松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江/山陰バリアフリーツアーセンター の活動状況や、各種お知らせを掲載します。

「松江水燈路」ってご存じですか?!

2014年10月06日 10:26   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。10月に入り、こちら出雲地方では、「神在月」となり、あちらこちらに神様の気配が漂っています。夜ともなればより感ぜられます。
かの小泉八雲も妖気?漂う中で怪談小説に思いを巡らせたのではないでしょうか。
私などは、より一層日ごろの行いを見直して神様に良い印象を持っていただき縁結びの会議に臨んでいただこうと焦る毎日です。
このお話は次回とさせていただきます。
さて、今回は、「松江水燈路」をはじめとした松江城周辺の夜の夜長を楽しむイベントについてです。
「松江水燈路」とは、約10年前から始まり、9月中旬~10月中旬、毎週土曜日・日曜日・祝日の18:30~21:00にかけて松江城周辺に燈をともし、水と光の幻想的景観が楽しめるイベントなのです。
塩見縄手、武家屋敷、小泉八雲旧居、田部美術館、八雲庵辺りから大手前堀川めぐり乗船場にかけて燈籠が点され、夜間運航する堀川遊覧船の船上からは普段は見ることのない景色が展開されます。
この灯篭は、一つ一つが松江市民の手作りです。絵を描いたり、俳句や川柳などもあったり二つと同じ灯篭はありません。水灯路はこの約400個の灯篭によって照らされます。運悪く雨が降ると残念ながら蝋燭の火もご覧いただけません。悪しからずご容赦下さい。
またこの時季は夜の松江城が開門されます。天守閣に登り、松江の夜景を見るのもライトアップされた松江城を堪能するのも良いでしょう。宍道湖に浮かぶ嫁が島もライトアップしています。
松江市民でもなかなかお目にかかれない絶景であること間違いありません。
写真を2枚添付しますのでどうぞご覧下さい。


すいとうろ1
松江城二の丸上の段。手前に行灯が沢山並んでいて、背景に松江城天守閣が写っています。


すいとうろ2
手前に山陰バリフリツアーセンターの川瀬氏制作の行灯(怪談をテーマにしたもの)があり、背景に行灯数個と、夜神楽が写っています。


写真をクリックすると別ウィンドウで拡大写真を表示します。
添付画像
添付画像


あの果実はバラ科なの?

2014年10月02日 11:48   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
秋本番となりましたが、あなたは、「食欲の秋」、「スポーツの秋」、[読書の秋」など何の秋でしょうか。何をするのにもとっても良い季節ですね。
秋は、木本にさまざまな果実が実り、ヒトも動物も当然ながら食は進むといったところでしょうか。
今回は、意外や意外、バラ科の植物は、植物の世界ではとっても幅を利かせている話題です。
バラの季節といえば、5月から6月ですね。最近では、四季咲きも増えています。花の世界でも季節感が薄れて来ています。
園芸の専門家の方に聞けば一度咲きが本来であり花も大きく色鮮やかだということです。やっぱり「旬」はありますね。
また、つるバラの栽培に精をだしている方も多いと聞きます。
さて、今回は、バラ科の植物や果実は今まで思いもよらなく多いということに気が付きましたので紹介します。
バラといえば花は赤く茎はあの痛いとげのある植物ですね。ところが、とげのない木にもバラ科が数多く存在しています。
バラ科の植物は実に多彩です。「えっ!?これもバラの仲間なの?」っていう感じで、園芸や切り花で見かけるバラとはかなり違ったものがあり、今までもっていた印象を受けます。
世界には、北半球を中心に、ほぼ世界中に分布しています。草・木、合わせて約126属3400種もあります。日本にも沢山のバラ科の草木が存在する訳ですね。
私が最初にえっ!と思ったのはヤマザクラです。バラとサクラはどう見ても似つかないところですが、基本形花弁とがくの数が各々5枚であることからは、草本と木本の違いはあれ花の数は大きさの違いはあれ同じです。
もしかして梅も桜に似ているのでそうかと思って調べるとやっぱりバラ科です。
吾亦紅あたりになると想像すら出来ませんね。花みたいに見えるのは第一花ではありませんから...。
サクラ、ウメ、モモなど日本で古くから親しまれている花木類、また、イチゴ、リンゴ、ビワ、梨、サクランボ、杏、かりんなど果実、アーモンドなど種子が食用であるものも多くどれも似た感じの柑橘類と比較すれば色も形もバラエィに富んでいます。
これら全然違うフルーツなのに全部「バラ科」になってしまうのは不思議としか言えませんね。
フルーツバスケットに「バラ科」限定で盛り合わせても形や大きさや色どりもさまざまで、結構見栄えのする「フルーツのセット」が出来あがります。
また、最近では、困ったことに果物・野菜の過敏症を訴える人が増えているといいます。
例えば、桜の花の花粉症の人は、リンゴや梨などの同じバラ科の果実で反応するということです。
アレルギーは、免疫性と考えられますが、同じグループにどんな果実や野菜が属しているのかも考慮しなければならないなんて住みにくい世の中?になったものです。
アレルギーや花粉症には縁のない私は、せいぜい「食欲の秋」を満喫することにします。



