松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江/山陰バリアフリーツアーセンター の活動状況や、各種お知らせを掲載します。

「第19回 全国バスマップサミット in 松江」開催しました

2022年10月12日 15:26   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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8月27、28日、「全国バスマップサミット in 松江」を島根県民会館で開催しました。

北は青森、南は沖縄から、全国各地のバスマップや公共交通に関わる方々にご参加いただき、
おかげさまで盛大な会になりました。
ご来場いただきました皆様、誠にありがとうございました。

今回のサミットに合わせ、記念事業を行いましたので紹介します。
●プロジェクトゆうあいが発行する『どこでもバスブック』に毎号掲載してきた
「愛のバスものがたり」の小冊子を制作しました。
夫婦漫才「よしこじゅんじ」の角純二氏執筆のバスに関する小文と、
物語にあわせた挿絵で構成される22編の物語です。
また巻末には「愛のバスまんが」「愛のバス短歌」も掲載。
価格は200円(税込み)で、今後書店等で販売予定です。
●松江市役所近くにある宍道湖大橋北詰バス停を、「第19回 全国バスマップサミット・記念バス停」として
リニューアルしました。
車道側デザインは、2022年度版『どこでもバスブック』(第23号)の表紙を活用しており、
歩道側デザインは上記の小冊子「愛のバスものがたり」のイラストを活用しております。

この事業は、しまね社会貢献基金を活用したクラウドファンディングに採択されました。
島根県内の社会貢献活動の参加を応援するサイト「島根いきいき広場」を通して、
「愛のバスものがたり」制作と、「全国バスマップサミット in 松江」の開催資金を募りました。
9月14日時点で、494,500円のご寄付をいただきました。
この場を借りて感謝を申し上げます。
誠にありがとうございました。

今後も路線バスをもっと身近に、楽しく利用していただけるよう、路線や時刻などの情報を分かりやすく
お伝えしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。




「9月23日は網膜の日」です。

2022年09月13日 12:00   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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私たちの眼の奥には『網膜』という光を感じる膜があります。         

そこが壊れると、暗いところで見えにくくなったり、視野が狭くなったりします。
完全に失明していなくても、歩くときには白い杖が必要になってくるのです。

網膜の病気は、外見からは視覚に障害があるということがわかりにくいのです。

見えているのにわざと白い杖をついているのではないかと不思議な顔をされることがあります。
電車・バスで席を譲られてスマホを見たりすると、「見えてるくせに見えないふりをしているのではないか?」と
そう思われることもしばしばあります。

しかし、実際に五円玉の穴ほどしか見えていなかったり、ものがゆがんで見えたり、
スマホを見ることができても、白杖を使わないと安全に歩くことができないのです。

どうか、網膜の病気を理解してください。

■なぜ、9月23日を[網膜の日]と決めたのでしょうか?

9月23日は、昼と夜の長さがほぼ同じになります!
明るさは、網膜の病気の抱える患者にはとても重要なのです。
夜が長くなると、歩ける時間がどんどん短くなります。仕事に行けなくなることもあります。
網膜細胞が破壊されると、明るい昼間の長さということがとても重要になります。
網膜色素変性症、緑内障、糖尿病網膜症、加齢黄斑変性、網膜剥離など、網膜の病気はさまざまです。
9月23日は毎年「網膜の日」です。
このような病気があること、そして白い杖をもっていても「完全に見えない」のではなく
「見えにくい」人もいるということをわかってください。

白い杖を見かけたら、ぜひ「何かお手伝いしましようか?」と声をかけてください!



日本人の旅の始まりはお蔭参りでした!  

2022年09月06日 12:01   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。
何だか一気に季節が進んだようで、蝉の音が聞こえなくなった松江市です。
このまま秋に突入するのでしょうか?
さて、人は老若男女また、身体に障がいがあろうとなかろうと、人は、金銭欲・食欲・性欲・旅欲など人それぞれで、
各欲の大小はあれそれを達成?すべく生きていますね。 
今日は、その中でも旅欲についての話題です。 
少し調べてみると、一般庶民の旅の始まりは、江戸時代からのようです。
しかし、当時は関所が置かれたり、そもそもは藩外へは出られない事となっていましたね。
参勤交代の藩士や僧侶など著名な人は藩から通行手形を発行してもらい関所を通っていました。 
参勤交代の制度のおかげで道路網が整い、一里塚ができ、宿場が整えられていきます。
人々は自分の生まれた土地から一生出ることはできませんでしたが、ひとつだけ許される場合がありました。
それがお伊勢参りなどの寺社詣と、病気やケガ治療のための湯治旅です。 
温泉に関して言えば、この時代は温泉に関する研究も進んでいます。
医学の発達とともに温泉は宗教としての意味合いを薄くしていきます。 
このころに出された書物として「一本堂薬選続編」(1738)があります。
温泉の効用について詳しく書かれています。 
話を戻します。 
寺社詣のためなら、誰でも旅に出てもよいとはいっても、旅に出るには多くのお金を用意しなくてはなりません。 
ところが、武士や大商人だけでなく、年貢を搾り取られていたはずの農民たちも相当数旅に出ていました。 
それでは一体、どれくらいの人たちが旅に出ていたかといいますと・・・
伊勢神宮にはこの時代、多くの人(推定年間100万人)がお参りをしていたのですが、
大体60年に1回くらいの周期で伊勢神宮に全国から津波のように人が押し寄せたようです。
ぬけ参り・おかげ参りと言います。 
記録によるとその数、年間200万から300万もいたそうです。 
大商人や武士ならいざ知らす、庶民たちは旅費など工面できるはずもなく、実際のところ何も持たずに家人にも告げず、
熱病にかかったように突然旅出っていったそうです。 
彼らは集団を作り、白衣に菅笠でのぼりや万灯を押し立てて、
「おかげでさ、するりとな、ぬけたとさ」と歌い踊り歩いたので、ひと目でそれと分かります。 
お金に困れば道筋の家々が食べ物や宿泊の場所を与えてくれました。
(それでおかげ参りと呼ばれるようになったんだそうです) 
また、「講」を作ってみんなでお金を出し合って順番にそのお金を持って旅に出るということもしていたようです。 
このようにしていったん旅に出てしまうと、お伊勢参りを口実に、京、大阪見物をしたり、名所旧跡めぐりなど、
自由な旅を楽しむことができたのです。 
各藩は湯治のために温泉の整備を進めていましたが、庶民でも許可をもらって入るこ
とができるようになってきたため、 温泉につかってのんびりと過ごす人も大勢いたそうです。 
人々を日常のあらゆる拘束から解き放った寺社参りの旅は、こうして観光・娯楽の色合いを強めていったのです。
旅の盛んなこの時代には、旅のガイドブックのようなものもいくつか出ていたようですね。
また、旅行会社のようなものもあったそうです。宿泊の宿にその看板を掲げて、いたとも聞いています。 
現代、移動時間も短く情報過多の時代とは想像もつかないところではありますが、
それだけ、未知の楽しみに期待するのは旅欲の原点ですね。 




