ハウル@矢野です。
島根県は、日本一目立たない県ですが、意外に全国一、二位が多いんですよ。
今回は、「懐かし自販機」の話題です。
島根県内で稼働しているのは出雲、浜田、益田各市と川本、吉賀、津和野各町に計9カ所あります。
群馬県の11か所についで全国第二位だそうです。
島根県に多い理由はというと自販機の普及が遅かった事とコンビニエンスストアの数が少ない事とか・・。
要するに田舎だという事なんでしょうね。
昭和の時代には、コインレストランや数代まとまった自販機の中には、必ずと言っていいほど 麺類やカレーを調理して出す自販機があったものです。
あっ、そうそう自販機の現存理由がもう一つありました。
愛好家が「自販機の神」とあがめる設置管理の職人さんが、島根にいる事も重要なポイントでした。
高い修理技術と愛着が口コミで伝わり、設置先に頼まれると全国から部品を集めるなどしてトラブルの面倒をみてくれるそうです。
私の住む松江市には、残念ながら一代もなくなりましたが、お隣の出雲市には、未だに営業中のコインレストランがあります。
出雲市斐川町上直江(かみなおえ)にあるコインレストランコウランです。
麺類やカレーを調理して出す昭和時代の自動販売機(自販機)が書籍やインターネット動画で「懐かし自販機」として紹介され、静かなブームになっているそうです。
そもそも、 「懐かし自販機」は1970年代から90年代半ばまで製造されました。
うどんの場合は、硬貨を入れると約30秒で湯通しされた麺が具と一緒に出て来ます。私はよくてんぷらうどんをいただきました。
温かい食事をその場で味わえるため、全国各地のドライブインなどに全盛期は1万台以上があったといわれています。
衰退した懐かし自販機ですが、近年は逆に物珍しさを求める若者やネット動画を見た外国人、トラック運転手が立ち寄る姿が目立つそうです。
コインレストランコウランも例外なく県外客が増えたということです。
お目当ての品は、国内では同店のみで稼働しているとされるカレー自販機(ビーフたっぷりカレーの1杯400円)です。
勿論、うどん・ラーメンは250円で用意されています。
普通のカレーライスは350円その他ここのお店では、おにぎり、サンドイッチ、スパゲティ、惣菜などもある無人のレストランです。以前には、日替わりランチもメニューにあったとか・・・。
何といっても、価格の安いのはありがたいことですね
コインレストランといえば、小腹系のイメージですが、ここではしっかり食べれそうですね。
「懐かし自販機」どころか、益々種類を増やすなど人件費と自販機の価格の問題はどうなんでしょうね。
こんなコインレストランがあるなんて地元に住む人も気がついていないかもしれません。
もうちょっで全国第一位になりそうです。なにがブームになるかわからないですね。
ハウル@矢野です。
プロジェクトゆうあいでは、事業の一環としてホームページのバリアフリー化を推進しています。
11月12日、松江駅前松江オープンソースラボにてウェブアクセシビリティセミ ナーを開催しました。
「ウェブアクセシビリティ」ってあんまり聞いたこともない方もいらっしゃると思います。どんな端末・パソコン環境でも情報にアクセスできることです。
今回のセミナーでは、島根県内の自治体または企業でホームページの更新、ウェブ管理を担当している10人の方に、集まっていただきました。
情報のバリアフリー化の促進が急ぐ背景や障がい者はどのようなアクセス方法をしているかなどの概論を説明しました。
実習では、サンプルの自治体のウェブサイトを参加者がグループに分かれて拾い上げ発表しました。
正眼者が何気なく見ているサイトにも隠れた問題がかなり発見されました。
ホームページの制作や企業の担当者など立場により専門性の違いはあれ、具体的に理解出来たのではないかと思います。
社会で日常生活を送る中で、ホームページからの情報取得がとても重要になりつつあります。
私のように画面読み上げソフト、拡大文字、画面の背景と文字の色を変えるなどの機能を利用している視覚障がい者の方も多数いらっしゃるのではないでしょうか。
今後は、高齢による視力低下の方も多くなると考えられます。
ホームページの内容がより良く理解出来、またアクセスし易いかがウェブサイトを閲覧する上でのバリアフリー化にもつながります。
特に県・市町村などの地方自治体は住民にとっての重要な情報の配信を行っています。
「ウェブアクセシビリティー」については、機会を通して社会に発信し理解を求めていかなければならないところです。
「詳しくはウェブで!」という言葉を良く聞きますが、果たして自社のウェブページは自信を持って発信出来ているのかと感じます。
アクセスした人が理解してくれているのかを考えた制作なのか。せっかくの情報発信がすべての人に理解されているのかをこのあたりでみなおさないともったいないかもしれませんね。
ハウル@矢野です。人身御供や人柱の逸話は、日本中にどこにでもある話ですが、こちら松江でも言い伝えられている秘話があります。
そもそも松江の市街地は宍道湖と中海を結ぶ大橋川で南北に分かれており、「松江大橋」はその大橋川に架かる橋です。
松江市民にとっては、橋北と橋南を結ぶ大動脈でとても重要な橋です。
現在は、合計5つの橋がかかっていますが、江戸時代初期までは大橋川には「カラカラ橋」と呼ばれた人がやっと通れる竹の橋が一本あるだけでした。
その昔は、ヤマタノオロチで神話となっている斐伊川からの洪水で毎年のように橋は流されていたようです。
