松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江松平藩7代藩主・松平治郷はこうして殿様教育を受けました

2018年09月03日 10:37   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。明日からは台風21号の影響が心配ですね。8月31日~9月2日にかけては、松江市にて日盲連女性部の全国大会が盛大に開催され、我が山陰バリアフリーセンターとしても多くの皆さんのバリアフリー観光のお手伝いをさせていただきました。
さて、松江松平藩7代藩主・松平治郷(号・不昧(ふまい))は、江戸後期の大名茶人として広く知られています。文武両道で、藩財政を立て直した。名君として歴史に名を刻んだ背景には、殿様の教育係を担った藩士の苦悩があったようです。
没後100年に合わせて松平家が出版した「松平不昧伝」からうかがえます。不昧はとても賢いけれども、10代の多感な青年期に血気旺盛すぎて過ちを犯した。「育て方を間違うと大変なことになる」と周囲を心配させました。松江藩は、不昧をどうしても名君に育てなければいけない訳があったのです。
父・宗衍(むねのぶ)の時代に藩財政が行き詰まり、江戸では1両も借りられず「松江藩はいずれ取りつぶし」と言われていました。つぶれれば藩士の暮らしは立ちゆかなくなります。教育係が出した知恵は、心静かに勉学と修身に励んでもらうため、茶道と儒学を勧めました。これが合い、人生の転機となりました。
14歳で将軍徳川家治にお目見えし「治」の文字をもらい、17歳で藩主に就きました。不昧は生涯をかけ茶の湯を極めました。同時に室町時代から名品とされた茶道具を収集し、貴重な文化遺産として保護しました。茶碗(ちゃわん)の名品を藩の陶工に見せて作らせることで、伝統文化を継承するとともに陶芸や茶と菓子の生産といった次代の藩の産業を育てました。
今年は没後200年と記念すべき年にあたります。
9月7日から松江歴史館で、同21日からは島根県立美術館でも企画展が開催されます。殖産興業によって藩の難局を打開した政治家、茶道を通じ人材を育んだプロデューサー。そんな不昧の多面的な実像を見つめる好機となります。この機会に是非、ご覧下さい!