松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江/山陰バリアフリーツアーセンター の活動状況や、各種お知らせを掲載します。

冬来りなば春遠からじということわざ

2024年03月07日 10:39   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。

昨日、今日と雨が降りそうで、降りませんが、北風が強くて、寒い日が続いている松江市です。
まだ、冬物衣料は、当分しまえないようです。


さて、冬来りなば春遠からじということわざがあります。
【意味】
冬来りなば春遠からじとは、今は不幸な状況であっても、じっと耐え忍んでいれば、
いずれ幸せが巡ってくるというたとえです。
寒く厳しい冬が来たということは、暖かい春が目の前まで来ているということから。
イギリスの詩人シェリーの「西風に寄せる歌」の一節「If winter comes, can spring be far behind?」に
由来するそうです。

春を目前とした今の時期の話ではなく、私が思っていたのとは違うようでした。
また、外国人の一説からうまれたようで、これもビックリでしたね。
一つまた、勉強になりました。



第17代 堀尾吉晴公松江武者行列 開催決定

2024年02月26日 15:26   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。

今年の春は、早く到来の予感のする松江市です。

さて、2024年4月6日(土曜日)、「第17代 堀尾吉晴公松江武者行列」が開催されます。
松江開府の祖・堀尾吉晴公と初代松江藩主・忠氏公、それに堀尾衆一行が、400年のときを超えて
松江城に入城する様子を再現した絢爛豪華な時代絵巻です。

詳細は下のホームページをご覧ください。
https://www.musha-gyoretsu.jp/

お問い合わせ先
一般社団法人 松江観光協会
所在地 〒 690-0874 島根県松江市中原町 19 番地
電話 0852-27-5843


市民の皆様に「武者行列」を身近に感じていただくため、ワークショップを開催します。

「道中小物入れづくり」ワークショップ
武者行列に参加する皆さんが本番で身に着ける「道中小物入れ」を一緒につくりませんか?
和柄の生地を用いペットボトル、携帯なども入る大きさです。
参加者の皆さんにもお持ち帰りいただきます。

●日時
2024年3月2日土曜日 10時から16時
2024年3月3日日曜日 10時から16時
※いずれかご都合のつく日、時間帯にご参加ください。
●場所
松江市国際交流会館 工房 (松江市西川津町)
●指導
松江武者応援隊・稲田輝子
●その他
縫製用にミシンを使用します。
事務局で用意致しますが、
数に限りがございますので持参いただける方は、ぜひご協力ください。


着付け講習会
4月6日 土曜日 本番の「武者行列参加者」への時代衣装 (甲冑、打掛など) の着付け、補助
(8時30分から10時30分頃まで、昼食付、可能な方は片づけにもご協力ください。) の参加を前提とした着付け講習会。
(初めての方大歓迎 !)

●日時
※いずれかご都合のつく日にご参加ください。
2024年3月16日(土) 13時から16時30分
2024年3月17日(日) 10時から12時、13時から15時
※16日に参加された方で、もう少し練習したい方は両日参加いただくことも可能です。
●場所
松江市国際交流会館 和室 (松江市西川津町)
●指導
京都 (株) 井筒企画
●申込締切
2024年2月29日 木曜日

申込先
【事務事業受託先】
NPO 法人プロジェクトゆうあい (担当 : 川瀬)
〒690-0056 雑賀町 227
TEL 0852-61-0199
FAX 0852-27-7447
Mail kawase.at88@nifty.com
申し込みフォーム
https://secure-form.jp/www.musha-gyoretsu.jp/entry-workshop

プロジェクトゆうあいは、松江武者行列に協力しております。



節分に豆まきが不要な人や「鬼は外」と言ってはいけない人がいるってホント?

2024年02月08日 11:48   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。
年が明け、もう2月です。
暦の上では、もうすぐ春となります。
早いものですね。

そもそも、節分に豆まきをして鬼を払う理由とは?
昔は、春が新年の象徴だったため、立春前日の「節分」には年の分かれ目という意味があります。
この年の分かれ目には、邪気が入りやすいと考えられていました。
「邪気」とは、人の力の及ばない災害や病などを引き起こす邪悪な気のことで、その象徴が「鬼」です。
ルーツは平安時代に宮中で大晦日に行われていた疫鬼や疫神を払う儀式「追儺(ついな)」「鬼やらい」です。
当初は桃の弓と葦(アシ)の矢で鬼を追い払っていましたが、室町時代に豆をまいて行うようになりました。

豆まきをしなくてもいいといわれているのは、「渡辺」さんと「坂田」さんです。
その由来のひとつが「大江山鬼退治」の伝説です。平安時代、京都の大江山を拠点と
する鬼・酒呑童子(しゅてんどうじ)が、多くの鬼を従えて都を荒らしまわっていま
した。そこで、源頼光が「頼光四天王」(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武)を連れて鬼退治に行き、
見事に酒呑童子を仕留めます。
頼光四天王の筆頭で、剛勇で知られるのが渡辺綱(わたなべのつな)。
後日、酒呑童子の手下の鬼たちが、渡辺綱らに敵討ちをしようとしましたが、
返り討ちにあい腕を切り落とされてしまいました。
それ以来、鬼たちは渡辺一門を恐れるようになり、渡辺姓の子孫にも近づかなくなったといわれています。
渡辺綱はワタナベ姓の祖といわれているため、漢字に関わらず「ワタナベさんには鬼が近づかないので
豆まきをしなくてもいい」といわれるようになりました。

