松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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「たたら製鉄」がもたらした「源流仁多米こしひかり」との密接な関係ッて何?

2017年08月21日 14:16   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。今回は、「たたら製鉄」がもたらした「源流仁多米こしひかり」との密接な関係について紹介します。
近年、開発によって地域の個性が失われていく中で、人々の生活や風土に深く結びついた地域特有の景観の重要性が見直されるとともに、その保護の必要性が認識されています。
この流れを受けて、奥出雲町の棚田風景が、平成26年3月18日に「奥出雲たたら製鉄及び棚田の文化的景観」として、『国重要文化的景観』に選定されました。奥出雲の「たたら製鉄」という産業が自然と融合し、そこに人々が共生することによって、土地を永続的に循環させるという知恵と工夫。 そうして自然ともたらされた景観こそが「奥出雲たたら製鉄及び棚田の文化的景観」なのです。
たたら製鉄は、鉄を生産したのみでなく、燃料木炭製造にかかる山林経営、鉄穴流しによる土地利用、その跡地を利用した棚田造成はもとより、輸送、農耕のための牛馬の改良や流通道路網の整備、さらには竹崎の十七夜や大呂愛宕祭りなどの伝統文化を生み出すなど、多面にわたり奥出雲の歴史文化に多大な影響を与えてきました。これらの歴史文化と、それによってもたらされた景観は、奥出雲にとってかけがえのない文化遺産となりました。
奥出雲地域は、たたら製鉄の原料となる良質な砂鉄が採掘され、燃料となる薪炭林が豊富であるという恵まれた自然環境のため、古来より「たたら製鉄」が盛んに行われてきました。最盛期の江戸時代の後期から明治初頭まで、我が国を代表する鉄の一大産地でした。  
たたら製鉄の原料となる砂鉄は、「鉄穴流し(かんなながし)」という方法で採取していました。これは、岩石中にある砂鉄を水流の破砕力を利用して土砂と砂鉄を分離させ、比重差によって砂鉄のみを取り出す方法です。 
この鉄穴流しによって山が切り崩され、奥出雲の大地は大規模な地形改変がなされました。今でいうところの自然破壊をして鉄の生産を永年の間してきました。
これがどうして現在、私たちを魅了する美しい棚田景観に変貌し、「仁多米」の産地となったのでしょうか。棚田の多くは、この鉄穴流し跡地に拓かれたものなのです。
砂鉄採取のため想像を絶する面積の山々を鉄穴流しで切り崩しましたが、驚くべきことに、切り崩し流された広大な跡地は、黄金に輝きを放つ稲田へと姿を変え、食通をうならせる「仁多米」の産地となったのです。
これは、採掘後に無残にも投棄されて荒廃の道をたどる世界の他の鉱山ではあり得ないことです。
ここに、現代社会が求めている環境リサイクル社会の原点を見ることができ、訪れる者に驚きと感動を与えています。
棚田へと変貌を遂げた理由として、次の事があげられます。
1.鉄穴流しに利用していた水路をそのまま水田用の水路にできたこと
2.鉄穴流し跡の棚田は南斜面が多く、日照時間が長く日当たりが良いこと
3.気温、日照、水温、降水、降雪などの環境条件が米づくりに最適であること
4.水と土壌に豊富なミネラルが含まれており、農作物の栽培に適していること
これらの好条件が重なり、奥出雲は「鉄の産地」から「お米の産地」へと変貌を遂げることができました。そして、この地で採れるお米は美味しいと高く評価され、「西の米どころ」として今もその名を馳せています。