松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松平不昧公は文武に長けた名君だったの?

2018年04月03日 13:50   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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 ハウル@矢野です。桜の花も開花したと思ったらあっという間に満開となりました。急いで、お花見にいかないと散ってしまうと、てんやわんやの方もいらっしゃるのではないでしょうか?
春は様々な花がゆっくりと咲きますが、一斉にぱっと開花したものですから春は駆け足で過ぎ去ってしまうのではないかと心配になっています。
 さて、出雲松江藩の松平出羽守治郷は道楽ものだったの?!という話題です。
 松平出羽守は、ちょこちょこと落語に登場しているのをご存じですか。登場の時代を考えるとどうも松江藩7代藩主の治里(不昧公)のようなのです。財政難の藩を引き継ぎ、家老2人に命じて10年で赤字の藩の財政を黒字に転じさせた。その上内部留保も相当残ったようだ。藩が豊かになったというと幕府は、新田開発や治水事業などを命じてお金を使わせたようである。
このお殿様は名君だったのかバカ殿さまだったのかよくわからないところがあり、一説によると財産を茶器や工芸品に変えたのだというが本当なのかは不明です。ここのあたりから落語に登場したのかもしれませんね。例えば「猫餅」。近くに住む喜作という若い百姓が客を引くようにと、招き猫を彫ってくれたので、銭箱の上に載せておいたが、その猫は鼠に鼻を齧られてしまった」というのだ。これを聞いた旅人はその猫を直して、〈いただき猫〉と名付けた。その猫の手のひらに餅代をのせると、ニャーと鳴いて手のひらを返して銭を箱の中に落すのだ。旅人は名も告げずに店を出て行った。このいただき猫が評判となり、参勤交代で道中をしている松平出羽守の耳に入り、「余も猫餅を食したいのぅ。いただき猫に勘定を払いたいのぅ」とやってきた。猫餅を食し、いただき猫に勘定を払い、その鑿の跡を見て「この作者は飛騨高山の左甚五郎利勝に相違あるまい」と看破し、ばあさん、喜作ともどもに褒美金をやった。
他にも飛騨高山の左甚五郎利勝にマツワル話がいくつかあります。300~500両を支払ったと言われている。また、「火炎太鼓」。これも参勤交代でたまたま通りがかった時の事。この日、甚兵衛が仕入れてきたのは、古く汚い太鼓であった。あまりにも汚いので、丁稚の定吉に店先でハタキをかけさせていると、定吉が手を滑らせて音を鳴らしてしまう。たちまち、一人の侍が店に飛び込んで来た。ところが、侍の話では「通りかかった主君の赤井御門守様(雲州松平家)が、太鼓の音をえらく気に入り、ぜひ実物を見てみたいから屋敷まで太鼓を持って来て欲しい」という。甚兵衛が屋敷に太鼓を持参し、殿様に見せると、たちまち売約が成立する。殿様によれば、自分は目利きであり、この太鼓は国宝級の価値ある名品「火焔太鼓」だという。なんと三百両で買うという。甚兵衛は、腰を抜かし、出された金を百五十両まで数えたところで泣きだす始末。この二つの落語でも600~800両使った事になる。これも茶道を通しての文化人としての発端が見て取れる。
 一方、松江藩で採用されていた古武術「不伝流居合術」の達の一面も持つ。 また、出雲ナンキン」を作り出した不昧公は金魚を愛し部屋の天井に硝子をを張り月光で金魚を眺めていたとか。金魚の褐色(色変わり)について藩士を他国に派遣して、その秘法を会得させ、紋様(紅白斑)まで作られたと伝えられている。 お茶、和菓子、茶器はもとより、雲州人参、はぜ蝋燭など松江の文化・産業の発展に大いなる影響を与えた名君」に違いない。
4月25日がこの不昧公の命日になります。お茶。和菓子にマツワル行事が盛りだくさんです。せっかくこの時期に松江を訪れたならこの機会を逃す事などないように計画してみては如何でしょうか。