製鉄の神様 金屋子神社(かなやごじんじゃ)とは?
ハウル@矢野です。
鯉のぼりと言えば、魚の鯉ですが、鮫やイルカまたオオサンショウウオのぼりが泳いでいる島根です。暦の上では立夏を過ぎて春と夏が混在していますので、着衣には困ったものです。
豊かな自然に囲まれた出雲地方には、じつに様々な歴史や特有の神話が残されています。
今回は、奥出雲から安来市まではたたら街道で大昔より栄えました。そのたたらの神様の総本宮が安来市の山中地域に鎮座していますという話題です。
たたらの発達した地域には、金屋子というあまり聞いたことのない名前の神様が祀られています。
出雲にある金屋子神社は、全国1200社を数える金屋子神社の総本山です。春秋の大祭には、たたらの職人をはじめ、製鉄に関わる様々な人たちが数多く参拝しています。
総ケヤキ造りの本殿と拝殿、そして石造りでは日本一といわれる高さ9mの鳥居を持つ金屋子神社は、その存在感は荘厳ながら、どこか他の神社にはない異質な感じを持っています。
閑散な自然に囲まれているからでしょうか。六感に、ひんやりとしたものを感じます。まるで玉鋼を精錬し、磨き上げて作られる刃物を連想してしまいます。背筋に鋭い刃を感じます。
この神社は製鉄関係者しかしらないマイナーな存在だからでしょうか。そこに伝わる神話も、かなり奥が深いものがあります。
こういう神話がありますので一部引用します。
大昔のある年の夏のことです。日照りで困っていた播磨(はりま)の国に、恵みの雨を降らした神様がいらっしゃいました。この神が「わたしは金山彦天目一個神という金屋子の神です。これから遠く西の方へ行き、そこで鉄を吹き、道具を作ることを多くの人に教えなければなりません」と語り、白鷺に乗り天高く飛び立っていかれました。たどりついたのは出雲の国、西比田黒田の森の「桂の木」。どうりで、金屋子神社の周辺には立派な桂の古木が多いはずです。
たたらの高殿の建設を指揮したのは、なんと75人の子どもの神々だったそうです。75種類の道具を作り、土地を整備したり、杉の木を伐って「ふいご」を作ったりしたといいます。高殿とは、「華麗なる・・」で言えば高炉のことです。この高殿には6本の大きな柱が建てられ、金屋子神、木の神、日の神、月の神が東西南北の方向を守護した。
ある年の冬の事です。「村下(むらげ)」と呼ばれる技術長が麻に足をとられ、転んで死んでしまいました。金屋子神は「村下の死骸を高殿の柱にくくりつけて鉄を吹くのです」と教えたそうです。神の言われるままにすると、これまでにない良い鉄を作ることができたと伝わッています。
金屋子神は秘伝の製鉄技術を教え、繁栄をもたらしたという事です。その反面、「死のけがれ」を好む神様でもあるのです。あのひんやりとした感覚、あれはもしかして火柱となった村下たちの霊魂・・・・なのかもしれません。あまり気持ちのいい話ではありませんがそれだけ鉄の精錬技術は神がかった神聖なものだったに違いありません。
金屋子神に関連していろいろの珍しいタブーがありますので紹介します。
金屋子さんは犬と蔦、麻が嫌い、藤は好き
鳥取県日野郡では金屋子さんが天降りされた時、犬に吠えられ蔦を伝って逃げられたが蔦が切れたので犬に噛まれて亡くなった。島根県飯石郡では蔦の代わりに麻苧(あさお)に絡まって亡くなった。仁多郡では蔦が切れたが、藤に掴まって助かった、などの伝説があります。神とは言いながら何とも人間臭いユーモラスな話です。そのような訳でたたらの中には犬を入れない、たたらの道具に麻苧を用いないと言います。また、桂の木は神木なのでたたらで燃やさないとされています。
金屋子さんは女嫌い
金屋子神は女神なので女嫌い、妻が月経の時は夫の村下はたたらへは入らず、産褥の時はたたらを休み、もし仕事の手が離せないなら家へ帰らず生まれた子供の顔も見なかったそうです。村下は特に厳しく、風呂は女の入った後は絶対に入らなかったといいます。
金屋子さんは屍体が好き
金屋子さんが突然亡くなられた時、門弟共は、たたらをどうすれば良いか分からず、金屋子神に救いを求めて祈ったところ、鉄がどうしても涌かないときは四柱に死体を立て掛けよ(仁多郡)、村下の骨を四柱に括り付けよ(吉田村)と神託があったと言います。
金屋子神社のお祭りは毎年春は三月の中子の日、秋は十月の初子の日に催されます。昔は比田の金屋子祭りと言えば出雲、伯耆はもちろん、遠い他国からもたたら師や鍛冶屋が参りに来たそうです。
詳しいお問い合わせ先は、 0854-34-0700(金屋子神話民俗館)まで。
アクセス JR荒島駅からイエローバス(観光ループ内周り)25分、広瀬バスターミナル下車乗換え・西比田車庫前下車徒歩30分