湖に浮かぶ有人島は?

2014年09月30日 13:11   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。すすきの穂が風で散る季節ともなれば何気なくモノさみしいものです。
日本の湖に浮かぶ有人島が松江市に二つ存在するという紹介です。
日本の湖に浮かぶ有人島は、中海の大根島(だいこんしま)、江島(えしま)と琵琶湖の沖島の三つです。
中海は、島根県東部と鳥取県西部に接している日本で7番目に大きい汽水湖です。
最近では、急勾配で有名になった江島大橋のべた踏み坂でご存じの方も多いのではないかと思います。
この二つの島は、大山の繰り返される噴火により溶岩が隆起し、その上に火山灰が降り積り形成されているそうです。約12~30万年前のことです。
大根島は、かつては、長い間は、朝廷の牧場として使われていました。
その後、島の火山灰土質が高麗人蔘と牡丹の栽培に適していることにより、松江藩では、特産品として奨励し江戸時代より栽培が盛んになりました。
今でも松江市内には、人参方という役所跡があり、特別な品だったことがわかります。
また、島の名前の由来は、松江藩が朝鮮人参を栽培していたことにより、超高級品であるが故、その存在はトップシークレットであり、栽培場所等は極秘となっていたと推測されます。
松江藩は島で大根を栽培しているとの情報操作を行い、後に大根(だいこ・方言)が多い島、大根島(だいこじま)と呼ばれ始め、そのままの呼称が今日まで続いているという説です。
本来はタコが降ってきた島、蛸島でした。 お隣の江島はむかで島と呼ばれていました。
もうひとつの特産品の牡丹です。土質が適しているのはもとよりですが、高麗人参は収穫するのにも7年かかるということです。また、その後10年は栽培出来ないのです。その間の畑を牡丹栽培としたという訳です。牡丹は農家の方が全国に行商し、販売されていました。
現在では、ヨーロッパにも輸出されています。
高麗人参と牡丹は切っても切れない関係があったという訳です。
ちなみに、島根県の花は、この牡丹です。
二つの島は、昭和40年から始まった中海干拓事業により淡水化が行われて松江市と地続きになりました。
以前は合同汽船という連絡船で結ばれていました。
毎年4月待つから5月にかけての牡丹の花の開花時期には、島が少し沈まんばかりに観光客が訪れています。
ボタン園では、日本庭園や溶岩ドームなどで四季を通しての観光客の誘致をはかっています。
島の生い立ちを知っての観光は、より感慨深いものとなるのではないでしょうか。
次回は、日本庭園と牡丹の由志園のレポートをお送りします。



