ハウル@矢野です。
早、春一番も吹き、2月もあっという間に過ぎ去ろうとしています。
今回は、「島根は日本酒発祥の地」という話題です。
この時期には、各酒蔵ではしぼりたての新酒が出揃います。
日本酒好きの筆者にとっては楽しみな季節となりました。既に、「しぼりたて元首」の生酒をいただきご満悦の筆者です。
ここ松江市内にも幾つかの酒蔵があり、新酒の試飲をしています。3軒もはしごをするともう足元もおぼつかないことになります。
かつては、日本酒の消費量が一人当たり全国一の時代もありましたが、今は5位に低迷(?)しています。しかし、相変わらず日本酒好きの県民性には変わりはありません。
そもそも、島根にはよい酒ができる大切な三つの条件が揃っているのです。
きれいな水を育む豊かな自然、高品質の酒造好適米、伝統と優秀な技術を誇る出雲杜氏・石見杜氏がいます。現在、島根県内には35場の蔵元があり、いずれも立派な品質の酒を造っており毎年全国新酒鑑評会等で優秀な成績を挙げています。
古代の神様たちも全国に先駆けてこの島根の地に目をつけられたのです。
出雲神話のエピソードや出雲国風土記、日本酒の神様を祀る神社など古来よりこの地と日本酒に深い関係があったことを教えてくれています。
出雲大社の東にある出雲市平田町には、お酒の神様をお奉りした2つの神社があります。
酒造りの神である久斯之神(くすのかみ)を祀る佐香神社と松尾神社です。
酒の古名である「佐香(さか)」の名をもつこの地は、出雲国風土記にも『この地に神々が集い、調理場を建て酒を醸造させられた。180日間、酒宴を開いた後、お別れになった。故に佐香という。』といった記述で紹介されています。
この神社では酒造を年間180リットルだけ許可されており、毎年10月に行われる濁酒祭では仕込まれた濁り酒を神前にお供えして1年の酒造祈願をします。
出雲神話には『スサノオノミコトがヤマタノオロチに八塩折(やしおり)の酒を飲ませ、酔ったところを退治してクシナダヒメを救った』という有名なお話があります。神話の時代、この地に酒造りの高度な技術があったことが伺えます。
島根は日本酒発祥の地といわれることも納得のいくところですね。
酒蔵見学は酒の仕込みが行われる冬季に限り受け付けていらっしゃるそうですので、是非一度その様子を間近で見てみてください。見学は要予約となります。
酒造りを見学して、試飲をすれば日本酒好きな方でなくても買いたくなること請け合いです。
過度の飲酒にはご注意を!)
ハウル@矢野です。昨日は、暦の上では、雨水となり、少し筒春の話題を耳にしますが、まだまだ残寒のこちら松江市です。
今回は、日本庭園には欠かせない「出雲灯篭」の話題です。
来待石は島根県を代表する石材のひとつです。
古くは古墳時代から石材として利用されたといわれています。江戸時代には松江藩の松平直政公がお止め石として藩外への流出を禁止し、松江藩の特産品としてから「出雲石灯篭」のブランドができたといわれています。
来待石は、石質が軟らかく、切り出しや加工がしやすいのが特徴です。また、風化が速いため、切り出した直後は灰色がかった色調であったものが、短い期間で、黄褐色の古めいた風情ある外観になっていきます。
苔も付きやすく、日本庭園をつくるのになくてはならない素材のひとつとなるわけです。
ここに灯篭が絶妙に合う訳です。
かつて昭和40~50年代にかけてはこの灯篭を飛ぶように売れたと言います。
この石は、宍道湖の南、松江市玉湯町から同宍道町にかけて東西約10km、幅1~2kmの地域で採石される石材で、安山岩質な砕屑物を主体とする塊状砂岩です。
山陰自動車道沿いの市道に入ってみると山腹のいたるところに直壁が現われます。これはかつて石材を切り出した採石場の跡です。
また、この砂岩からはまれにサイやカバの仲間の化石もみつかるそうです。
宍道町あたりの国道9号線沿いには今も石屋さんの展示場が並んでいます。細工が容易なことから、うさぎや白鳥などの動物も見受けられます。
また、興味のある方は、「ミュージアム」があり、石細工や陶芸の体験が出来る施設もあります。問い合わせてみて下さい。
最後に下記に体験コーナーの案内を記載しておきます。
来待ストーンミュージアム
〒699-0404
島根県松江市宍道町東来待1574-1
TEL:0852-66-9050
FAX:0852-66-1430
体験工房
〒699-0404
島根県松江市宍道町東来待1646
TEL:0852-66-9100
FAX:0852-66-1450
夢工房
〒699-0404
島根県松江市宍道町東来待1632
TEL:0852-66-3731
FAX:0852-66-3731
以上です。
ハウル@矢野です。
城下町でありますところの松江市にも戦国時代にその名を轟かせた鉄砲隊の雑賀衆がいました。
雑賀衆と言えば、紀州(和歌山県)ですね。あの織田信長が攻め和え居ていた本願寺に見方した鉄砲隊の集団です。
初代城主の堀尾吉春が松江に入場の時に連れて来たと言う事です。
松江城城下の南の一角に足軽長屋が形成されました。
足軽の中の鉄砲隊の精鋭が雑賀周と呼ばれていました。
城主が初代堀尾氏、京極氏、松平氏となるころには、雑賀町と雑賀周の名前がつきました。
碁盤の目のような江戸時代の町割りの面影を残し、民家が連なる松江市雑賀(さいか)町は、車1台がやっと通れる狭い東西約600メートルです。
国道9号線の南側約100メートルに平行してはしっています。
何時でも出陣の準備は怠りませんでした。天下も平定され、江戸時代の平和な世の中が続く事になりますが戦国時代の精鋭たちは、
