ハダル@矢野です。
今年も後1か月となりました。
何かと忙しい気がせわしくなったようですね。
さて、今回は、狢の話です。
小泉八雲は日本に帰化し、耳なし法一などの話がもっともよく知られていますので、
てっきりこの話も出雲の方の話かと思っていました。
日本に暮らした多くは東京にいたようです。
このムジナの話も江戸末期から明治初期の東京の赤坂にある紀之国坂での話です。
今の皇居のお濠とホテルニューオータニの近くです。
もう死後100年は過ぎているのでそのまま載せても問題はないでしょうが、一部のみを紹介します。
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ある商人がある晩おそく紀国坂を急いで登って行くと、ただひとり濠(ほり)の縁(ふち)に踞(かが)んで、
ひどく泣いている女を見た。
身を投げるのではないかと心配して、商人は足をとどめ、『お女中』と声をかけた。
『お女中、そんなにお泣きなさるな!……何がお困りなのか、私に仰しゃい。
その上でお助けをする道があれば、喜んでお助け申しましょう』
しかし女は泣き続けていた。
『どうぞ、どうぞ、私の言葉を聴いて下さい!……ここは夜若い御婦人などの居るべき場処ではありません! ・・・』
徐ろに女は起ち上ったが、商人には背中を向けていた。
そして、その袖のうしろで呻き咽びつづけていた。
商人は、その手を軽く女の肩の上に置いて説き立てた――
『お女中!――お女中!――お女中! 私の言葉をお聴きなさい。』
……するとそのお女中なるものは向きかえった。
そしてその袖を下に落し、手で自分の顔を撫でた
――見ると目も鼻も口もない――きゃっと声をあげて商人は逃げ出した。
一目散に紀国坂をかけ登った。
ただひた走りに走りつづけた挙句、ようよう遥か遠くに、蛍火の光っているように見える提灯を見つけて、
その方に向って行った。
それは道側(みちばた)に屋台を下していた蕎麦屋の提灯に過ぎない事が解った。
商人は蕎麦売りの足下に身を投げ倒して声をあげた
『ああ!――ああ――ああ』……
『これ! これ!』と蕎麦屋はあらあらしく叫んだ
『これ、どうしたんだ? 誰れかにやられたのか?』
『盗賊(どろぼう)にか?』
『盗賊(どろぼう)ではない――盗賊(どろぼう)ではない』とおじけた男は喘ぎながら云った
『私は見たのだ……女を見たのだ――濠の縁(ふち)で――その女が私に見せたのだ……
ああ! 何を見せたって、そりゃ云えない』……
『へえ! その見せたものはこんなものだったか?』と蕎麦屋は自分の顔を撫でながら云った――
それと共に、蕎麦売りの顔は卵のようになった……そして同時に灯火は消えてしまった。
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この話は江戸に伝わっている話をきっと聞いて想像をふくらまして書いたものなのでしょう。
小泉八雲は今から30年ほど前と書いているので、江戸の後期の話ですね。
皇居は江戸城があった場所ですが、結構寂しい坂も多かったのでしょう。
またこの中で「紀国坂」を何故このようにいうのかは知らないとも書いています。
興味があったことがうかがわれます。
でもこれで「ムジナ=のっぺらぼう」のように思われてしまったのですが、
この辺りでそのような話は聞いたことがありません。
さて、狢とは何を指すのでしょう。
狸やアライグマだけでなく、もっと似たようなもので人を化かすといわれるようなものをまとめて言うように思います。
ハダル@矢野です。
まだ、11月だというのに真冬のような気温の松江市です。
さて、このブログでも再三、紹介しています、文豪小泉八雲(ラフカデオ・ハーン)が世界に発信しなければ
日本でも有数の夕陽スポットに認定されていなかったという話題です。
皆さま、ご存じのように八雲はアイルランド生まれです。
この国には日本ほど四季がハッキリとしていなかったのでしょう。
そもそも、四季の変化を求めて来日したと言われています。
しかも山陰の松江に縁があったのも偶然ではなかったのではないでしょうか。
八雲が松江に来松した、明治23年ころの宍道湖は現在と少し様子が違います。
JR山陰本線より宍道湖側や白潟公園(県立美術館のあるところ)や松江宍道湖温泉街などは
