小泉八雲は寒いのが苦手だったの?
ハダル@矢野です。皆さんは、何歳からが「おじさん」だと感じますか?博報堂のアンケートによれば、43歳からだそうです。完全にその域に入っている貴方です。しかし、日本人の平均年齢は、46歳ですので、平均値として、「おじさん」「おばさん」がそこらじゅうにいる日本です。
さて、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)ゆかりの地といえばご存知の通り島根県松江市がどこよりも有名です。
ハーンはここで妻となるセツと出会い、日本文化への深い理解を育みました。
じつはハーンの松江滞在は1年ちょっとにすぎません。後には、熊本中学、静岡、東京などに勤務地を変えています。その理由としては松江中学は給料が安いためだと聞いています。
妻セツさんの家族・親戚の経済的な面倒を見切れなくなり、給料が倍の熊本に移ったという説があります。
もう一つの理由は寒さだったといわれています。明治23年の夏に中学校教師として松江に赴任したハーンは、年末から翌年正月にかけての寒波に音を上げたそうです。宍道湖が結氷するほどの寒さは、ニューオーリンズやカリブ海のマルティニークに住んでいた彼には耐えがたかったろうとも思います。
次の冬が来る前の11月、セツを連れて熊本へ去っています。
もっとも明治の昔、寒いのは松江だけではなかったろうと思います。東京でも9年1月に氷点下9.2度まで下がった史上最低気温の記録が残っています。
その時代、これに近い寒気はときどき首都を襲っていますので、やがて上京してきたハーンも震えつつ冬を乗り切ったはずです。名作「雪女」の情景にも寒さへの畏怖がにじんでいるに違いありません。
天気予報を眺めれば、今週は10度を超える温かさの松江市です。今年のような暖冬の中では、「雪女」のイメージはもしかすると浮かばなかったかもしれませんね。宍道湖に沈む夕日よりも、暖地とお給料が大事だったのでしょうか?!