宍道湖の夕陽を世界に紹介したのは文豪小泉八雲でした!
2022年06月20日 14:35
松江/山陰バリアフリーツアーセンター
コメント(0)
ハダル@矢野です。
昨日も宍道湖の西岸にある岸公園では、夕方になるとカメラを持った人であふれています。
勿論、夕日の撮影の時間を待っているのです。
このブログでも再三、紹介しています、文豪小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が世界に発信しなければ
日本でも有数の夕陽スポットに認定されていなかったという話題です。
皆さま、ご存じのように八雲はアイルランド生まれです。
この国には日本ほど四季がハッキリとしていなかったのでしょう。
そもそも、四季の変化を求めて来日したと言われています。
しかも山陰の松江に縁があったのも偶然ではなかったのではないでしょうか。
八雲が松江に来松した、明治23年ころの宍道湖は現在と少し様子が違います。
JR山陰本線より宍道湖側や白潟公園(県立美術館のあるところ)や松江宍道湖温泉街などは
昭和30年頃に干拓事業により新たに陸地となったところです。
宍道湖南側の円城寺傍のそば屋さんからめでるのが一番いいと言っていたらしいですが、
現在は嫁島卸団地の建物があり見通せなくなっています。
県立美術館から見る夕陽を八雲はどう評価するのでしょうね。
当時、八雲は刻々と変わる夕陽が湖面に映る様を以下のように表現しています。
私の前には広々として美しい湖が、柔らかい光でにぶくかがやいて眠っている。
…くすんだ濃い紫の靄が幅広くたなびき、朦朧とかすむ紫が更(に中天(ちゅうてん)に
向かうあたりは薄く淡い朱やかすかな金色になり、それがまた仄(ほの)かにも淡い緑色)を経(へ)て、
青空の青さに溶けこむ。
/仄かに淡い夕暮れの色は五分ごとに変わっていく。
すべすべした玉虫色絹布(たまむしいろけんぷ)の色合(いろあ)いや陰影を思わせて色という色が
不思議なほどに目まぐるしく移り変わる。
(小泉八雲『神々の国の首都』より、森亮訳)