昭和30年頃に干拓事業により新たに陸地となったところです。
宍道湖南側の円城寺傍のそば屋さんからめでるのが一番いいと言っていたらしいですが、
現在は嫁島卸団地の建物があり見通せなくなっています。
県立美術館から見る夕陽を八雲はどう評価するのでしょうね。
当時、八雲は刻々と変わる夕陽が湖面に映る様を以下のように表現しています。
私の前には広々として美しい湖が、柔らかい光でにぶくかがやいて眠っている。
…くすんだ濃い紫の靄が幅広くたなびき、朦朧とかすむ紫が更に中天(ちゅうてん)に向かうあたりは
薄く淡い朱やかすかな金色になり、それがまた仄(ほの)かにも淡い緑色を経(へ)て、青空の青さに溶けこむ。
/仄かに淡い夕暮れの色は五分ごとに変わっていく。
すべすべした玉虫色絹布(たまむしいろけんぷ)の色合(いろあ)いや陰影を思わせて
色という色が不思議なほどに目まぐるしく移り変わる。(小泉八雲『神々の国の首都』より、森亮訳)
ハダル@矢野です。
旅には最適な季節となりました。
私たち障がいをもつ者としては、一般の人よりいくらかの旅選びがあります。
現在は、障碍者差別解消法及び身体障碍者補助犬法の改正により、合理的配慮や入店拒否、乗車拒否などは、
努力義務から義務となっていますが、一般社会に浸透しているとはまだまだ言えない状況です。
特に宿泊施設では、人材不足により、合理化が進んできているのが現状です。
何といってもまずは、盲導犬の受け入れが可能かどうかが最重要なポイントです。
宿泊が可能だったとしても、盲導犬の排泄場所の確保や建物周辺でできるかどうかがもう一つの重要なポイントです。
次に、ホテル内を誘導してもらえるか、食事会場、食事のバイキング等の対応をしてもらえるか、
部屋の中の説明をしてもらえるか、また、急なハプニングや困ったときの相談や対応をしてもらえるかどうか、
以上の事からWEB上では詳細が不明で前もって電話で確認が必要になります。
ホテルスタッフに余裕がないと不可能になり、どうしても宿泊ん費用は、高くなる傾向にあります。
でも、宿泊費が少し高かったとしても気持ちの良い対応ならば、この次も同じホテル・旅館を利用したくなるのは、
人情ということです。
実際に私がそうだからです。
旅行の秋、味覚の秋を満喫しましょう!
まち歩きバリアフリー情報誌てくてく日和-山陰- 第44号(2023年秋)が完成しました!
今回の特集は「宿から楽しむ松江」と題し、バリアフリー化に積極的な松江しんじ湖温泉のお宿を特集しました。
その他、国宝松江城をもっと楽しむためのプランをご紹介。
てくてく日和はフリーペーパーで、中国地方の道の駅・山陰の観光案内所を中心に無料配布しております。
見かけましたらぜひお手に取ってご覧ください。
ウェブ版(PDF・Word)も準備中です。
できあがりましたらホームページにアップしますので、誌面を読むことが困難な方や遠方の方は、
ウェブ版をチェックしてみてください。
『てくてく日和 山陰』 特定非営利活動法人プロジェクトゆうあい
http://project-ui.com/social-business/barrier-free/hirori/#target
ハダル@矢野です。
松江市の秋を彩る伝統行事「松江祭鼕(どう)行列」が15日、秋空の下旧松江市内中心部で開催されました。
14町内・2団体の約1600人がそろいの法被で「鼕」と呼ばれる大太鼓を打ち鳴らし、
勇壮な音色を城下町に響かせました。
鼕行列は、直径1・2~1・8メートルの鼕を載せ、
ちょうちんなどで飾り付けた山車「鼕宮」が県庁前(松江市殿町)を出発。
約2キロ離れた白潟天満宮(同市天神町)まで笛とチャンガラの軽快なはやしや
「チョーサヤ、チョーサ」のかけ声に合わせ、踊るように威勢よく鼕をたたきながら練り歩きました。
道中は、松江大橋など5カ所で演舞があり、多くの市民や観光客が熱演に見入りました。
息の合った力強いばちさばきに大きな拍手を送り、写真や動画に収め、秋の風物詩を満喫したようです。
また、「山車によって調子が違い、町ごとの歴史の深みが感じられ、聞き応えがありました。
町内のお年寄りから若者への引継ぎは、数か月前から夜の練習で、おこなわれていました。
伝統のある行事は、こうして守られていますが、若者や子供の数が減少傾向にあるのが心配な面もありますね!