バリアフリーネットワーク九州会議
総アクセス数:1109427
今日のアクセス数:7
昨日のアクセス数:264

バリアフリーネットワーク九州会議 の活動状況や、各種お知らせを掲載します。

NHK福祉ポータル ハートネット

2011年08月16日 14:04   バリアフリーネットワーク九州会議
コメント(1)

今日は、ハートネットというサイトのご紹介です♪

放送された番組の中でも人気だったシリーズの動画を約1ヶ月間限定公開してくれています。

障がいのことや介護、医療、子育て、認知症、自殺、うつ、等々の情報が得られますよ。


興味のある方は、ぜひご覧になってください。

ハートネットURL
http://www.nhk.or.jp/heart-net/video/



屋内温水プール:10月オープン予定、愛称募集--苅田町 /福岡

2011年08月11日 13:56   バリアフリーネットワーク九州会議
コメント(1)

 


苅田町教委は、同町殿川町に建設中の屋内温水プール(鉄筋コンクリート2階建て、25メートルなど3プール)の愛称を募集している。


町民の健康づくりとスポーツ振興を目的に昨年10月着工。今年10月下旬に開業予定で、既に建物外壁は完成し、機械設備や屋外駐車場などを整備中だ。


愛称募集はプールに愛着を持ってもらい、利用増進につなげる狙い。採用者にはプールの年間フリーパス券を、応募者から抽選で3人に利用回数券(11回分)を贈る。はがきか封書に愛称と命名理由、住所・氏名・年齢・電話番号を記し9月9日必着で町教委生涯学習課「プール愛称募集」係(〒800-0392 苅田町富久町1の19の1、093・434・2044)へ。


同課は「四季を通じていつでも泳げ、車椅子利用者も入れるバリアフリー構造です。親しみを感じる命名を」と呼びかけている。【降旗英峰】


毎日新聞社・毎日JPより


 



福岡市浸水ハザードマップ・九州防災ポータルサイト

2011年06月27日 13:56   バリアフリーネットワーク九州会議
コメント(0)

福岡市浸水ハザードマップのご紹介です。


福岡市のサイトからPDFデータをダウンロードすることができます。


浸水ハザードマップは、大雨時の浸水状況と避難行動に役立つ情報を、市民のみなさんに提供し、防災意識や避難の心構えをやしなっていただくために作成したものです。


いざという時のために、日頃から、浸水が想定される範囲、防災情報の入手方法・内容、避難の方法などを確認し、浸水への備えに役立てましょう。


このマップは、福岡県が公表した「河川からの浸水想定区域(外水被害)」と、福岡市が作成した「平成21年7月豪雨の浸水実績に基づいた浸水想定区域」を重ねて表示することにより、内水被害を含めた浸水への注意を、市民の皆様へよりいっそう呼びかけるものです。


福岡市が示している下水道や側溝などからの内水による浸水想定区域は、災害対策本部が確認した平成21年7月豪雨による床上・床下浸水の実績等や、浸水被害があった校区の自治協議会や自主防災組織などから収集・確認した浸水箇所や範囲の情報をもとに定めています。


内水による浸水想定区域については、今後の大雨の降り方などを踏まえて、市民のみなさんからの新たな情報や意見などを収集・確認しながら、今回の浸水ハザードマップの更なるグレードアップを図っていきたいと考えていますので、よろしくお願いします。



以下、URLをクリックしてください。
福岡市ハザードマップ
http://www.city.fukuoka.lg.jp/shimin/bousai/bousai/sinnsuihaza-domap.html



九州防災ポータルサイト
http://www.qsr.mlit.go.jp/bousai_joho/kyusyubosai/ 




バリアフリー情報:久留米市がHP作成 外出時の参考に、写真付きで紹介 /福岡

2011年06月21日 08:55   バリアフリーネットワーク九州会議
コメント(1)

 


6月16日(木)毎日新聞、毎日jpより


久留米市は、車いす利用者や高齢者が安心して外出する手助けにしたいと、市内の公共施設などのバリアフリー情報を網羅したホームページ(HP)を作成した。HPは随時、情報を更新するほか、紙のバリアフリーマップも作成する予定。【上村里花】


