出雲大社の裏山の銅鉱脈は何を伝えているのか?!
ハダル@矢野です。季節の変わり目とあり、この3月は雨量は先月よりも断然多く感じる松江市です。
もう2週間もすれば松江城の桜もお城まつりを待たずして開花しそうな勢いです。
以下は、出雲大社北にある島根半島 北山産地の銅山についての私のコラムです。
ここからです。
斐川町で発見された、358本の銅剣は、その原材料を中国産の銅とする説があるが、島根半島で採れる「自然銅」を原料としたのではないかとの説は、現在も根強く唱えられている。ここで取り上げたいのは、出雲大社の裏山から北に広がる地域の産銅についてだ。古代出雲王権は、この出雲大社を中心として栄えた。出雲大社のある大社町杵築は、斐伊川・神戸川また、稲佐の浜などの交通の拠点だったからである。それと当然ながら青銅器文化と一緒に銅の採掘技術もやって来たのではないかと思う。なぜなら、島根半島には朝鮮名の地区が多いというところに着眼するとそういう気になってくる。
さて、出雲大社の裏山も含め、北山山系といわれる島根半島の山中には「自然銅」の露頭があったとされている。大きなものは、牛の胴体のようなものもあったという。純度は高くて約97,8%ともいわれている。
ここでは、2つの銅山を紹介しておく。鵜峠はその昔鷺浦と同様に山中には銅山の坑口が残されており、付近の川には銅の金気を思わせる赤い水が流れており、中和処置を今も続けられている。
龍の山という尾根に山境の石杭が立ててあるが、西側が鷺浦地区、東側が鵜峠地区となっている。大社港辺りから南の山を眺めて西側のやや低い山を西龍と言い、その西側一帯が元鷺銅山である。
石見銀山より遥か昔に銅が掘られていたとのことであるが、出雲地方にたくさん出土した銅剣や銅鐸の銅はここで掘られたものではないかと言われている。
この鷺銅山は、石見銀山のさきがけをなした古い銅山であるが、このことや場所についてもあまり知られていない。
出雲大社の横を鷺浦に向かって車で十分ほど走ると、峠を下って平たんになった辺りに、右側に石垣が見えてくる。そこが鷺銅山のあったところだ。
太古に生成した鉱物なのだから、そうした人の手による採掘が行なわれる以前から、出雲大社の裏山のような所には、銅鉱石が眠っていたことになる。
ところで、日本遺産に認定された神がつくりだした海岸線に沈む夕日出雲神話の舞台となった
「稲佐の浜」と「日御碕(ひのみさき)」の名で親しまれ、そこから見る夕日はさすが、日本遺産だ。
古来、大和の北西にある出雲は、日が沈む聖地として認識されていたようだ。
この地域を散策されるのであれば、古い銅山跡も風景の中に入れて思いを古代にタイムスリップしたなら神話のふるさと“出雲”を一味違った神代が感ぜられるかもしれない。
ここまでです。