出雲人にとって気になる「いつから「出雲」だったのか」? 

2022年08月25日 10:40   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。
8月も下旬となり、少しづつではありますが、秋の足音が聞こえ出した松江市です。
もう、35℃超えの猛暑日はないかなあ!
さて、「出雲」はいつから「出雲」だったのでしょうか?地元に住んでいても気にす
る人は少ないと思いますがそこはそこで気にする私です。
実は相当前から「出雲」と呼ばれていたらしいのです。相当とは古代のずっと昔とい
う事です。日本でまだ文字らしい文字が浸透していない時代のことで、はっきりした
ことは分からないというのが答えなんですが、、、。
出雲の遺跡である荒神谷や加茂岩倉の両遺跡から出た大量の青銅器を目の当たりにす
れば、弥生時代にかなりの力を持った勢力がいたことは、誰でも想像はつきます。た
だしそれを「出雲」と呼んでいいのかは、別の話です。
その青銅器群が並ぶ出雲市の古代出雲歴史博物館で、面白い企画展が開催されていま
す。そのテーマは、「古墳は語る 古代出雲誕生」です。島根県東部としての「出雲
」の枠組みができる過程を、考古学の立場から丁寧に追ッています。古墳時代後期の
6世紀。巨大な前方後方墳をまつった現在の松江市周辺と、ヤマト伝来の前方後円墳
を築いた出雲市周辺の二大勢力が、徐々に一つの「出雲」になっていきます。会場で
はその過程を遺物の特徴などからひもといています。宍道湖を挟んだ東西の地の競争
が1500年前にも垣間見えるのは、非常に興味深いところです。
倉吉市で出土した出雲式の子持ち壷(つぼ)や、米子市淀江町で見つかった入れ墨の
ある武人のはにわなど、鳥取県の遺物も数多いですね。また、大国主命の奥さんは沢
山いたのも周知するところですが、西は福岡県から東は新潟県までいたといいます。
日本海側はほとんどが出雲の国の勢力下だったとも考えられるのです。古代出雲は、
島根県東部に限られたブランドではないのかもしれませんね。まして出雲国と伯耆国
など同じ国のようなものだったのかもしれません。
こんな事に興味があるのは私だけでしょうか・・・。




夏は花火の風景はやっぱりいいですね! 

2022年08月18日 10:03   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。
花火の季節がやって来たという感じですね。
一般的には、夏祭りとセットで行われるのが多い気がします。
松江市・宍道湖周辺の夜空を花火で彩る恒例行事「松江水郷祭」が8月6・7日、3年ぶりに開かれ、
待ち望んだ地元住民らは湖上に映える約1万3500発の大輪に酔いしれました。
新型コロナウイルスの影響で2020年、21年は中止となりましたが、
今年は感染対策として、屋台やイベントステージを設けないことで実施が決まりました。
午後8時頃から打ち上げがスタートしました。
湖に集う八百万(やおよろず)の神をテーマにした花火が次々と上がると、観客から大きな拍手が聞こえました。
我が家は、宍道湖沿いですので、2階のバルコニーから見物しました。
夜空を彩る大輪の花は老若男女から人気があり、魅了します。
私の子どもの頃の打ち上げ花火の体験といえば、月山富田城のある安来市広瀬町の愛宕神社で毎年7月21日、
夏祭りに打ち上げられる花火です。
知る人ぞ知るという事なんですが・・・。
松江水郷祭などに比べれば一つ一つは小さく、数分に一発と穏やかなものでしたが、
子どもの私には、距離が近かったので迫力は負けていなかったような気がします。
もう50年くらい前のことです。
水郷祭で宍道湖上に咲く大輪は最も大きなもので直径300メートルもあります。
今では、ハートや星などユニークな形の花火は平面に広がるため、
見る角度によっては意図した図柄に見えない場合もありますね。
打ち上げる側も気が気じゃないそうです。
それとは真逆に華やかな打ち上げ花火と対照的なのは、「てぼたん」の愛称で親しんでいた線香花火です。
手元で火花がボタンの花のように飛び交い、最後は火の玉となって落ちる姿は美しくはかないものです。
こちらも捨てがたい魅力がります。
これから各地で催される花火大会は、夏の一大イベントですね。
やっぱり、イカ焼き、かき氷、リンゴ飴、金魚すくいなど屋台やステージでの各種催し物がないと寂しい気がしますが、
勿論、中止よりいいです。