小泉八雲の怪談 姥桜(うばさくら)に伝わるぞっとするお話
ハウル@矢野です。
桜の季節も終わり葉桜となりましたが、小泉八雲の桜にまつわる怪談を紹介します。
小泉八雲の桜にまつわる話は二つあります。 『乳母桜』、『十六桜』櫻のものがたりです。
まずは、乳母桜』からです。
姥桜とは、ヒガンザクラやウバヒガンなど、葉が出るよりも先に花が咲く桜の俗称です。娘盛りが過ぎても、なお美しさや色気が残っている女性の事を表しています。
もともとの意味は、姥桜は、花の盛りに葉がない桜を、歯のない姥にかけたもので、かなりの年増でありながら艶かしい女性もいうようになったものです。現代では、美しさを表す「桜」よりも、老いを表す「姥」に重点が移り、年甲斐もなく若作りをしている女性を指すようになりました。
かの小泉八雲はどういうふうに理解していたのかは不明ですがおそらくは奥さんのセツさんの考えがかなり影響したものではないでしょうか。どうも語源に近い意味に捉えているようです。
今回は、松江に関係はしないのですが紹介します。
ところは、愛媛県松山市の話です。松山城の西にある小高い山は、西山と呼ばれています。西山の麓に国宝建造物のある大宝寺があります。
ここから本題です。引用文になります。
昔々、角木長者といわれる長者がいた。長者は子供に恵まれず、大宝寺のお薬師様に「子供が授かりますように」と願かけをした。この願いが叶い女の子が生まれ、名を「るり」と名付け乳母が大事に育てていた。ある日、乳母の乳が出なくなり子育てに難渋していた。子供を授かったお薬師様に願ったところ、やがて乳母の乳も元通りになり、お礼に本堂を建立したという。
娘は成長し15歳を迎えた頃、重い病になり、乳母は「我が命に代えてでも、るり様をお助け下さい。」と大宝寺のお薬師様にお祈りをした。その甲斐あって、るり姫は平癒し元気を取り戻したが、乳母の身体は衰弱し、お薬師様との約束事だと言って薬も口にせず「お薬師様のお礼に、桜の木を植えて下さい。」と言って死んでしまった。長者は乳母の真心を思い、桜の木を本堂の前に植栽した。
桜は成長し花の咲く時期になると、母乳のような色の見事な花を咲かせているという。
それで、この桜は【姥桜】【乳母桜」と呼ばれています。
おしまいです。