松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江/山陰バリアフリーツアーセンター の活動状況や、各種お知らせを掲載します。

出雲市平田町の木綿街道とは?!

2015年11月20日 15:30   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
松江城お堀を巡る堀川遊覧船は待ち時間が1時間超えの大盛況で船頭さんを緊急募集をしています。
今日は前述の一畑電車沿線の一畑薬師の近くでありますところの雲州平田(出雲弁ではうんしゅう ふらたと言います)駅周辺の話題です。
その所在は、概ね出雲大社の東側松江市と旧出雲市との間の位置にあります。 島根県の東部に位置する出雲市平田町。
 東に宍道湖、東西を貫流する船川と水路に恵まれたこの地域は、古くから商家の荷を運ぶ市場町として利用されてきました。
とくに、江戸末期から明治初期にかけて、「平田木綿」は、大阪や京都で良質の木綿として高く評価され、遠方との取引が行われるようになりました。その後、船川周辺は木綿の集散地として多くの船が往来し、賑やかな市場町として発展しました。
江戸末期の松江藩の財政を支えた特産物の一つです。また、宍道湖に繋がるこの水路で松江城築城の石材も数多く運ばれました。
歴史ある街並みを保存し、訪れる人々に「商都の歴史を垣間見るレトロな街並み」を感じさせています。
老舗の藏巡りでお江戸気分へとタイムトリップしてみてはどうでしょうか♪!
特に「木綿街道」と呼ばれる平田船川沿いの区域は、川港の荷揚げ場として出雲格子と呼ばれる格子窓が連なり、数多く残る塗壁造りの建物が当時の面影を伝えています。
街道沿いには、醤油蔵、島根屈指の銘酒を生む酒蔵2軒に、縁結びのアイテムとしても人気を集める生姜糖の老舗、かまぼこの商店など、地の味を伝える施設がズラリと存在しています。
幾つかの名産をご紹介します。老舗の醤油店「持田醤油」では、濃厚なたまり醤油を使ったソフトクリームを開発。どこか懐かしいカラメル風の甘さに思わず童心へと返りながら、しばしレトロな街並みをおちらと歩いてみてください。
江戸の風情へとタイムトリップした気分になります。
(木綿街道の見どころ)
岡茂一郎商店
江戸時代の建物で、昔の商家の店構えがそのまま現存。江戸時代の商家特有、2階部分の階高が低くなるという「つし2階」の構造が貴重。2階の階高で、江戸時代の建物か、また明治時代以降の建物かを見分けることが可能です。
本石橋邸
当地の地主の家で1750年頃の建物。2段になったなまこ壁や親子格子が威容を誇っています。家主である石橋孫八(弘化4年~大正4年)は、明治5年に自宅を校舎として郷校を開校。現在は、「出雲市立木綿街道交流館」として活用されています。
石橋酒造
隣接の本石橋邸と同年代の建物で、本石橋邸とともに木綿街道のシンボル的な建物。本石橋家から分家し、酒造業のほかにも木綿問屋も営んでいました。酒の銘柄は「世界の花」です。
加藤醤油店
明治初期の建物で、切妻・妻入が2棟に分けてあります。よく見ると2階の格子には飾金具があしらってあり、七宝模様の「なまこかべ」と「べんがら格子」が特徴です。1階には蔀戸(しとみど)の遺構が残っています。
岡屋小路
その昔、この付近に木綿問屋の岡屋がありました。岡屋はなくなりましたが、岡屋小路は川につながる「かけだし」とともに今も残っています。
酒持田本店
格子の組み方は出雲格子の典型で、長い2本と短い2本が合わされた親子格子とも言われています。瓦にはヤマサンの印が入っています。中庭の検査場(かつての出雲国醸造試験場)とヤマサンの煙突が懐かしい雰囲気を醸し出しています。酒の銘柄は「ヤマサン正宗」。
持田醤油蔵
持田醤油は原料から処理して1年から3年と長い期間熟成させ、心込めた手造りの醤油。現在は、自慢のたまり醤油を使ったソフトクリーム、菓子なども考案。自慢の醤油とともに店頭で販売されています。2階建てのしょうゆ蔵は見学も可能です。
來間屋生姜糖本舗
江戸時代から約300年間、一子相伝で受け継がれてきた生姜糖の老舗。出西生姜の絞り汁と砂糖を炭火で煮詰め、固めて作る生姜糖は懐かしい甘さが◎。一つの種から多くの実が取れる生姜を砂糖で固めることから、「子宝に恵まれ、縁を固める」菓子として古くは将軍にも献上されてきました。
飯塚酒店
平田は町割りが先にできたため、その後の川たがい(河川の付け替え)に伴う道路の付け替えにより、道路に対して家屋が斜めに建っています。
お問い合わせは
電話番号 0853-63-0893(出雲観光協会 平田支所)
アクセス 山陰道宍道ICよりR9、県道184号線経由車で約20分
一畑電車雲州平田駅より愛宕山公園方面へ約600m。徒歩約10分


出雲大社ご参拝のついでにでも立ち寄り下さい。



島根県の女性が4年連続美肌日本一に!!

