車椅子と外出3
さて、このシリーズも今回で最後にします。
車椅子で飛行機に乗ったり、エスカレーターに乗ったりしたとき、
なぜにそれが世間の耳目を集め、またもめるのか。
この種の問題でよく言われるのが
「障害のある人の利用を排除するのがおかしい」
「障害のある人への配慮の為に健常者が不利益を被るのはおかしい」
これはどちらも言っていることとしては正しいのです。
健常者も障害者も等しく社会の一員ですから、障害の有無を理由として
不利益を被るのは不公正です。
また、障害者の利益の為に健常者が一方的に我慢せよというのも
同じく不公正です。
飛行機に乗る場合で言えば、
目的は飛行機に乗って移動することです。
チケットの購入に加えて「事前通知」が必要なのはたしかに面倒です。
けれども、ここで「事前通知」がないとサービスが受けられないなら
「通知」を拒むことは得策とは言えません。
「事前通知」をすることは差別の追認なのか。そうではありません。
健常者と異なる取り扱いをすることについては、別途その是非を議論すべきなのです。
航空会社としては、お客のほうから「支援がいらない」と言われるなら
他の乗客に提供する範囲のサービスで対応するまでです。
エスカレーターの利用についていえば、目的は上階又は下階への移動です。
安全かつ快適に移動ができるかどうかが問題です。
店によって利用が禁止されていれば、まずはそれに従うべきで
禁止の正当性はまた別の問題です。
他人から見て危険にみえるものについてはどうするのか。
危険に「見える」だけで、客観的な禁止もなされていないなら
車椅子のままの利用を妨げられることはないでしょう。
私が思うに、この種の問題で、健常者・障害者がともに見落としているのは
「現在の状況下における最善の解決策は何か」であり
制度の不備云々、またはそれに対する反論や種々の議論は
また別の問題です。
サービス利用おけるサービス事業者の不手際を以て、
無条件・無限定・無制限の権利や差別を叫んでも
もめるばかりで、目の前の問題は解決しません。
必要なサポートを必要なだけ、手順を踏んで求めることは悪くありません。
一人一人のお客さんがサービスを作り、それを使うことでよくなっていくのです。
車椅子の人もそうでない人も、楽しく快適で安全な旅を。