◇店舗情報など募集


現在、掲載の172施設は公共施設が中心のため、市は「今後は喫茶店など、バリアフリー設備のあるお店や、民間施設についても情報を充実させていきたい」と話し、掲載情報を広く募集している。掲載の申請は、HP上から申請用紙をダウンロードし、必要事項を記入の上、メールかファクスで市障害者福祉課まで送る。


HPでは、施設ごとに、多機能トイレや車いす対応トイレの有無▽出入り口の段差や自動開閉の有無▽車いす対応のエレベーターやエスカレーターの有無▽車いす駐車場の有無--などの情報を掲載。施設の外観やトイレなどを写真付きで分かりやすく紹介している。


施設の種類やエリア、設備の種類、施設名から検索でき、携帯電話からもアクセスできる。HPアドレス(携帯電話版も同じ)は、http://www6.city.kurume.fukuoka.jp/


問い合わせは同課0942・30・9035。
 
毎日jpサイトへはコチラ
http://mainichi.jp/area/fukuoka/news/20110616ddlk40100366000c.html 


 



光なき不安 音なき恐怖 障害者たちの3.11

2011年05月18日 14:49   バリアフリーネットワーク九州会議
コメント(0)

河北新報社の記事をご紹介します。


東日本大震災では、多くの障害者も被災した。障害者は障害の種類や重さによって、避難する際や避難所でさまざまな困難に直面する。宮城県内の視覚障害者、聴覚障害者の体験から、震災時の障害者支援を考える。

◎視覚障害者/津波は音もなく来た

視覚障害者の越中美智枝さん(59)は3月11日、宮城県石巻市中里の自宅で地震に遭った。
激しい横揺れに、座っていても体がずるずると動いた。物が落下し、背後の食器棚の中で皿や茶わんが次々と割れる音がする。「危ないと思っても動けなかった」。座布団で頭を守った。
揺れが収まると、100メートルほど離れた中里小に小学2年の孫娘(8)を迎えに行こうと白杖を手に外に出た。
網膜色素変性症のため、40歳前後で視力を失った。健常者の夫(65)と2人暮らし。求職中の長女(32)に代わり、放課後の孫の世話をしていた。
玄関を出ると、大津波警報の発令を知らせる放送が聞こえた。ほどなく戻った長女の車で夫と学校へ。孫を乗せて日和山に向かったが、渋滞で断念し、学校に引き返した。
学校には既に大勢の住民が避難していた。「寒いから」と近くに止めた車中にいた。
しばらくして長女が異変に気付いた。「皆が体育館に逃げてる。水がすごい」。膝まで水に浸かって校舎に移動しながら「津波なんて半信半疑だった。水は音もなく来たんだ」と思った。
水かさは増し、学校は孤立状態に。1300人が避難し、廊下にも人があふれた。「人が多くて杖もつけず歩くことができない。トイレに行くのもままならずつらかった」。携帯電話は通じず、同室の人のラジオが唯一の情報源だった。
学校を出たのは地震から3日後の14日。水が引かず、土手に渡した幅30センチの板を歩いて脱出した。
土手に上がると、非常事態を告げる無数の音が、一斉に耳に飛び込んできた。救急車のサイレン、ヘリコプターのプロペラ音、飛び交う無線の声…。「とんでもないことが起きた」と実感した。
知人宅などを経て4月下旬に自宅に戻った。ふすまは床上70センチまで水の跡が残る。足元はぬかるみ、衣類や音声パソコン、点字板一式は泥水に漬かっていた。日本盲人福祉委員会(東京)などが設置した視覚障害者支援対策本部宮城県本部から、点字版や日用品の支援を受けて生活再建を図る。
越中さんは「市から安否確認や福祉避難所への誘導はなかった。避難先で同じ障害の人同士でいられれば心強かったし、助け合えたと思う」と振り返った。
(渡辺ゆき)

