めは生で出し、後の御引替膳を召し上がる)の後、御高盛といってまた初献から三献までを行い、その後やっと三汁十菜の御引替膳を自由に召し上がる事ができました。


お殿様の食事の残りを下げ渡される人も決まっていた訳ですからお殿様も全部たべれなかったようです。
ご家来方も特に祭事の時は、待ち遠しかったのでしょうね。


後篇に続きます。



宍道湖のブランド「宍道湖シジミ」

2014年12月08日 13:31   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
今回は、宍道湖のブランド「宍道湖シジミ」の紹介です。
松江しんじ湖温泉に宿泊された方ならご覧になった風景だと思います。
宍道湖北岸から南に嫁が島があります。その周辺にしじみ漁の船が幾層浮かんでいます。
朝もやの中のこの風景は、絵ハガキにもなっているほどの早朝の宍道湖です。
しじみ漁の事を松江では、「しじみかき」と呼びます。
この漁は、「ジョレン」(5mの竹竿がついている」という漁具を使い湖底を浚うのです。これが「かく」という動作なのです。
竹竿を引き上げ、ジョレンを船の近くでザクザクと上下させ、小さいしじみや泥や砂を湖中に落としてから、残りを船に移します。
予想以上に力仕事なのです。
「シジミかき」も達人はジョレンの中にシジミがたくさん捕れますが、新人は殻のシジミばかり捕れるとか聞いた事があります。
日本に生息している代表的なシジミは、淡水にすむマシジミ、汽水域にすむヤマトシジミ、琵琶湖にしかすんでいないセタシジミの3種です。
勿論、一般には、大和しじみが流通の99%です。
宍道湖漁協では、シジミ資源が枯渇しないよう自主的な資源管理を実施しています。
しじみ漁は、月~金曜日の週4日間です。時間は、一日3~4時間で、一日の収穫量も決められています。
また、ジョレンは、小さいしじみが捕獲されないように隙間を開けています。
ヤマトシジミは水中に浮遊する植物プランクトンなどの有機物を水と一緒に入水管から取り込んで、ろ過して餌にしています。
このように、大きなろ過作業を持っているヤマトシジミは、宍道湖の植物プランクトンの大量発生を抑え、水質浄化のために私たちが想像する以上の役割を持っているのです。
最後にシジミの砂抜き方法を記載しますのでご活用下さい。
水道水で砂抜きしては絶対だめです。食塩水で砂出しを行います。1lの水道水に約10gの食塩を入れます。これは海水の約1/3程度です。
広いざるなどを使用します。冷暗所では砂出しがしやすいです。
砂出しをしたシジミは、冷凍庫に入れれば半年は美味しくいただけるそうですよ。
年末年始にお酒を飲む機会が多くなります。
しじみ汁で乗り切る事にします。


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宍道湖の冬鳥を見に行こう!?

2014年12月03日 14:44   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
現在、出雲大社では、神様がお集まりになり来年の諸事について会議中です。
縁結びについても決められますので、12月9日までは、会議の邪魔にならないように静かに過ごす出雲地方です。
今回は、宍道湖の冬鳥のバードウォッチングの紹介です。
12月に入り、平地でも雪マークの天気となり、宍道湖では多くの冬鳥が湖面に浮かび、見ているこちらは、余計に寒さを感じます。
初冬の宍道湖は、北西の風が強く吹き、湖面は茶色く濁ります。また、時々雪混じりのみぞれもふります。波も荒く雲も低く垂れこみます。
これ以上の暗い山陰のイメージはないですね。
鳥たちにとっては、そんな環境が良いのでしょうね。
宍道湖・中海は平成17年11月に「宍道湖・中海」がラムサール条約湿地に登録されてから、9年目を迎えました。
この冬も様々な水鳥が越冬のためにやってきました。
湖面に浮かび羽を休める水鳥の姿は、両湖の冬の景色には欠かせないものとなっています。
これらの水鳥を観察する施設として、宍道湖の西岸には「宍道湖グリーンパーク」があり、無料で利用することができます。
双眼鏡や水鳥の解説書などもありますので、気軽にバードウォッチングを楽しむことができます。
また、斐伊川河口の右岸側の「宍道湖西岸なぎさ公園」には、駐車場とトイレが整備されています。この周辺の田んぼでは、落ち穂などの餌をついばむマガンやタゲリに出会えるかもしれません。
見られる鳥は、マガン、ヒシクイ、コハクチョウの集団越冬地。汽水湖としての特性から、ハジロカモ類、特にキンクロハジロが多棲します
カモ類は、20種程度が3万~5万羽越冬します。その多くはキンクロハジロを中心とするハジロ類とマガモを中心とするマガモ類です。
コハクチョウも800羽を越え、斐伊川河口部がねぐらの中心ですが、宍道湖東北部の潟の内と呼ばれる小さな池に400羽を越える群れがねぐらとするようになってきています。
もうひとつ、宍道湖の湖上から遊覧船に乗船してのエコツアーについて紹介しておきます。
○渡り鳥「マガンのモーニングフライトツアー」
宍道湖に飛来するマガンの数は年々増加傾向にあるといわれています。この「マガンのモーニングフライトツアー」は早朝にマガンの群れが「ねぐら」からエサ場へと飛び立つところを観察するものです。
冬の早朝ツアーですが、生物の行動に合わせることで、日ごろみることのできない貴重な体験をすることができます。このツアーは野鳥の行動や天候に合わせるため、季節限定の開催です。
お問い合わせ先は松江ツーリズム研究会
事務局/TEL.0852-20-7515


冬鳥のバードウォッチングの後には、温かい温泉がきっと待っていると思いますよ。
最後に、プロジェクトゆうあいで発行している「てくてく日和」の取材で「宍道湖グリーンパーク」に訪問した時の写真を添付しますのでご覧下さい。
1枚ねは、グリーンパークにある望遠鏡で野鳥を見ている写真です。
2枚目はかなりサイズが小さいですが、宍道湖の野鳥の写真です。
3枚目は取材スタッフの可奈子さんが鳥の帽子をかぶっている写真です。


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