誰にでも使いやすい駅を考えるその2
おはようございます。瀬戸口です。誰にでも使いやすい駅を考える、その2回目です。
この問題の難しいところは、伊是名さんの訴えるところと、
伊是名さんを批判する人々のみているところが違うことです。
このブログではどちらがどうだということはしません。
感情的な対立はいったん脇に置くものとします。
私なりにこの問題を考えてみました。
●駅が無人であること、バリアフリーでないから事前連絡しろ、
●当日、無人駅に職員をかき集めさせて
車いすを運ばせたのはかわいそうという意見について
この二つは「人手と手間をかけるから我慢しろ」という意味で共通します。
無人化もバリアフリーでないことも誰であれ利用客に責任はありません。
そうすると「障害者は事前連絡しろ」というのは、
一面、駅がバリアフリーでないことの責任を
特定の利用客に負わせている事になります。
駅員さんの負担についても、原因はバリアフリーでない駅の構造と
余裕のない人員配置にあります。駅がバリアフリー構造であれば、
掛けなくてよかった手間がかかったから「負担」になるのです。
決して乗客が車いすだったから負担になったわけではありません。
最小人員で効率的運営を云々するのであれば、介助の度に人を派遣するより
介助不要で利用できる方がはるかに効率的です。
ただ、バリアフリーでない駅があるのは事実です。ですから、事前連絡をする
ことによってスムーズに旅行できるのであれば、事前連絡が直ちに差別的とも
言い切れないでしょう。
●「タクシーに乗ればよかったのでは?」
介助を受けられる駅と目的地が近い場合には、タクシー利用も検討してよいと
思います。但し、車いすのまま乗車できるタクシーというのは、
通常のタクシーと比べれば台数が限られ、予約が入れにくいのは本当です。
もう一つ、車いすの運搬が現場の駅員さんにとって
「過重な負担」であったとして、「駅がバリアフリーでない」という、
利用者に責めのない理由によって目的地や時間帯を制限することは、
利用者に「過重な負担」を強いているのではないかという問題は残ります。
●バリアフリーは金がかかる。民間企業には負担だ
これも一見もっともなようで、冷静に考えると変な話です。
列車を利用する方は、「すべて」の人が乗り降りします。もし、駅に階段しか
無いとすれば、階段を昇り降りできる「一部」の人しか使えません。
「すべて」の利用者にアクセスを確保するためには、階段以外の設備が必要です。
お金を稼ぐ鉄道会社の立場にたってみても、階段の利用が可能な
「一部」の利用者からしかお金を頂けないとすれば、「漏れ」があるわけです。
別な言い方をすれば、ビジネスの「伸びしろ」ということです。
バリアフリー化にお金をかけなかったら、今の状態のままですが
バリアフリー化したら、これまで利用していただけなかった方たちにも
利用して頂けるようになりますから、
「お金をかける」インセンティブは充分あるでしょう。
以上のように見ていけば、バリアフリーな駅というのは、
利用者・現場職員・経営者のいずれにとっても負担が少なく、
利用しやすく、働きやすく、商売もやりやすいということが
ご理解いただけると思います。