また、同じく頼光四天王のひとり坂田金時には、鬼退治をはじめ数々の武勇伝があり、
渡辺さん同様「坂田さんには鬼が近づかないので豆まきをしなくてもいい」という説があるそうです。
坂田金時は幼名を「金太郎」といい、足柄山で育った怪童・金太郎として伝説化されています。

「鬼は外」はタブーなケースがあります。
鬼怒川温泉のふれあい橋です。
鬼怒川温泉は、邪気を払って開運をもたらす鬼がたくさんいる地とされているため「鬼も内」というそうです。

また、名字に「鬼」のつく家では、「福は内」だけです。
鬼塚さん、鬼頭さん、鬼沢さん、九鬼さんなど名字に「鬼」のつく家は「鬼は外」というと、
自分たちを追い出してしまうことになります。
そのため「鬼は内」「鬼も内」など、「鬼は外」以外の口上が多いそうです。

また、こういった事もあります。
古くから続く商家商家では、「鬼」は「大荷(おに)」に通じるため、大きな荷物が内(家・お店)に入らないと
商売繁盛につながらないからと、「鬼は内」というところが多いようです。

鬼にゆかりのある地域や、鬼を祀っている社寺も同様のようです。
大事な鬼を追い出してはいけないため、「鬼は外」とは言わず「福は内」だけだったり、
「鬼は内」「鬼も内」と言ったりします。

みなさんのお家では、どうですか?
もっとも、豆まきをしない家も増えてきています。
落花生だったりお菓子だったりと時代が変われば品も変わるという事なんでしょうか!



第17代 堀尾吉晴公松江武者行列 開催決定

2024年02月05日 15:43   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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2024年4月6日(土曜日)、「第17代 堀尾吉晴公松江武者行列」が開催されます。

松江開府の祖・堀尾吉晴公と初代松江藩主・忠氏公、それに堀尾衆一行が、
400年のときを超えて松江城に入城する様子を再現した絢爛豪華な時代絵巻です。

詳細は下のホームページをご覧ください。
https://www.musha-gyoretsu.jp/

お問い合わせ先
一般社団法人 松江観光協会
所在地 〒 690-0874 島根県松江市中原町 19 番地
電話 0852-27-5843

プロジェクトゆうあいは、松江武者行列に協力しております。



「矢切りの渡し」ではなく「矢田の渡し(やだのわたし)」は風土記の風景?!

2024年01月22日 13:22   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。
能登半島地震は、多くの方を苦しめています。
真冬で、寒いし、上下水や電気も不通状態の中での避難生活に心よりお見舞い申し上げます。


今回は、「矢切りの渡し」ではなく「矢田の渡し(やだのわたし)」は風土記の風景?!という話題です。
水の都松江市は、宍道湖と中海を結ぶ大橋川で南北に分断されています。
現在は、6本の橋が架かり、「矢田の渡しもご多分に洩れず廃船の聞きにあります。
この渡しは、南岸の松江市矢田町と同市朝酌町とを結んでいます。
古代は、橋もなく、渡し船が唯一の交通手段であったと考えられます。
時代劇でよくあるシーンの「おーい!船が出るぞー!」で出港していたに違いないでしょうね。
渡しの距離は、120mで所要時間は約1分です。
平成10年までは、軽乗用車が1台乗れる日本一小さいカーフェリーでした。
また、高校生が自転車と乗船している様子をよく見かけたものです。
橋が4本5本と増えるたびに利用客は当然に減少していきました。
現在は、矢田渡船観光事業組合が松江市から補助金を受けて運航しています。
船は左岸(北側)に待機していて、右岸(南側)からの利用者は、渡し場にある赤色の回転灯を点けて
対岸の渡し船を呼ぶ仕組になっています。
運賃は、人は40円、自転車は50円で定員は28人です。
さて、出雲国風土記が編さんされた733年当時、現在の松江市中心部には入り海が広がり、
大橋川を挟んで南北の両岸が最も近かった場所が、松江市朝酌の南側一帯でした。
島根郡朝酌郷(しまねのこおりあさくみのさと)といい、
川の南側に意宇(おう)平野と出雲国府がありました。
北側の島根半島には隠岐への航路の起点となる千酌駅(ちくみのうまや)があり、
朝酌が国府から隠伎国に至る交通の要衝に位置したことが分かります。
川を渡る地を出雲国風土記は「朝酌の促戸の渡(わたり)」と記しています。
促戸は瀬戸で、海峡の狭まった所という意味です。
船が用いられ、朝酌町と対岸の矢田町の間で船が往来する「矢田の渡し」が古代の名残をとどめています。
出雲大社に隣接している島根県立古代出雲歴史博物館には、1300年前に編纂の出雲国風土記に記された、
朝酌の促戸の渡一帯の様子を活写しています。
「浜辺は人々で騒がしく、家々もにぎわって売り買いの人が近在から集まり、自然に市場を成しています」。

朝酌の市場を模型で再現したコーナーには、タケノコやカブなどの野菜を売る女、
右手に掲げたスズキを売りさばこうと威勢良く声を出す男。
アワビやシジミといった日本海と汽水湖双方の恵みや、鉄の鎌、薬草などもあり、
現在に通じるような市場のにぎわいと人々の暮らしぶりが一目で理解できます。
歴史好きの筆者には、古代の反映が目に浮かんできます。
また、新しい渡し船は、「矢田の渡し号」と命名され、朝の渡し以外の時間には
大橋川の観光遊覧船として運行しています。

遊覧のご希望の方は、下記までお問い合わせ下さい。
松江市朝酌公民館
〒690-0834 松江市朝酌町92-1
TEL:0852(39)0646  FAX:0852(39)0690
[運営] 矢田渡船観光事業組合