◎聴覚障害者/避難呼び掛け、気が付かず

名取市閖上の無職渡辺征二さん(70)は、海岸から1キロ離れた自宅で、妻勝子さん(66)と息子(41)家族の5人で暮らしていた。渡辺さんと勝子さんは、ともに耳が聞こえない。
地震発生時、渡辺さんは自宅で昼寝をしていた。大きな揺れで目を覚まし、部屋の中を見ると、テレビやテーブルが倒れてきた。
普段からインターネットは使わず、テレビを見る習慣もない。地震に関する情報はこれまで、手話で家族から得ていた。当時、勝子さん以外の家族は出掛けていた。テレビのスイッチを入れても、停電で映らない。地震や津波の情報を得られないまま、家の中の片付けに取りかかった。
地震の後、閖上地区では消防団が広報車を走らせ、住民に津波からの避難を呼び掛けていた。渡辺さん夫婦は屋内にいたため、気が付かなかったようだ。
午後3時半ごろだった。近くに住む兄の敏正さん(73)夫婦が血相を変えて駆け込んできた。慌ただしく手を動かし、メッセージを送ってきた。「何やっているんだ。津波が来るぞ」
屋外に出て海を見た。初めて事態の深刻さを知った。黒い波が迫っていた。兄は車に渡辺さん夫婦と近所のお年寄りを乗せ、避難所の閖上中を目指した。
道路は狭く、渋滞していた。津波はどんどん迫ってくる。走って逃げる人もいた。兄は波に追いかけられながら、車を走らせ、仙台東部道路の名取川橋にたどり着いた。橋の上から見えたのは、渦を巻いた真っ黒な波が、車、船、電柱、松の木を押し流す恐ろしい光景だった。
家族は無事だった。家は津波で流され、6日後に約200メートル離れた場所で見つかった。
渡辺さんは閖上で生まれ育ったが「津波が来るとは思わなかった」と言う。震災当日は、普段は何かと気遣ってくれる近所の人が、訪ねて来なかったし、出入りする気配もなかった。後日、近所の人たちが大勢亡くなったことを知った。
渡辺さんは「耳の聞こえる人たちがたくさん亡くなった中で、聞こえない自分たちが助かったのは、兄のおかげ」と語った。(佐藤素子)

◎適切な情報支援、不可欠/被災障害者を支援するみやぎの会/阿部一彦代表

被災した聴覚、視覚障害者らの状況や支援の課題について、仙台市障害者福祉協会長で、宮城県内の障害者関連団体でつくる「被災障害者を支援するみやぎの会」の阿部一彦代表に聞いた。
(聞き手は丸山磨美)

震災直後に避難所に身を寄せた聴覚、視覚障害者の多くは、ほどなく自宅に戻った。「暮らしづらい」「迷惑を掛けたくない」というのが、主な理由だ。
聴覚障害者の場合、手話通訳や要約筆記ができる人がいないと、音声による情報伝達を把握できない。「頭の中の地図」を頼りに移動する視覚障害者は、不慣れな建物ではトイレに行くことが難しい。
自宅に戻ったとしても、生活支援情報が届きにくく、給水や買い物に困ったという話も多い。
震災時には、聴覚、視覚障害者への情報支援が特に重要になる。罹災(りさい)証明書の申請など、支援制度の情報が届いているのか心配される。障害に応じた適切な情報提供の方法を考えるべきだ。
福祉施設とつながりのない在宅障害者は、安否確認自体が難しい。
壁となっているのは、個人情報保護法だ。今回の震災では、日本障害フォーラム(JDF、東京)の「被災障害者総合支援本部・みやぎ支援センター」(仙台)が県内の状況を調査する際も、自治体が持つ障害者手帳の交付台帳の活用は認められなかった。法施行以前は台帳を安否確認などに活用できたと聞く。
仙台市障害者福祉協会では、震災翌日から加入団体会員の安否確認を進めたが、障害者全体から見ると一部にすぎない。沿岸部では協会自体が被災して名簿すらないケースがある。誰がどこにいるか分からなければ、支援は困難だ。
今回の震災で、障害者支援の想定と対策が十分でないことが分かった。対策の見直しを進め、行政や地域、福祉団体などが情報を共有できるよう訴えていきたい。

2011年05月10日火曜日 河北新報社


サイト記事URL
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110510t13026.htm