2015年11月16日 11:59   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
暦の上では、立冬も過ぎ、松江城のお堀を巡る遊覧船にも炬燵が登場しました。
松江城では、城攻めの模擬体験のイベントがあり大変に盛り上がっている松江市です。
なな何と4年連続で我が島根県の女性が美肌日本一になりました。
もはやまぐれでも、冗談でもなさそうですね♪
「都道府県別、ニッポン美肌ランキング2015!4年連続王者は神の国・島根県!」というニュースが飛び込みました。
その内容はというと、日本で一番美しい肌を持つ「美肌県」を決める、ニッポン美肌県グランプリが2015年11月12日に株式会社ポーラより発表され、見事1位に輝いたのは島根県に決定しました。島根県は4年連続1位に輝き、『美肌県』としての地位を不動のものとしました。
この美肌県グランプリは、POLAが全国47都道府県を対象に集めた女性の肌データを分析。県別に集計したもの。(データは2014年9月1日?2015年8月31日までの1年間)
データは以下の6部門をそれぞれ数値化し、合計値から偏差値を算出。総合順位を決めたとのこと。
肌が潤っている
ニキビができにくい
シミができにくい
くすみがない
毛穴が目立たない
キメが整っている


「なぜ島根の人がが美肌なのか?」の謎が明らかとなりました。
その理由は、特別なものではありません。温泉に毎日入っているとか、食べ物に特に気をつけているとか。確かに一部の女性はそんな人もいるかもしれません。
ざっくり言うと、壱年を通じて湿度が高く、日照時間が短い事だそうです。ランキングを見て見ると壱害にそうではなさそうですよ。これ以上のコメントは差し控えたいと思います。
以下に全国ランキングを掲載しますので、ご自分の県を探して見て下さい。


1位:島根県
2位:山形県
3位:愛媛県
4位:石川県
5位:富山県
6位:秋田県
7位:新潟県
8位:広島県
9位:三重県
10位:高知県


11位:東京都
12位:鳥取県
13位:岩手県
14位:京都府
15位:岡山県
16位:長野県
17位:兵庫県
18位:北海道
19位:大阪府
20位:宮崎県


21位:熊本県
22位:愛知県
23位:福井県
24位:鹿児島県
25位:福岡県
26位:山口県
27位:山梨県
28位:滋賀県
29位:岐阜県
30位:埼玉県


31位:香川県
32位:神奈川県
33位:徳島県
34位:宮城県
35位:長崎県
36位:奈良県
37位:和歌山県
38位:静岡県
39位:福島県
40位:佐賀県


41位:大分県
42位:青森県
43位:千葉県
44位:群馬県
45位:沖縄県
46位:栃木県
47位:茨城県
以上です。



出雲市の壱畑薬師で面影の味八雲定食が期間限定で発売!

2015年11月10日 14:15   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
今回は、松江ゆかりの文豪・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が松江滞在中、「目のお薬師さま」として知られる一畑薬師に参拝したエピソードにちなみ、門前町の商店でつくる一畑薬師観光協会が八雲の好物などを集めた特別メニューを考案したという話題です。
八雲の好物とは、何だったのでしょう。何でも卵と出雲そばは聞いた事がありますがその他には詳しく知りません。
没後111年を記念し「1」が並ぶ11月11日から、5日間限定で参道内の飲食店3店で提供する企画です。一般的に広く知られていなかった八雲と一畑薬師との関わりを掘り起こし、地域活性化につなげようとのことです。
八雲は、16歳のときに事故で左目を失明し、右目の視力も弱く、来日時は0・05以下だったとされています。
また、来松時に宿泊した大橋川沿いの富田旅館の女中さんが目が不自由だった事もあったようで余計に興味を持ったようです。
そもそも壱畑薬師は、海から薬師如来像を引き揚げたのが始まりとされています。
創開は平安時代、寛平6年(894)まで遡ります。
ひとりの漁師が海から薬師如来像を引き揚げて、お祀りしたのが始まりです。その後、盲目の母の目が開いたり、戦国の時代に幼い子どもたちの命が助かったりしたことから、目のお薬師様、子どもの無事成長の仏様として、広く信仰されています。 薬師本堂をはじめ、八万四千仏堂、観音堂、十六羅漢堂などが鎮座しています。
壱畑には、『お茶湯(ちゃとう)』と呼ばれる特別なお茶があります。境内の薬草畑『一の畑』で採れたお茶の葉を煎じ、一畑山に湧き出る清水で淹れ、薬師如来にお供えして、ご祈念したもの。創開当時から、万病に効くといわれ、ことに眼病を患っている人は、まぶたの上にお茶を塗り、両手を合わせてご真言を唱えていただくことで、目を守ってくださると伝えられています。
【アクセスについて】
●一畑電車北松江線伊野灘駅から車で約20分又は壱畑口駅よりイエローバスも運行しています。
施設住所は、島根県出雲市小境町


