松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江/山陰バリアフリーツアーセンター の活動状況や、各種お知らせを掲載します。

歩きスマホ禁止条例が遂に禁止です!!

2020年06月30日 15:55   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江のハダル@矢野です。今日は不快指数 盛り上がりの松江市です。アジサイが雨を感じて色鮮やかに咲いていますよ!梅雨真っ最中って感じです。
このようにのんきな事を言っている状態でない地方の方にはごめんなさいです!
今日は、道路や公園で歩きながらスマートフォンや携帯電話を操作する「歩きスマホ」を禁じる全国初の条例が神奈川県大和市議会で成立し、7月1日に施行される。という話題です。
勿論、他の歩行者や車と衝突したり、階段から転落したりする事故を防ぐのが狙いです。
違反者に対する罰則は設けていないため、実効性は未知数ですが、私たち視覚障害者などからは歓迎の声が上がっています。
道路に敷設されている歩道ブロックの上での歩きスマホは特に簡便してほしいものですね!
この人たちは、歩道ブロックが何のためなのかをきっと知らないんでしょうね。ぶつかったりすると逆切れされて、「気をつけろ!」なんて視覚障がい者は、経験があると思います。早く全国的に広がればと感じるこの頃です。



「新しい旅のエチケット」が発表されました!

2020年06月24日 09:13   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江のハダル@矢野です。
新型コロナウイルスの感染拡大防止の為の緊急事態宣言が6月19日から全国での移動も解除されました。
こちら松江でも感染予防をしながらの観光施設での営業です。人気の松江城堀川遊覧船も14人定員を6人定員で運行しています。
これからが、コロナ対策の本番ですね。
クラスターが発生したらまた、元にもどります。
一人一人が気をつけて暮らさなければなりませんね。
以下に「新しい旅のエチケット」が発表されています。
詳しくはURLからご覧ください。


○新しい旅のエチケット」概要
【策定主体】
旅行連絡会(協力:国土交通省・観光庁)
※ 旅行連絡会……交通機関や宿泊・観光施設等の旅行関係業界の業界団体等で構成
【概要】
旅行時における感染防止のための基本的な留意事項に加え、旅行の各場面(移動、食事、宿泊、観光施設、ショッピング)ごとの留意事項を掲載。今後、旅行連絡会加入団体等より、ホームページへの掲載・ポスター掲示・チラシ配布等により、旅行者への周知を実施します。
(例)
 ・ マスク着け、私も安心、周りも安心。
 ・ 旅ゆけば、何はともあれ、手洗い・消毒。
 ・ 間あけ、ゆったり並べば、気持ちもゆったり。
 ・ 楽しくも、車内のおしゃべり控えめに。
 ・ おみやげは、あれこれ触らず目で選ぼう。
【掲載URL】
(一社)日本旅行業協会 http://www.jata-net.or.jp/virus/
(一社)全国旅行業協会 http://www.anta.or.jp/covid-19/別ウインドウ



年のNHK大河「麒麟がくる」をどんな見方をしますか?