その時代にも、 特殊技能を秘めた雑賀の下級武士団は算術などの素養を伝え、貧しいながら向学心の強い地域だったらしいのです。
明治維新前後までに、二十を超す寺子屋や私塾が誕生しました。
明治6(1873)年にはこれらを洞光寺へまとめ、松江最初の小学校(現雑賀小学校)が開校しました。
それ以降も勉学の機運は衰えず、総理大臣を2度務めた若槻礼次郎、近代スポーツの父・岸清一、教育者であり法律家の梅健次郎をはじめ郷土の偉人を多数輩出しています。
今も雑賀小学校には「雑賀魂」という言葉があり、学問に打ち込んで身を立て、何らかの道で日本一になり、世のためになれという意味だそうです。
今、NHK大河ドラマでは、長州藩の吉田松陰の妹さんで盛り上がっています。
松江藩も学問においては、明治維新の時代にもそんなには引けを取ってはいなかったのです。
それから、数十年後には消費税を導入した竹下 登総理大臣も島根県が生んだ偉人なのです。
ハウル@矢野です。
立春になりましたので、少し安心をしていたら真冬に逆戻りのこちら松江市です。
2月10日(火)に島根県浜田市で「交通バリアフリー」の研修会にプロジェクトゆうあいからコーディネーター・講師として参加しましたので、報告をします。
この研修会は、国土交通省中国運輸局島根支局の主催で毎年、地区を分けて開催されています。
昨年、一昨年は、松江、出雲地区で開催され、今年は島根県西部の浜田市で行われました。
今回の研修テーマは、「心のバリアフリー」です。
特に交通弱者である身体障がい者・高齢者の利用時を想定されました。
参加対象は、バス・タクシーの運転手さんです。
まずは、2つのグループに分かれてのアイマスクと高齢者の疑似体験です。
高齢者体験は準備が大変そうでした。
目にはゴーグルをつけて真ん中くらいがほんの少し見えるそうです。
耳には、ヘッドホンをつけてほんの少ししか聞こえないようにします。
これだけではなく、からだにはおもりをつけたり膝を曲がらなくしたり重いスリッパ
をはきます。
重装備なのでみなさんは苦労してバスやタクシーの乗り降りの体験をしました。
しかもバスはノンステップどころか3段ステップのです。
なにせ、急にそんな恰好をさせられるのですから運転手さんたちもたまったもんでは
なかったと思います。
「もう少し大きな声で誘導してくれないと聞こえません。」、「怪談は上がるの?下がるの?。」などの声が聞こえます。
私と盲導犬のハウルは、アイマスクのグループのみなさんと一緒に乗り降りをして注意す
ることやここではこんな声掛けをしてくださいなどの願いをしました。
今日はNHKのカメラが2台来ていてその様子を取材しています。
それから、教室に戻って、私が講演をしました。
あれっ!既にカメラマンさんは、帰られたみたいです。残念!
講演内容は、いくらハードな面が充実しても完璧になることはないとかバスやタクシ
ーに乗る時には、人の声で話しかけてもらうと自分の事を見ていてくれると感じるの
でほっとする事など最近は、スピーカーから流れる機械音では思いやりという面では
さみしいものを感じることなどをお話しました。
私の毎日の盲導犬との通勤時に実際に運転手さんや乗客のみなさんに手引きや空いている席をおしえてもらったりまた、席を譲ってもらう事、時には運転手さんも運転席から降りて解除しなければならない事などお話をしました。
運転手さんたちはとても真剣に研修していただきました。
テレビに映らなかったのは残念でしたが、今日は有意義な研修会となりました。
明日から島根県西部のバスやタクシーは利用客にとっては、ソフト面でのバリアフリーが進んだ事は、間違いの無いところです。
ハウル@矢野です。
昨日は、赤おにのお面をつけて子供たちにマメ攻撃をされたお父さんも多いのではないでしょうか。
お疲れ様でした♪
今日から、暦の上では春に突入しました。
今日は、中国横断道尾道松江線の愛称、「中国やまなみ街道」がいよいよ3月22日に開通するという話題です。
中国横断道尾道松江線の愛称が、公募で「中国やまなみ街道」に決まり、全線開通は、3月22日になりました。
開通を前に松江~広島の国道沿線の市町村では、「食」に関する交流が盛んに行われています。
2月1日には、JR松江駅前では、カニ汁、かき、イノシシ肉、島根和牛などの屋台が並び、地元の人や旅行客に「食」の流通をアピールされました。
愛称が、公募で「中国やまなみ街道」に決まったのは、中国山地の穏やかな稜線をイメージでき、広島
県尾道市と四国を結ぶ「瀬戸内しまなみ海道」との一体感があるとの理由から決まったとのことです。
親しみやすい呼び名で知名度アップを図り、利用促進につなげようと、島根・広島
両県の沿線9市町などでつくる建設促進期成同盟会が決定しました。
松江市から尾道市まで約137㎞が約2時間30分で結ばれることになります。
特徴は、無料の高速道路 です。(一部区間を除く)
新直轄方式で整備された高速道路ですので、通行料金は無料です。(三刀屋木次IC~松江玉造IC間除く。尾道本線料金所~尾道JCT間除く。)
?新直轄方式とは?
高速道路の建設において、高速道路会社によらず国と地方自治体の負担によって建設するもの。
従って、高速道路の通行料が無料となる訳です。
各自治体が資金を出し合って出来たのですから、「食」だけでなく、より、文化、産業、観光など多方面からの交流を願っての開通となります。
ますます、四国と山陰が近くなり利用が盛んになり交流の機会も増えることを願います。