特に目を守っていただきたい方は、このお茶湯を目につけてご利益を受けられます。(まぶたにつけて下さい) 両手を合わせ、ご真言を唱えながらいただいてください。
幼少時の水木しげる少年も、のんのんばあに連れられてお参りしました。また、目玉おやじのブロンズ像が3体あるそうですので見つけて見て下さい。
目に自信のない方は一度ご参拝した方が良いかもしれマせんよ。



松江市東出雲町のほし柿は日本一?!

2015年11月09日 14:41   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
秋の深まりは紅葉です。山の頂上付近から始まりやがて街路樹もはだかにしてしまいます。物悲しいのが秋の季節感でもあります。
そんな晩秋の山懐の集落をオレンジに染める秋の味覚といえば柿でしょうか。
松江市東出雲町に「じっくり熟すこと1ヶ月。その銘菓は日本一の甘さと評判」の銘菓?があります。
そこは、のどかな田園風景に包まれた東出雲町・上意東の畑地区です。
ココにこの小さな田舎町が全国に誇る“日本一”があります。
それが10月末から収穫、各農家の乾燥場に吊り下げられた後、師走の12月、地元の市場のほか、岡山、広島、大阪など県外にも出荷される「ほし柿」です。
この地区は、古く江戸時代中期からほし柿の里として知られており、乾燥場に吊るされた飴色の柿すだれは、この地区に晩秋の訪れそして冬支度の準備を知らせる風物詩となっています。
一口噛めば、口に広がる“どこか懐かしい味は、母の愛情たっぷりの証でしょうか。?
ところで、何が日本一でしょうか?
実は、ほし柿に隠された糖度、甘さが日本一だと言われているのです。
橙色の実に真っ白な果糖が浮かび出た西条柿の「ほし柿」は、舌がとろけそうな程の甘味で、その味は上品な甘さの和菓子のようです。色・大きさ・味の三拍子が揃い、県外からも注文が殺到するほどに高い評価を得ています。
晩秋から本格的な冬にさしかかる11月から師走の12月にかけ、各生産農家の柿小屋には収穫された柿がずらっと垂れ下がり、じっくりと天日に干され、その甘みを熟成、濃縮されるのです。建物全体がオレンジに染まるその光景は、まさに“飴色のすだれ”の表現がピッタリなのです。
この畑地区に描き出される景観美は、「第5回美しい日本のむら景観コンテスト」(平成9年3月)で優秀賞を受賞しているほどで、徐々に日が経つにつれ、その色が深まる様は、田舎町に起こる奇跡を見ているような美しさを誇ります。
畑地区の柿小屋は独特の構造で、木造3階建ての総ガラス張りです。
栽培されている柿には、樹齢400年を越す老木もあることから、ほし柿づくりは戦国時代にまで遡ると予想され、古くは尼子氏の城下にほし柿を行商に訪れたという記録が残るほか、江戸時代にはグルメなお殿様として知られる松平不昧公に茶菓子として、また近年では三笠宮家にも献上されるなど注目を集めています。
この味を支えているのが、地元農家の女性たちなのです。さすがは、女性の就業率NO1ですね。
柿小屋に吊されたほし柿たちは、その時期を今か今かと待ちわびているのです。
出荷は11月末頃から徐々にはじまり、12月に本格化します。
結構、「知る人ぞ知る」ってところなのかもしれませんが、松江に起こしの際には和菓子の仲間に入れて見て下さい。目からウロコになるかも知れませんよ。
数量が限定ですので、お早めに予約が必要なのかもね。
写真を3枚添付します。
1枚目は、ほし柿のすだれと柿のアップ
2枚目は、柿小屋
3枚目は、箱入りほし柿


詳しくは下記までお問い合わせ下さい。
(組合HP)http://www.hatahoshigaki.jp/index.html
(取扱い店)
くにびき農業協同組合 南営農経済センター東出雲出張所
〒699-0108島根県松江市東出雲町出雲郷413-1
TEL 0852-52-2512
FAX 0852-52-2514


 


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宍道湖に浮かぶ神秘の嫁が島に上陸しました!