2020年04月10日 15:33   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江のハダル@矢野です。昨日松江市で島根県で一人目の新型コロナウイルスの感染者がとうとう出てしまいました。観光的には松江市が所有の松江城やその周辺の施設は閉鎖されてしまいました。観光客もまばらな状態となりました。いつまで、この戦いは続くのでしょうか?
さて、2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」は、明智光秀が主人公です。 光秀は主君、織田信長を討った謀反人、裏切り者というイメージで語られています。ですが、それは必ずしも事実とは言い難いのではないかと思っています。
明智光秀は羽柴秀吉と並んで、信長を支える家臣でした。信長の家臣にはもちろん、柴田勝家や、丹羽長秀といった有力な武将が他にもいました。ですが、信長が本当に信頼した武将は、光秀と秀吉の2人だけではなかったのではないかと思います。
歴史とは、常に勝者が書くものです。後世にはそうした信長が信頼した武将という光秀の姿はあまり伝わらなかったのです。むしろ、秀吉による光秀討伐を正当化するため、光秀は謀反人であり、それを討伐した秀吉の偉大さ、天下人たるエピソードばかりが語り伝えられています。
事実は逆ではないかと感じます。信長は秀吉よりも、光秀を信頼し、期待を寄せていました。
柴田勝家が北陸方面、秀吉が中国方面と、各武将の担当する地域を決めた際、信長のお膝元である「京都」とその周辺、すなわち「丹波」「摂津」「大和」を任せたのは、秀吉でなく、光秀とその与力(よりき)大名でした。つまり、光秀は信長家臣団の中で、序列筆頭だったのです。
信長が光秀をそれほど信頼していたことには、理由があるのです。まず信長は、光秀の軍略を高く買っていました。さらに、「京都奉行」といった役割をつつがなく果たした、施政者としての光秀の能力を、信長は高く評価していました。ただ、信長が最も高く買っていたのは、光秀が持っていた「京都人脈」でした。
つまり、上洛して天下人となった信長にとって、朝廷や公家と仲良く交流できる、文化人としての光秀の能力は大変貴重だったのです。
本能寺の変、光秀謀反の真因は何だったか、議論のあるところですが、信長の悪政を阻止するための光秀の危機管理だった可能性もあると、私には思えるのです。では、明智光秀はなぜ主君、織田信長を討ったのでしょうか。
天正一〇(1582)年6月に起きた「本能寺の変」は、日本史における最大のミステリーです。信長から高く評価されていた光秀が、なぜ謀反を起こしたのでしょうか。
「本能寺の変」の半年前、天正一〇年の年明けまで、光秀には謀反を起こす気はなかったのではないでしょうか。光秀は、信長からもらった茶器で「初釜」(正月の茶の集い)をしています。つまり、この時まで光秀は信長への敬意を持っていた可能性が高いのです。
その年の3月には、信長が武田勝頼を滅ぼしました。長年信長を悩ませてきた武田家が、これで滅亡したことになります。そうなると信長は「俺の敵はいなくなった」と考え、彼の増長がはじまったと考えられるのです。
その象徴的なできごとが、勝頼の首実検です。戦国時代、乱世の事とは言え、首実検においても最低限の死者への敬意は見せるのが当時の常識で、首を拝み、死者にねぎらいの言葉をかけるのが作法でした。
ですが、信長は悪口をいって勝頼の首を蹴飛ばしたと言います。光秀はこの光景をそばで見ており、きっと「常軌を逸した行動だ」と思ったはずです。
もう1つの出来事は、武田攻めの帰りに起こりました。
信長が「せっかく甲斐まで来たんだから、富士山を見て帰りたい」と言ったとき、従軍していた太政大臣の近衛前久が「お供しましょう」と言いました。
すると信長は、「わごれなんどは木曽路を帰れ」と馬上から暴言を吐いたといいます。信長の家臣ならまだしも、太政大臣は今でいう総理大臣であり、きわめて位の高い相手です。それに対して、ふつうなら考えられない暴言を信長は吐いたのです。
光秀はこの光景をそばで見ており、「これはおかしい」と思ったのではないでしょうか。
そしてもう1つ、信長の息子の信忠が、信長に敵対する武将が甲斐の恵林寺に逃げ込んだため、恵林寺を焼き討ちしました。
当時のお寺はいわゆる「治外法権」であり、お寺は逃げてくる人間をかくまうことができました。
ただ、織田勢は、武将を山門に追い上げて、僧侶150人ともども焼いてしまったのです。しかも恵林寺のトップは、天皇から「国師号」というお墨付きをもらった高僧だったのです。
これ以上信長を増長させると、いずれ朝廷に弓を引きかねない、と光秀は感じ、謀反を決意したのではないでしょうか。
「本能寺の変」が起こった理由は、もちろん1つではありません。信長家臣団の中で、光秀が追い詰められていたという面も考えられます。
「本能寺の変」が起こった背景には、このまま信長が応援に向かい、秀吉とともに毛利を討てば、自分より秀吉のほうが上になると光秀が恐れた、という側面もあるかもしれません。
また、四国の大名、長宗我部元親の問題も関係していると思われます。元親が信長に接近した際、橋渡し役をつとめたのは光秀でした。ですが、せっかく信長との仲を取り持った長宗我部が、四国を席巻しそうになり、信長は長宗我部に対して「これ以上、国を広げるな」と待ったをかけたのです。光秀は、これで面目を失ってしまったのです。
光秀が「本能寺の変」で信長を討った理由とは、このように、信長による悪しき政治に歯止めをかけるための、一種の「世直し」だったと思われるのです。
「本能寺の変」は、「下剋上」の1つの典型だった、と今では広く考えられていますが、今でこそ「下剋上」は、社会の秩序を乱す、倫理にもとる、というイメージがあるかもしれません。ですが戦国時代においては、下剋上は実は是認されていました。悪しき政治を倒し、世の中を良くできるなら、「下剋上」は必ずしも「悪」とは考えられていなかったのです。結果が良ければ「謀反人」として非難されることもなかったということです。
ところが、後の江戸時代になると、儒教的な考え方が一般的になり、「武士は二君(じくん)にまみえず」といった倫理が主流になりました。光秀を「主殺しの大悪人」だと考えるのは、江戸時代以降の感覚だと思われるのです。


