皆さん「七夕の歌」歌えますか?
こんにちはスタッフの山本です。
先週土曜日は七夕でしたが皆さんはどのような願いごとをされたでしょうか。
ところでみなさん「七夕の歌」を今すぐ歌うことができるでしょうか??
「七夕の歌」を歌いましたが、以外に途中から歌手がでてきません。
最初の「ささの葉 サラサラ」は歌えますが途中からの歌詞が...メロディーは出てくるのに...。
この歌えないモヤモヤを解消するために歌詞をインターネットで調べてみました。
「七夕さま」
ささの葉 サラサラ
のきばに ゆれる
お星さま キラキラ
金銀砂子(すなご)
なんとタイトルも違っていました...。
時期は過ぎましたが、ぜひ皆さん思いだしながら「七夕さま」を歌ってみてください。
時々ですが呉市て、どんな「まちなん?」とよく質問されるので、今日は呉市の歴史を紹介をしたいと思います。
呉市は、今年で市制110周年を迎えます。
瀬戸内海のほぼ中央部、広島県の南西部に位置し、瀬戸内海に面する陸地部と、倉橋島や安芸灘諸島などの島しょ部で構成される気候温和で自然環境に恵まれた都市です。
瀬戸内海国立公園の陸地部面積(県内)の約4 割強を占めるとともに、島しょ部を含めた海岸線延長は298.3 ㎞に及び、西日本有数の多島美を有する風光明媚な地勢を有しています。
明治の初年まで呉浦は半農半漁の4 つの村落でしたが,明治19 年(1886年)、第二海軍区軍港に指定、同22 年(1889 年)呉鎮守府の開庁とともに本格的な海軍基地の建設が進められました。
その後、明治35 年(1902 年)10 月1 日に宮原・和庄・荘山田・二川の4 町村が合併して市制を施行、昭和3 年(1928 年)に吉浦・警固屋・阿賀・同16 年(1941年)に広・仁方の各町村と合併しました。
その間、累次の基地拡張と人口の急増によって、戦争中は40 万余の人口を有し、日本一の海軍工廠を擁するまちとして発展しました。
しかし、昭和20 年(1945 年)の敗戦で、軍需基地としての都市基盤を失った上に、中心市街地が戦災で廃墟と化し、広大な旧軍用地や市街地の多くを駐留軍に接収され、人口も15 万人に激減しました。
こうした中、昭和25 年(1950 年)に旧軍施設を転活用し、平和産業港湾都市への転換を目指す「旧軍港市転換法」が制定されたことにより、造船、鉄鋼、機械金属、パルプ産業等の企業が相次いで進出し、臨海工業地帯としての基盤を確立されたそうです。
平成15~17 年(2003~2005 年)にかけて下蒲刈町・川尻町・音戸町・倉橋町・蒲刈町・安浦町・豊浜町・豊町の近隣8 町と合併することにより、行財政基盤の強化を図るとともに、地域の特色ある資源を活かした新「呉市」としての魅力的なまちづくりに取組まれています。
明治時代から続くレンガ建築や町並みは、来た人を魅了し楽しませてくれます。
ぜひ一度、明治時代のロマンを感じるために、呉市に遊びに来てはいかがでしょうか??
山本