日本は水が枯渇しない国なのです

2014年09月25日 11:38   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。すでに、北海道では、初冠雪を観測したり、ここのところの朝晩
と昼間の温度差により早くも紅葉のニュースが飛び込んで来ます。
私たちの住む、日本列島は火山の噴火によってできた長い島国です。
つまり日本の国土はすべて山なのです。
沿岸部の平野は山から流れた土砂が堆積してできた山の裾野というわけなのです。
当然のごとく山に降った水が流れる川が多くなります。何と約3万の川があります。
日本は、海の国であり、山の国であるので、したがって水の国となります。
四季を通じて雨も多いのが日本の気候です。しかし、反面土砂・水害も多く地震の国
でもあり災害の多い国でもあります。
さて、どこの家でも水道の蛇口を捻ればすぐに飲める水が出るのは、世界では、珍し
いのです。水が豊富にあることは、衛生環境も良くしています。トイレなどは殆どが
水洗トイレです。もちろん、下水道も進んでいます。
世界的に見ても水が枯渇しないだろうと言われている国は、北欧のアイスランド、ノルウエー、フィンランド、北アメリカのカナダ、南アメリカのブラジルと我が国、日本くらいだそうです。
海外旅行をするとまず飲料水のことを添乗員さんからどこの国へ行っても聞かされま
すね。ミネラルウオーター以外はまず飲むことは出来ません。
なんて水のストレスがないことが幸せなのかを感じなければなりません。
そんな水ですが、私の住まいする松江市は、「水の都」です。松江市民のシンボルの
宍道湖をはじめとして、堀川が市内のあらゆるところに張り巡らされています。
しとしとと降る雨が似合う街でもあります。
松江市水道局製造の水が今年発売されました。名前は、「松江 縁の水」といいます。市内のコンビニ・旅館・ホテルなどもちろん水道局でも販売されています。縁結びの国、
出雲で「縁の水」で縁結び効果が増すこと疑う余地はありません。
是非、一度ご試飲いただき良縁に出会いますようにお祈りいたします。 合掌



日本人は暗闇遊びの達人だった

2014年09月18日 11:22   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。仲秋のお月見も今年はビッグムーンと重なり、一層の風情を感じた人も多いことでしょう。
今回は、日本人の闇(夜)にどのような感じ方をしていたのかというお話です。
そもそも、日本人は、昼間より夜に趣を感じていたようです。
枕草子は、平安時代に書かれた清少納言の随筆ですが、顕著に知ることが出来ます。春はあけぼの(夜明け)、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて(早朝)が風情があると言っています。
序章では、少なくとも昼間の趣には触れていません。
昔から月の光を愛でます。昼は働き夜は寝るという生活が長い間続いて来たのです。
神社の燈明はともかく、庶民にとって灯火することは、高価であり一般的でなかったようです。
平安時代から動物や魚の脂を灯りとしていた人は極稀です。しかも臭いという欠点がありました。なにしろ江戸時代には菜種油になりましたが、お米の約4倍もするのです。
明るさというと現代の60ワットの電球の50分の1程度、行燈などはもっと暗くなります。
お祭りなどでは、松明、篝火また家内では、いろり火っていったところです。
いろり火は明るさを確保するのではなくもっぱら調理に使いました。
それもそのはず、昼と夜の時間が同じならまだしも秋から冬などは、夜の時間が長くなります。 この長い闇の時間の過ごし方を考えるのは当然でしょう。
日本の文化は「闇と慣れ親しんできた文化」であるという人がいます。富士山の夜の講中登山、蛍狩り、夜桜見物、さらに虫の鳴き声を楽しむ虫聴きなど、かつて多くの日本人は、闇歩きの達人だったと言います。
また、視覚以外の感覚をフル回転して食事をしたりする日常生活体験が出来る施設もあるそうです。
視覚障がい者のエスコートを受けながら、いつもとは逆のパターンですね。
現代の電気がなくては暮らせない私たちにとってある意味新鮮に受け止めれば何か新発見出来、視覚でほとんどの情報を取得している現代人にとって一度は、体験してみるのもいいのではないでしょうか。