一畑薬師に目玉オヤジがいる?!
ハウル@矢野です。南の国からは、桜の開花の便りも聞きだしました。こちら松江では、3月30日が開花予想となっています。
さて、今回は、一畑薬師とバタデンの紹介です。
島根県の出雲・大社~松江を結ぶローカル私鉄に「一畑電鉄」があります。どうして一畑なのでしょうか。と思われた方も少なくないでしょう?
そもそも、この電車は沿線の一畑薬師参拝用に敷設された私鉄なのです。一畑電鉄には一畑口という駅があり、昔は一畑パーク(遊園地)もあって一畑山までここから線路も伸びていました。「一畑口」の駅は 現在でもスイッチバックになっているのも そういう理由です。
「一畑」 の地名の由来は 薬草(お茶)畑の番号だったそうです。
寺の名称は正式には「一畑寺」ですが、「一畑薬師」という通称が広く親しまれています。
創建は 平安時代の寛平6年(894年)まで遡ります。 一畑山麓の 日本海の赤浦海中から 地元漁師・与市(後に補然と改名)が 引き揚げた薬師如来をご本尊としてお祀りし 医王寺として創建したのが始まりで 与市の母親の目が開いたり 戦国の世に小さな幼児が救かった事から 「目のやくし」「子供の無事成長の仏様」として 広く信仰されるに至りました。
目のお薬師様 子供の無事成長の仏様として有名です。
江戸時代中期になると、一畑信仰は中国地方をはじめ、九州、四国、近畿、東北にまで広まりました。遠方からこの一畑薬師まで参拝に来るのは大変だったので、遠隔地からの遥拝所として「一畑灯篭」が建てられました。出雲地方ではこの灯篭を様々な場所で見ることが出来ます。
あの小泉八雲も松江に来る途中にこの灯篭に見入ったと言われています。
ここでやっと目玉オヤジ像の登場です。 ゲゲゲの鬼太郎の作者である水木しげる氏は、幼少の頃に一畑薬師を篤く信仰する「のんのんばあ(水木家のお手伝いさん)」に連れられ、参拝に訪れていたのだそうです。平成24(2012)年4月8日に「のんのんばあまつり」が開催され、境内には「のんのんばあとオレ像」と「目玉おやじ像」など4体、そしてお寺の玄関口である「一畑口」駅に「目玉おやじ像」1体、合計5体のブロンズ像が設置されました。 眼病祈願で一畑薬師を訪れた際は、「目玉おやじ」も探してみてはいかがでしょうか。
また、一畑薬師までは、ふもとから130段もの石段があり、「一畑マラソン」や「一畑ウォーク」なども行われています。
「バタデン」沿線には、他にも多くの見どころがあります。他の機会にご紹介しようと思います。