今回の大河ではどのように制作されるのでしょうか?楽しみなところです。



「どこでもバスブック」「縁結びバスマップ」に関するブログを始めました!

2020年04月07日 14:08   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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山陰のハダル@矢野です。
新型コロナ ウイルスがここ山陰と岩手県を除き感染者が発生していますね。
おかげ様で、出雲大社では、県外車で満員のようです。
ほとんどが家族連れで空気の良い山陰にお見えなんだろうと思います。
さて、プロジェクトゆうあいが発行している「どこでもバスブック」「縁結びバスマップ」の情報の他、松江圏内のバス関連情報をUPしていくブログを開設しましたのでお知らせします。


https://ameblo.jp/pjuibusblog/
アクセスしてみてくださいね。



かつて死神とおそれられたコレラ菌

2020年03月27日 14:21   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。新型コロナウイルスの感染予防のために、島根県内でも夏祭りなどの市民の楽しみがどんどん中止になっています。一体、いつまでこのような状態がつづくのでしょうか?
さて、200年前に世界の人々を震撼させたコレラは、もともとインドのガンジス川流域、とくに下流のベンガル・デルタ地帯の風土病でした。この風土病のような局地的流行は「エンデミック」と呼ばれます。
ところがコレラはヒンズー教の巡礼に運ばれてインドの各地で流行することがありました。この広い地域での流行が「エピデミック」です。
そして近代、通商と交通網の発達は、ついにコレラの世界規模の大流行をもたらしました。「パンデミック」です。今日では感染症について「国を越えた感染拡大が制御できず、地球上の人類の誰にも感染の可能性のある状態」をいいます。
新型コロナウイルスの感染拡大について世界保健機関(WHO)が「パンデミックとみなせる」と表明しました。欧米やイランで感染者が急増する中での“宣言”です。今後アフリカはじめ医療態勢の不十分な地域の感染拡大が心配されます。
19世紀にはコレラが地球を一周するのに20年かかったそうです。これに対し昨年末からの2カ月半で世界の110を超える国・地域の約12万人に感染を広げた新型コロナです。感染拡大の防止はグローバル経済の分断も招かずにはおかないのです。
昔なら武漢の風土病でおさまっていたかもしれませんが、それが世界中の人々の暮らしを脅かす悪疫となったのも、人間の文明のネットワークにとりついたからです。ウイルスにも言い分はあるのでしょうが、耳を傾けるいとまのない今の人類なのです。今こそ、各国が国境を越えて、1チームとなって人類の敵に立ち向かわなくてはいけないと思います。