橋は、一時期は、流されてもいいような浮き橋だったとか聞いています。
松江開府の祖である堀尾吉晴れ公より松江城築城にあたり、馬や物資を運ぶ荷車が通れる強固な橋の建設が命じられました。
この橋の建設工事は洪水などで難渋を極めたため、川の神の怒りを静めるために、マチの無い袴(横縞の継ぎをした袴という説もある)をはいて、その日の朝一番に「カラカラ橋」を渡る男を人柱とすることになり、橋とは何の関係も無い足軽の源助がたまたまその服装で橋を渡ったために捕らえられ、人柱として生きたまま橋脚の下に埋められました。
昔は、残酷な事をしたものですね。
このような経過を経て橋は慶長13年(1608年)に完成し、これが初代の松江大橋とされています。
その後も洪水や事故のため、何度も橋の架け替えが繰り返され、現在の橋は17代目の橋で、昭和12年(1937年)に完成したものです。
松江大橋の南詰めの「源助公園」には、橋の建設の「人柱」となり犠牲となった源助を供養する石碑があります。
大橋川の灯篭流しの時には、近くのお寺から源助像も公園に移動して、一緒に供養されるそうです。
このような秘話を聞けば、橋を渡る時には、橋の南詰にある石碑に手を合わさないといけないような気分にさせられますね。
松江市民であれば、源助を知らない人はいません。それほど市民は、感謝し、今でも供養は欠かしません。
現在では、松江大橋の上では、武者行列、大綱引き、どう行列、松江踊りなどどれをとっても松江を象徴するイベントには、なんとも絵になる光景となっています。
大橋川は、洪水災害のための護岸工事の計画がされています。数年後には、新しい大橋がお目に絵することになります。その時には、しっかりと源助像に安全祈願をして工事の施工に当たってほしいと願いたいものです。
ハウル@矢野です。北の国からは積雪の便りが届く中、紅葉が平地にも届き始めているこちら松江市です。
今回は、真面目に?バナナの皮の研究をして、ノーベル賞をもらった大学教授らの話題です。
「バナナの皮でイグ・ノーベル賞受賞」というニュースが今年9月に飛び込んで来ました。えっ?・・ノーベル賞なの?
今年は確かLEDの人じゃなかったっけ!
よくよく聞いてみるとイグノーベル賞 (イグノーベルしょう、英: Ig Nobel Prize)というのだそうです。
「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して与えられる賞だそうです。
2014年9月23日 のニュースでバナナを手に持ち、記者会見する物理学者北里大の馬渕清資教授ら4人の姿がありました。
「バナナを踏んで滑ったこと有りますか?」あまりにもメジャー過ぎるパロディではないですか。なんと6倍滑り易くなるらしいですよ。
これを研究して、科学的な根拠で数字化したバナナの皮の内側の粘液と人間の関節液が似ていることからこの研究成果が人間の関節の滑らかな動きの仕組みをより明確する研究や人工関節の研究に応用されるそうです。
流石に物理学者ですね。もともと、関節に関する研究を長年してきたからこそ閃くのかもしれません。いずれにしても、ジョークが苦手の日本人がグローバル化しつつある証拠かもしれませんね。なにはともあれ、賞を受賞したことは、自慢すべきことでしょう。
本当に、バナナの皮から連想したのか、関節の動きから無理やりこじつけたのかは謎です。
継続した研究をお願いしたいと思います。本物のノーベル物理学賞を受賞するのも近いかもしれませんね。
ハウル@矢野です。今回は、明治維新に活躍した松江藩のジャンヌ・ダルクの紹介です。
その人の名前は、玄丹かよ げんたん・かよ天保13年(1842年)~大正7年(1918年)といいます。
お加代は、もと松江藩士で鍼医・錦織玄丹の娘として生まれました。
明治維新のとき窮地にたった松江藩のために、身を挺して活躍した女性です。
慶応4年(1868)山陰鎮撫使一行は、松江藩が徳川の親藩(松平家)であるため、その動静に不信を抱き、更に種々の行き違いがあって松江藩に3か条の難問題をつきつけ、ために家老大橋茂右衛門は切腹して謝罪することとなりました。
藩はこの対策に苦慮し、松江入りした彼らのいうままであったが、この時これら荒武者を酒席で操縦し、一行の態度を和らげて出雲女の義侠心を発揮したのが彼女です。
白刃に貫いたかまぼこを平然と紅唇に受けたとか、幹部に迫って家老のいのちを助けたなどが伝えられています。
郷土を守るために、「一大事となれば一身を捧げて対処する」とい信念の基、藩の窮地を救ったのです。
会津藩の山本八重のように銃の名手だった訳でもありませんが、いざとなれば命を惜しまない勇気ある行動には、出雲女の芯の強さを感じます。
この功績を後世に残すために宍道湖畔の白潟(しらかた)公園には、お加世の胸像が建てられています。
また、減反田を玄丹にかけた玄丹そばの栽培が松江市郊外の田んぼで始まりました。
生産農家、そば職人、製粉会社、商工会議所、松江市などが「松江ならではの出雲そばを作りたい」と始めたものです。
スローフードの時流に乗って地元産の玄丹そばを使うそば屋も増えてきています。また、玄丹そばを素材としたそば焼酎もお目見えの予定だそうです。
松江のジャンヌ・ダルク玄丹かよがそばの名前を借りて松江に出雲女の心意気を継承しています。
是非、一度ご賞味下されば、出雲女の一大事にはという勇気が少しばかりは味わえるかもしれませんよ。