車いす雑考
おはようございます。瀬戸口です。早いですね。10月最後です。
さて今日の話題は、車いすのことについてちょっと書いてみようと思います。
普段、私は折り畳み式の軽量型手動車いすを使っています。
●外部動力が不要であること
●軽量で疲れにくく、屋外での使用が可能であること
●折り畳み式で、車への積み込みができ、介助も受けやすいことが理由です。
反面、坂や未舗装路には弱いのでこれらの場所では介助が必要になります。
ところが最近、そうもいかないことが増えてきました。主に介助をしてくれる
妻の手がふさがっているのです。妻の手が握るのはベビーカーです。
先日出かけた世羅高原農場、3年前に出かけたときは妻のアシストのおかげで
特に困難なことはありませんでした。
ところが今回は、妻の手がふさがっています。園内の主要路は舗装されていますが
アップダウンの連続。バックで進んでも上り坂は一苦労です。
最後の最後には、ベビーカーを片手で押しながら、後進する車いすを片手で
ひっぱりあげるという、周りからみれば何とも「気の毒そう」にみえる光景が
展開されたのです。
電動アシスト自転車の技術を応用したアシスト付き車いすがあることは
知っていたし、電動車となれば、子どもを連れている妻に介助を
頼まなくてもよくなるのだから、私の自立度は上がる(笑)と考えて
お世話になっている業者さんに相談をしてみました。すると、
アシストにしろ、電動にしろ「しかるべき所」がウンとはいわんでしょうとの事。
確かに、私は上肢の力があるので自走は可能である。そもそも、私だって
「まだ電動は要らない」と思ってはいる。車いすをはじめとする
「補装具」の要・不要は、「判定会」という手続きの時に
「判定医」の診察と意見書の提出をうけて、「しかるべき所」が
「支給決定」を行う。
しかし、小さな疑問もわいてきた。補装具の支給・不支給を決定するにあたって、
「生活の実態」より「身体所見」を重視するきらいがつよいのではないか、ということです。
私自身の電動の要・不要はさておくとしても、最近各所でいわれる「共生社会」の
実現のためにも、当事者の社会生活を支える補装具支給が
「支給によって、生活がどのようによくなるか」という見立てのもとに
運用されるとよいな、と思います。