2015年10月20日 13:36   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
街を歩いてもサザンカのいい香りで包まれている松江市です。
18日の日曜日には、松江祭鼕行列がありどうと呼ばれる大太鼓(約直径2m)の山車が20以上もねりあるきました。この祭りが終わると秋の深まりを感じだす松江市民です。
今日は、松江のシンボルの宍道湖に唯一浮かぶ嫁が島に盲導犬ハウルと渡船で上陸した話題です。
渡船の出発位置は県立美術館横の夕日スポットとの間に岸公園です。そこには、板張りの桟橋があり、船にお客さんが一杯になると出港するというシステムです。ちなみに船は28人乗りの屋根付きのボートです。料金は大人一人往復で1000円(障害者割引は500円)でした。
この日は低気圧の影響で天候は雨時々くもりでした。雨の闇まを待って運行するとの事です。受付のテントで約30分待ちました。やっと少し晴れ間が見えてきたので出港する事になりました。
湖面は風邪も強く水は茶色に濁っています。波も荒く木の葉のように船が揺れました。少し表現が過剰でした。でも船酔いしそうな勢いでしたよ。
出港地点からは約220mですので乗ったと思ったらあっというまに嫁が島に到着です。島は南北30m、東西110m、周囲240mあり、陸地からだともっと小さいと思っていましたが案外広いようです。船を降りると、島にはテントがあり、抹茶と和菓子の接待(300円)を受ける事が出来ました。
早速、ガイドさんが島の説明を始めます。
この島は、考古学的に言うと今から1200万年前、第三紀中新世の火山活動により噴出した玄武岩でできたと伝えられているそうです。島は今は、真ったいらになっていますが岩の部分を削って松江城の築城の時に石垣として使ったようです。
『出雲国風土記』意宇郡条においては「蚊島」と表記されています。当時は周囲が約110m と今の半分ほどの大きさで、島の中央には径7~8cm ばかりの木が一本生え、礒には貝や海草が見られたとあります。
この島には1つ悲しい伝説があります。
姑にいじめられた若嫁が寒さに凍った湖上を実家に帰る途中、氷が割れて水死し、それを哀れんだ湖の神様が一夜にして島を浮かび上がらせたとのストーリーが残されています。それ以来、嫁が島と呼ばれるようになりました。
伝説とはいえ、かなりの時代錯誤になりますよね。悲しい伝説の方が日本には多いようです。
島には弁財天を祀る竹生島神社の祠(1611年に堀尾忠晴が祭った)と鳥居(1907年に琵琶湖疏水設計者の田辺朔朗が寄進)があり、周囲には松が植わっています。1935年に松江出身の総理大臣の若槻礼次郎が数本の松しかなかった島に20本の松の苗を植樹したとの事です。消波ブロックとして、如泥石(松江藩の名工・小林如泥が考案したとされる円柱形の来待石)で島の周囲が固められています。
年に数回、湖岸から張られたロープを伝って島まで渡るイベント「嫁ヶ島に歩いて渡ろう」が開かれます。湖岸から島まで220m程度しか離れていないうえ水深も最大130-140cmと浅く、子供も多く参加します。島に続く東側の湖底には、周囲より少し高くなった水中参道がありますが、江戸時代初期までは対岸の袖師に連続した玄武岩の岬があり、松江城築造に伴う石材として掘削され岬がなくなったと伝えられていることから、玄武岩の掘削跡による浅瀬である可能性もあります。
松江城創建者の堀尾吉晴が天守閣からの眺めに感動して嫁ヶ島を「湖中の一勝地なり」と評しました。それ以来松江城天守閣からの眺望を阻害するような建物は建てる事が出来ないそうです。
水郷松江のシンボルとして、文豪・小泉八雲をはじめ多くの人々に愛されてきました。
丸谷才一は嫁ヶ島越しに見る宍道湖の落日美を「純粋に審美的な風景美」と評し、山崎正和は国内でも稀な「眺めるためにだけある島」であることを指摘し、吉田兼好の言葉を借りて「田舎の人はそばに行って手で触ったり足で踏んだりしないと納得しないが、その意味において都会的センスのある島」と述べ、両者ともに松江が洗練された趣味の町である証しとして、人があまり近づかなかった当時の嫁ヶ島の在り方を高く評価したそうです。
要するに一般人はこの神聖なる嫁が島にはあんまり上陸していないのです。有名人で最近島に渡ったのは、今年の8月にはロンブーのあつしさんが海水パンツで歩いて渡った時の放送が流れました。
帰りの船では波もおさまっていました。
受付テントの近くではかに汁、鳥の空揚げ、焼きそば、どんぶり物その他飲物の屋台が出ていました。ちなみにかに汁は1杯100円でしたのでおいしくいただきました。
このころからまた雨が降り出し、風邪が寒く体が冷えてきましたので、急いでバスに乗り込みランチの会場へと向かいました。
天候には恵まれませんでしたが記念に残る体験でした。


写真を3枚添付します。
1枚は松江城の天守閣から嫁が島を見た時の写真。
2枚目は約3mの石灯篭。
3枚目は漢詩の刻まれた石碑です。


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